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深奥の遺跡へ  - 迷宮幻夢譚 -  作者: 墨屋瑣吉
第二章:この命ある限り

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99. 凶報 /その①



 ─ 1 ──────


 季節がゼメスターンからバハールに移り変わるなか、ファルハルドたちを乗せた馬車は二年前、苦役刑として移送された道を逆に辿り、パサルナーンへ向け進んで行く。


 途中二箇所の駐屯地でもパサルナーンへと戻る囚人たちを拾い、二箇所合計で五名が乗り込んだ。そのため、檻車はいささか手狭となる。しかし、特に揉め事などは起こっていない。


 刑期を終えて帰る者を乗せた便であること、神官であるファイサルが同乗していること、カリムが監督者としての役目をきちんと果たし目を光らせていること、それよりもなによりもファルハルドが雪熊将軍を討った人物だと知られたことにより、揉め事を起こそうとする者がいないのだ。



 最初は少し険悪な空気が流れもした。いかにもな人相の悪い騒がしい男が、素知らぬ顔で物静かに座っているファルハルドにちょっかいを出そうとしたのだ。


 その時、おそらくはわざとだろう、皆に聞こえる声でヴァルカが呟いた。


「ほう。雪熊将軍を討った男に絡むとは、随分勇敢な奴だな」


 人相の悪い男はびくついた。途中で同乗した者たちも凍りつく。イルトゥーランの雪熊将軍が傭兵によって決闘で討ち取られたことは、当然聞き及んでいるのだから。


 それでも、どこか半信半疑で疑わしそうであったが、ファイサルが口を開き、「あれは実に見事な戦いであった」と言えば、もはや疑う者などいない。


 その上、実にわざとらしく、人相の悪い男を横目で見ながらファルハルドに

「斬り殺すのはその男だけにしてくれ。私たちを巻き込まんでくれよ」

と付け足せば、人相の悪い男は完全に震え上がった。


 ヴァルカとファイサルの思惑はわかる。わかるのだが、ファルハルドとしてはもう少し違った方法はないものかと思ってしまう。

 つい溜息をつけば、途中で乗り込んできた者たちは身を縮み上がらせた。それを見、当事者でもないジャコモはやけに楽しそうににやにやとする。


 とどめとばかりにカリムが、

「せっかくだ。長い道中の慰めに、決闘の様子を話してくれないか」

と要望してくる。


 黒犬兵団の冬営地を出発してすぐ、カリムに請われファルハルドは決闘の様子を話して聞かせていた。それを再び話せと言うのは途中で乗り込んできた者たちにも聞かせ、揉め事を予防するためだろう。


 仕方なくファルハルドが渋々話し始めれば、顔色の悪い者たちの顔色はいよいよ蒼白へと変わった。


 目的が理解できるだけにファルハルドも語って聞かせたが、ファルハルドにとって自分の行いを吹聴するなど苦痛でしかない。


 抑えても抑えきれず漏れ出す憂鬱な雰囲気が顔色の悪い者たちにとっては不機嫌さに見え、これ以後露骨にファルハルドを持ち上げるようになった。

 十歳は年上であろう者から「あにさん」などと呼ばれてしまえば、どうすれば良いのかわからない。ファルハルドの居心地の悪さは増す一方である。




 そんなファルハルドにとっては居心地悪くも順調な旅程は過ぎゆき、エンサーフの月八日(上のセダの日)、一同はかつてファルハルドがジャンダルやモラードたちと一緒に訪れたことのあるエルメスタの停泊地へと辿り着いた。


 停泊地は相変わらずの賑わいだ。情報交換や商品の仕入れに立ち寄るエルメスタの人々や、近在の村々からの買い出しの人々で混雑している。


 ファルハルドがこうしてこの停泊地に足を踏み入れるのは五年ぶりとなる。傭兵派遣される時もこの停泊地を通ったのだが、その時は檻車から降りることは許されなかった。

 今回は眠る場所は檻車の中でとされているが、それまでは自由に歩くことが許されている。


 ファルハルドはヴァルカやファイサルと共にのんびりと停泊地内を見て回る。多くの店が開かれ、そこかしこで楽器の演奏も行われている。実に活気がある。

 昔出会ったナーディルやザーンの姿はないが、それでも変わらぬ風景にファルハルドは懐かしさを覚えた。


 夜には酒盛りが行われ無償で飲み食いできるが、昼は各自で好きに食事ガーザを購入することになる。


 ファルハルドは平焼き包みを見かけたので三人前を購入してみた。


 この平焼きは小麦粉二、大麦粉八の割合で混ぜたものを捏ねて、薄く焼き上げている。その平焼きで、焼いた羊肉と新鮮な葉物野菜に甘辛いたれと香草ザブズィーを絡めたものを包み込んでいる。


