104. 悪神の徒 /その③
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大男が得ている加護はおそらく、第二の悪霊とも呼ばれる悪神ドゥボーグ・ボルアルゴの加護。
巨人を産み落としたドゥボーグ・ボルアルゴの加護のうち、この大男が得ている加護は膂力と頑健さの増加。小型の巨人に近い身体能力を得ているのだろう。
そして、村内に侵入した蓬髪の男は第三の悪霊とも呼ばれる悪神セヴァーベ・ボルアルゴの加護を得ているのだろう。
獣人を産み落としたセヴァーベ・ボルアルゴの加護のうち、蓬髪の男が得ている加護は獣並みの素早さと感覚の鋭さである。
それだけであるのなら、単に劣化し、弱体化した怪物擬きを造り出すに過ぎないが、同時に人の思考や技術を持ち合わせている点が怖ろしい。
悪神の加護を得た者とは、闇の怪物に準ずる能力と人の頭脳を併せ持った存在であることを意味する。
ただし、永遠にその状態を維持できる訳ではない。数年を経る内に徐々に人としての記憶も思考も失われていき、最後には人である自分を失った闇の怪物に似た存在と化す。
そう、悪神の加護とは、一面で人であることを奪う呪詛でもあるのだ。
そして、悪神の徒たちは変わり果てた元の仲間を悪神への供物として生贄に使う。それが悪神教団の教義の一部。
それでも、悪神の加護を願う者が絶えることがない。狂信者たちの信仰は常人が理解できる次元にはない。
蓬髪の男は鈍色に光る爪を振り翳す。
人の思考や技術を保つとはいえ、その思考や感性は獣人に引っ張られているのか、両手に獣人の爪を模した鉄爪を付け、盾などは持たず長衣の下に革の胴鎧だけを着込んでいる。
その素早さにバーバクは翻弄される。
これが迷宮内であるならば、通路の狭さを利用し追い詰めることができた。
しかし、ここは村の中。動き回れる範囲は広く、万が一物陰に隠れ他の場所に移動されてしまえば、追いかけることは難しくその被害はどこまでも拡がってしまうだろう。
さらに周囲にいる村人を巻き込むこともできない。バーバクは周りにも気を配りながら戦うという、不自由な状態で戦っている。
手強い。それでもバーバクが負けはしない。若く経験の浅かった昔とは違う。不得意な素早い敵、人の思考、駆け引きのできる敵相手であっても負けはしない。
だが、油断はできない。この敵はまだ底を見せていない。
長衣から判断しても、この者は悪神の徒のうちただの信徒などではなく、おそらく神官に当たる祭司である筈だ。ならば、光の神々に仕える神官でいうところの法術、悪神の徒の『邪術』を使える筈。
バーバクは警戒し、油断することなく慎重に戦う。一方、カルスタンたちも大男と戦っている。
大男の格好はそこらの村人と同じ粗末な服。だが、見えている筋肉は圧倒的。徒人の持つものではない。
そして、その皮膚は変質している。全ての毛が抜け落ち、血のように赤黒く、犀のように分厚く皺だらけの頑丈な皮膚となっている。
もはや人としての知性も理性も薄らいでいるのだろう、焦点の合わぬ目で奇怪な唸り声を上げながら闇雲に戦鎚を振るう。
その大男とカルスタンは真っ向から打ち合い、柵への攻撃を妨げる。両者の戦鎚はぶつかり合う。重く甲高い響き。
反動で振り戻された戦鎚を再び振るう。再度のぶつかり合い。打ち合う度、徐々にカルスタンが押されていく。
体格では負けていない。しかし、ドゥボーグ・ボルアルゴの加護を得た者の膂力には及ばない。
ついにカルスタンは崩された。大男は戦鎚を振りかぶる。
その時、カルスタンの背に身を隠していたジャンダルが飛礫を放った。
大男の皮膚は厚く、身体は頑健。飛礫を当てたところで効果は薄い。
だから、ジャンダルは狙った。大男のその皮膚に覆われていない目を。
飛礫は大男の右目を潰す。大男は苦痛の叫びを上げ、のけ反った。
カルスタンはその隙を見逃さない。即座に体勢を立て直し、無防備な胴に全力の一撃を叩き込んだ。
大男は一撃では倒れない。腰は落ち、ふらつきはしながらも、戦鎚を振るってくる。
カルスタンは避けた。大男の潰された右目の死角に身を滑らせる。
大男はカルスタンを見失う。首を振り、カルスタンの姿を探した。カルスタンを再び視界に収めた、その時。
大男の眼前にはカルスタンの戦鎚が迫っていた。
顔面を叩き潰す。手を緩めない。そのまま乱打。大男の息の根が完全に止まるまで、カルスタンは戦鎚を振るい続けた。
バーバクと蓬髪の男との戦いは一進一退。
近接戦の実力はバーバクが上回っている。胴を横薙ぎにし、浅からぬ傷も与えた。
しかし、敵は闇の怪物ではなく人。バーバクが村人たちを庇いながら戦っていることを見抜いている。
村人たちを狙う素振りを見せ、ここから離脱しようとするならば、バーバクはその妨害にも気を回さざるを得ない。そうして、誘導された行動をとるならば、敵にとって対応するのは容易い。
