98. 苦役刑の終わり /その②
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若干気が重くなりはしたが、じっとしている訳にもいかない。ファルハルドは檻車に乗り込むため荷物を担ぎ歩き出す。
ただ、ファルハルドは不審を覚えた。なんだか人が多い気がする。ファルハルドは足を止め、目を眇めた。
なんだと見てみれば、ジャコモとゼブ以外にファイサル神官とヴァルカが当然の顔で檻車に乗り込もうとしている。
「どうしたんだ」
ファルハルドは思わず尋ねた。ファイサルはさも当然のように答える。
「まだ、イシュフールの言葉を学んでいる途中ですからな。其方が行くところにどこまでも付いていくぞ」
そんなことだろうとは思った。
石碑に彫られていた文章についてはすでに教え終わっている。ただ、その過程でファイサルはさらなる興味を覚えたようで、イシュフールの言葉を完全に覚えたいと希望するようになっていた。
だから、こうして付いてこようとするのはわからなくもない。しかし、それには不都合がある。
「それでは団にいる神官がジョアン神官のみとなってしまう」
元々、ジョアンが戦闘に適した法術を使えないために、ファイサルに団に来てもらったのだ。ファイサルにとっての団に来た目的はイシュフールの言葉を学ぶことかもしれないが、これからいよいよ活動期に入るというこの時期にいなくなられては皆が困るだろう。
ファルハルドはそう考えたが、その点に関しては対策を打ってある。ダリウスから説明した。
「問題ない。春になれば、荒々しき戦神の神殿から新たな神官殿を派遣してもらえるよう話が付いている」
ファイサルもこの傭兵団で一年近い時を過ごし、この傭兵団の面々が気に入っていた。そのため、団が困らないだけの手配をきちんとしているという訳だ。
新たな神官がやって来るまで、多少の期間が空いてしまうのはご愛敬というものだろう。
パサルナーンにまで付いてきてファイサルがどこに身を置くのかなど気になる点はまだあるが、差し当たり団が困らないだけの準備ができているのであれば、ファルハルドはそれ以上口を挟もうとは思わない。
それよりも、もう一人の人物のことが気に掛かる。
「ヴァルカ、あんたはどうしたんだ」
傭兵働きを辞め、またパサルナーン迷宮に挑むことにしたのか。
それは個人の自由だが、今この傭兵団にはヴァルカが賊働きをしていた頃の仲間が所属している。随分ヴァルカを慕っているように見えたが、それを放っておいて一人パサルナーンへ行くというのだろうか。
そうなら、あまり感心できることではない。
ファルハルドはそう考えたが、どうやら違うらしい。
ヴァルカはイルトゥーランの暗殺部隊に狙われるファルハルドの道中が心配で、パサルナーンまでの護衛を買って出たのだ。
「お前には借りがあるからな」
信じていた者に裏切られ、友も将来を約束した女性も失い一人生き残ってしまった苦しみから賊へと身を堕としたヴァルカの心は、ファルハルドによって救われた。
その恩義を返したいのだと言う。
それは決してファルハルド一人の働きではない。ヴァルカたちを受け入れたダリウスを初めとした傭兵団の面々のお陰であるとファルハルドは考えるが、ヴァルカはすでにダリウスと話を付けていた。
ファルハルドをパサルナーンにまで送り届け、その後は再びこの傭兵団に戻り傭兵稼業を続けるのだそうだ。
「まだ先のことはわからないがな。それでも、今は受けた恩や犯した罪、その一つ一つを返していきながら、自分が行ってきた全てのことを見詰め直したいんだ」
そう言われてしまえばファルハルドはヴァルカの申し出を断れない。そうか、とだけ応えた。
改めて荷物を持ち、檻車に乗り込む。出入口部分は閉じられ閂を通されるが、今回は錠を掛けられたりはしない。すでに刑期が終わっているからだ。
カリムが合図し、御者が手綱を一当てする。檻車は動き出す。
少しずつ遠ざかり始めた檻車に向け、オリムが声を張り上げた。
「おい、ファルハルド。なにか困ったらよ、いつでも便りを寄越せ。頼りになる男前の隊長様が助けてやっからよ」
ファルハルドは笑う。まったく、オリムは素直ではない。
「ああ、奴らと戦う時は連絡する。そちらが戦う時は連絡をくれ。俺も加わる」
ファルハルドと黒犬兵団の皆との間には共通の敵がいる。
イルトゥーランの暗殺部隊。個々に襲ってくるのならばその場その場で返り討ちにするのみだが、用意を調え、奴らといよいよ決着を付けるとなるならばその時は協力し合える。
ただ、オリムが言った意味はそういうことではない。
「馬鹿野郎、つまんねぇこと言ってんじゃねぇぞ、ボケが。困った時は頼れ、つってんだよ、クソボケ野郎」
なるほど。ファルハルドのオリムへの理解はまだまだ浅かったようだ。思っていた以上に、お人好しだったらしい。
「わかった。もしもの時はよろしく頼む。ありがとう」
ファルハルドは遠ざかる皆に向け、大きく手を振る。団員たちは笑顔で手を振りかえし、ファルハルドたちを見送った。
ちなみに、アヴァアーンから連れてこられた困り者たちがファルハルドたちをうらやましそうな顔で見ていたが、それは全部無視である。
ファルハルドは思う。
この地にはパサルナーンで起こした騒動の罰として送られてきた。
しかし、ここで過ごした日々は、自分にとって貴重な日々であったと。迷宮攻略を進めるという意味に於いても、一人の人間が生きるという意味合いに於いても、掛け替えのない経験を積むことができたのだと、そう思う。
良きことだけがあり、なに一つ罰になっていなかったと言えば、皆が物言いたげな顔になる。
「いや、それ、お前だけだからな」
ジャコモはなに言ってんだと言いたげな顔を向ける。
「そうだのう。若様には感謝してもよいが、罰にならなかったとは言わないほうがよいな」
ゼブは複雑そうな表情を見せる。
「実に逞しいことではあるが……、さすがにそれはどうなんだ」
ファイサル神官も反応に困る。
「やっぱ、お前変わってるよな」
ヴァルカも呆れている。
「我々としては補償さえ済めば問題ないのだが……、えっ、マジで言ってんの」
カリムも保安隊隊員として頭が痛そうだ。
ファルハルドには皆の反応こそが理解できない。
闇の怪物たちの蠢くこの世界で、戦いはどこであろうとも存在する。確かに人同士の戦は性に合わず、あまり参加したくはないが、罰というほど大袈裟なものではない。どちらにしろ、戦い続ける日々に変わりはないのだから。
ファルハルドがそう言えば、全員が無表情で遠い目になっていた。
「感性が違い過ぎる。こんな危険人物をパサルナーンに連れ帰っていいんだろうか」
思わず漏れたカリムの呟きを誰も否定できない。皆、悟った表情で頷いている。
やはりファルハルドには意味がわからない。
腕を磨くことができ、ワリド村長の子供であるナヴィドやサルマ、さらにスィヤーに出会えたのだから、むしろここに送られて良かったと続ければ、皆は互いに目を見合わせ頭を掻いた。
「ま、まあ、そんな柔らかい笑顔が少しはできるようになったのなら大丈夫か、な?」
カリムは苦しい言い訳に聞こえなくもない言葉を絞り出し、どうにか自分を誤魔化していた。
「それに」
ファルハルドは続ける。
「見事な男たちとも出会えた」
皆もそれは否定しない。それぞれが出会った者たちに思いを馳せ、過ごした日々を思い返す。
次話、「凶報」に続く。
来週は更新お休みします。次回更新は4月16日予定。