 ヴァルカは具沢山の汁物スーペを、ファイサルはアーブで割って薄めた葡萄酒シャラベを持ち寄り、空いた場所に腰を下ろし食事を摂る。


 この平焼き包みはファルハルドにとっては少しばかり味が濃過ぎたが、汁物を口に含めば丁度良い具合となった。


 ファイサルは神官という立場もあってか、あまり旨い不味いを口にしないが、食事としては肉を好んでいるようだ。今回の食事は好みに合っているようで、普段よりも少し食事の進みが早かった。

 ヴァルカも珍しく、旨いなと呟いた。



 ファルハルドはなにげなく聞き流しかけて、ふと気付く。


「味がわかるのか」


 ヴァルカはファルハルドと再会した際、なにを見ても色がわからず、なにを食べても味がわからず、痛みもほとんど感じないと言っていた。

 それを思い出し尋ねてみれば、最近は少しだけ色や味が感じられる時があるのだと言う。


「痛みなんかも、鈍くだが感じられるときがある」


 それがなにを意味するのか、ファルハルドにはわからない。それでもきっと良いことなのだと思った。ファイサルも「それは良い」と言っている。




 食事を終え、ぶらぶらと店を見て回る。露店で目を惹かれる物があり、足を止めた。


 それは髪飾り。植物を抽象的にかたどったもので、小さな木の実を赤い貴石で、木の葉とそれをまとめる蔓草をノグーレで造った小指ほどの大きさのささやかな髪飾りだ。


 値を訊いてみれば、さほど高価な物でもない。高級娼婦であったレイラが身に着けるにはみすぼらし過ぎるかも知れない。それでも、ファルハルドはこの髪飾りがレイラに似合うと思った。


「一つ貰えるか」


 丁寧に布でくるんで大事そうに腰の後ろの小鞄に収めるファルハルドを、ヴァルカとファイサルは微笑ましく見ている。



 モラードやジャンダルたちにもなにかをと思ったが、これというものが思いつかない。


 モラードやジーラはこの二年でだいぶ大きくなっているだろう。エルナーズは結婚しているかも知れない。

 ニユーシャーやラーメシュはあまり変わっていないかも知れないが、モラードたちへの手土産は一度パサルナーンへ戻り、ジャンダルから様子を聞いてからにしたほうが良いだろう。


 ジャンダルやバーバクたちへの手土産もこれという物が思い浮かばない。


 迷宮挑戦者であるジャンダルたちへ贈るなら、やはり武具のたぐいが良いだろうか。

 それならパサルナーンで探したほうが探しやすく、なによりすでにそれぞれが自分たちに合った武具を自分で用意しているだろう。


 となると、なにか摘まめる物が良いのだろうか。

 そう思い改めて探すと、ある店で家伝の製法で作っているという果物の蜂蜜漬けを見つけた。


 林檎スィブ生姜ザンジェフィルを薄切りにし蜂蜜アサルに漬け込んだもので、中の林檎や生姜が東国でしか採れない品種であり、特別な香辛料アドヴィーエジャートも加え、さらには蜂蜜も蜂蜜漬けに最適な種類の花の蜜を選び抜いているという話だ。


 そのまま食べても良いし、お湯に入れ茶の代わりとしても、あるいは酒に加えても美味しいのだとも言う。

 ならばこれで良いかと購入した。



 瓶に入っており少し重量があるので、荷馬車に載せようと馬車を停めてある街外れへと向かう。エルメスタの者たちの馬車は広場に停めてあるが、その以外の者たちは街外れに停めているのだ。


 馬車へと向かう途中で、同乗している人相の悪い男がエルメスタの店主相手に声を荒げている現場に行き当たった。


 向こうもファルハルドに気付いた。ファルハルドが無言でじっと見詰めれば、急に大人しくなり足早に店頭から立ち去ろうとする。ヴァルカは完全に軽蔑した目を隠そうともせず、ファイサルも不快そうにしている。