バーバクは全体としては敵に勝っていながら、要所要所で状況をひっくり返され、少しずつ分の悪い状態に追い込まれている。
バーバクは踏み込み、敵の首筋を狙い斧を斜めに振り下ろす。敵は身を屈めながら素早く足を踏み換え、間合いを詰める。
刃を掻い潜り、斧を振りきったバーバクの腕を右手で押さえ、動きを邪魔し左手の爪でバーバクの顔面を狙う。
バーバクは足を踏み出し、重心を移動。全身の力を用いて腕を押さえる敵の右手を撥ね除ける。
そのまま右腕を持ち上げ、上腕を覆う鎖帷子で敵の爪を受けた。
いかに鉄爪であっても、それを振るっているのは人の力。鎖帷子は破れない。だが、鎖の隙間を突いた爪がバーバクの腕を傷付けた。
傷の程度は軽い。バーバクの行動に遅れはない。敵の攻撃の隙を狙い、盾で殴りつけんとする。
しかし、敵は素早く退いた。バーバクは気を緩めることなく、敵から視線を外さず息を整える。
敵はにたりと嗤い、自分の爪を舐り、そこに付くバーバクの血を嘗め取った。
その鉄爪を着けた両手を組み、不快な文言を唱える。
「世界を統べし真ナる神よ、賤しキ僕が希う。血肉ヲ一つとする我ラノ命、今こコで分かち合ワせ給え」
「がっ」
突然に、バーバクの胴に激しい痛みが走る。
完全なる不意打ち。敵の攻撃に備え身構えてはいたが、いったいなにをされたのかまるでわからなかった。
敵は一息に懐に跳び込んできた。その動きには戦闘開始時のきれが戻っている。
バーバクはなんとか盾を合わせ、防ぐことができた。
しかし、動揺を抑えきることができない。なにをされたのか。繰り出される攻撃を凌ぎながら、バーバクは思考する。
目に見える攻撃はなく、不可視の拳のような外部からなにかに攻められた感覚もなかった。そう、なにもないなかで突然に胴が斬られたのだ。
不可解であるのは、鎖帷子にも服にも損傷がないこと。まるで肉体のみを傷付けることができる、見えず感じられない刃で斬られたかのようだ。
理解できない不自然な現象。
ならばそれを引き起こしたのは悪神の徒の業、『邪術』。
そこに気付けば全ては、いや全てではないがおおよそのことは理解できた。
文言とその前の行動、受けた傷、身体の状態を手懸かりに考えれば、使用された邪術の内容は一つしかない。
血を嘗め取った相手との間で傷や疲労、もしくは身体の状態を分け合う術なのだろう。右腕に付けられた傷は軽くなっているのだから。
続けての術を唱えてこないのは、すでに分け合い同じ状態になってしまえば、再び術を使い分け合っても新たな変化は生じないからだろう。
そして、分け合うのは邪術を唱えた瞬間だけ。敵が自らの身体を傷付けようとしないのがその根拠だ。
もし、一度術を発動させさえすれば、その後は継続して傷や状態を分け合い続けるのならば、敵は自分の右手の指でも落とせば良い。
そうすれば両手の爪で戦う敵には左手の爪という武器がそのまま残り、バーバクは利き腕で武器を握れない状態となるのだから。
そうなれば戦いは大幅に敵の有利となる。そうしない以上、術を発動した瞬間だけ分け合う術なのだろう。
ここまで考えればどうすれば良いのか、その対処法もわかる。
結局はこれまでと同じだ。距離を取ろうとするなら距離を詰め、逃げようとするなら妨げる。再度の邪術の行使にだけ注意し、着実に追い詰める。
方針が決まり、気を入れ直す。バーバクの全身に力が満ちる。傷は負ったが迷いが晴れ、バーバクの動きは良くなった。敵の動きを牽制し、誘導していく。
わざと大振りの斬撃。敵は躱す。そこに盾を翳した体当たり。堪らず敵は後ろに跳び、体当たりの衝撃を逃す。
しかし、後ろに跳んだそこには家屋が。家屋の壁に妨げられ、敵はそれ以上は下がれない。
それがバーバクの狙い。逃げ道を潰した敵に向け、狙い澄ました一撃を放つ。
だが、ここは迷宮内ではない。バーバクにとってその身に沁みついた場所とは勝手が違う。
敵は獣並みの素早さと身体能力により跳躍。上空へと逃れ、バーバクの刃を避けた。そのまま、家屋の屋根から屋根へと跳び移り、この場を逃れ次々に村人を襲っていこうと考える。
甘い。蓬髪の男を相手取っているのは、バーバク。『力抜きん出たウルス』であり、熟練のパサルナーン迷宮挑戦者。そして、魔法剣術の使い手。
必要な時に備えて体内魔力を高めていた。上空へと逃れた敵が屋根に着地する寸前。
バーバクは魔法剣術を発現。強化された斧で家屋の壁を柱ごと叩っ斬った。
元々、広くもなければ頑丈でもない庶民の家。一面の壁と柱の全てが斬られては、家が保たない。家屋は傾き、崩れ去る。
まさかの方法。こんな豪快な遣り方は敵にとって想定外。宙で無防備な姿を晒した。
バーバクは逃さない。燐光で覆われた斧を振るい、地に着くことも許さず敵の胴を両断した。