 ファルハルドは気になることがあり、呼び止めた。


「なあ、あんた」


 人相が悪い男は怯え、油の切れた機械のようなぎこちない動きで振り返った。


「これは贈り物にか?」


 さっきまで人相の悪い男が手にしていた物を手に取り尋ねた。


 それは小さな白い陶器の容器。店主に尋ねれば、中に入っているのは手荒れに効き、さらに肌を柔らかく、美しくする効果のある軟膏だと言う。


 この男が自分で使うためではないだろう。男の手は戦う人間らしく、硬い胼胝たこだらけであちらこちらに無数の傷痕がある状態なのだから。


 男は言い淀んだが、最終的にパサルナーンで待っている妻のために購入しようとしたのだと認めた。


 やはりそうかと納得する。

 ファルハルドが気付いた理由は簡単だ。この店に並べられている商品は化粧品ばかりなのだから。自身、レイラへの手土産を探したファルハルドはそのことに一目で気付いた。


 聞けば、この男は三年の刑期で苦役刑を科されていたのだと言う。

 一刻も早く妻が待つパサルナーンへ帰るため、男は懸命に働いた。傭兵としての勤めは当然として、それ以外に休む時間も惜しみ、清掃などの細々とした裏方仕事を行う雑役夫としても働いた。


 そうやって稼いだ金を使い、予定よりも七箇月早く刑期を終えることができた。


 ただ、この男は罪を犯すだけあり、少しばかり考えが足りなかった。稼いだ金を全て刑期短縮のために使ってしまい、パサルナーンに帰り着くまでの食費にも事欠く始末なのだ。


 空腹に関しては水を飲んで腹を膨らませたり、同乗する者から分けてもらい凌いでいたが、手土産に関してはどうにもならない。

 それでも、どうしてもこれを水仕事で手を荒らしていた妻に贈ってやりたくて恫喝まがいの値切りを行っていたのだ。


 値段を聞けば、中銅貨オル七枚だと言う。それをなんとか中銅貨一枚に値切ろうとしていた。無理押しにもほどがある。


 話を聞き、ファルハルドは自分が銅貨を出すと言った。男は素直に受け取らない。それは確かにそうだろう。わずかなりとも誇りがあるのなら、他人からの施しなど受け取れる筈がない。


 もっとも、食事を他人に分けてもらい、店主を脅して値切ろうとする人間が誇りと口にするのはちゃんちゃら可笑しいが。


 渋る男にファルハルドは告げる。


「自分を待っていてくれる者に手土産の一つも贈りたい気持ちは良くわかる。自分も同じだ。銅貨はパサルナーンに戻って余裕ができれば返してくれればいい」


 それでも躊躇う様子にファルハルドはさっさと店主に銅貨を払い、商品を男へと投げ渡した。


「待ってくれている者を喜ばせてやってくれ」


 言うことを言うと、ファルハルドは返事を待たず馬車へと歩いて行った。

 ヴァルカは薄く笑う。


「意外だな。お前なら気に掛けないかと思ったが」

「そうだな」


 確かにファルハルドにとっても自分の行動は意外であった。

 だが、あの男の、手土産を贈って待ってくれている者を喜ばせたいという気持ちは自然と理解できた。なにもせず見て見ぬふりをする気にはなれなかったのだ。


「ま、悪かないけどな」

「善行ですな」


 ファイサルは力強く断言する。


 荒々しき戦神の教義に基づけば、望むものがあるなら施しを求めず自らの力で勝ち取れとなるが、それをあのような者に説いてしまえば、おそらく表面的な理解の下、強盗にでも走ってしまうだろう。


 神の教えはそんなことではない。

 努力し、困難を乗り越え、自らの力で望みを叶えよと説いているのだ。そう、まさにファルハルドが行っているように。


 そして、その教えは人々が助け合うことを否定するものではない。特に力ある者が力なき者を助けるのは義務であるともしている。

 よって、ファルハルドの先ほどの行いはファイサルの目から見ても満足できるものであった。



 後ほど顔を合わせた時、人相の悪い男は丁寧に感謝を述べた。

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