97. 苦役刑の終わり /その①
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年が変わり、二の月の半ば。ここ黒犬兵団の冬営地では団員たちが広場に集まっている。
その中心にいるのはファルハルド。足下にはわずかな私物が入れられた一つの革袋と大量の木札が詰められた大きな二つの革袋が置かれている。
これから馬車に乗るために。
そう、この冬の終わりと共に、ファルハルドの傭兵派遣期間も終わりを迎えたのだ。
当初予定されていた傭兵派遣の期限は半年ほど先であった。万華通りで騒動を起こしたことに対する苦役刑の期間が二年間、その後保安隊で療養していた間の費用の弁済としてさらに半年間を傭兵として働くこととされていた。
しかし、ファルハルドには予定外の大きな臨時収入があった。雪熊将軍を討った褒美としてヴァルダネスから下された銀貨のことだ。
団の皆への奢りにだいぶ使ったが、その残り全額を当てることで、ちょうど療養期間分の費用弁済が賄えた。
いや、実は少し嘘がある。ファルハルドは気付いていないが、その弁済分にはダリウスも少し銀貨を出している。団に対してヴァルダネスから褒美が下されてたのはファルハルドのお陰だからということで。
出発の準備を整え、馬車を待ってるのはファルハルドだけではない。派遣される際一緒だったジャコモとゼブも刑期を終え、今回同じ馬車でパサルナーンへと帰る。
ジャコモの刑期は少し短く、冬の初めには期間が終了していたのだが、冬の間はパサルナーンからの馬車がやって来ないため、出発がこの時期になったのだ。
もっとも、パサルナーンの法によれば、大事なのは苦役刑を務め、与えた被害の補償を行うこと。補償さえ終えれば、その後は自分で勝手に馬車を手配しようがパサルナーンに戻らず姿を消そうが、特に咎め立てされたりはしない。
つまり、パサルナーンに戻るため、わざわざ保安隊の便を待ったのはジャコモの自由意志による。単に自分で馬車を用立てる金がなかったからだとも言えるが。
ゼブに関しては、少し話が変わる。そもそもゼブは囚人ではなかったのだ。ファルハルドは五日ほど前にダリウスの天幕に呼ばれ、そのことを聞かされた。
その日、ファルハルドはいつも通りダリウスと訓練を行っていた。今年も去年のように、いや、去年以上の熱の入り方でダリウスはファルハルドを鍛えている。そして、訓練終わりに話があると声を掛けられ、呼ばれた天幕でゼブが待っていたのだ。
そこでゼブは告げた。自分は囚人ではなく、ファルハルドの監視兼護衛の任を帯びた者であるのだと。
ファルハルドに驚きはない。そんな役目を負った人物がいても、別段不思議はないのだから。問題は一つ。誰が命じたのか、だ。
その答えはなんとも拍子抜けするものだった。
「其の方の裁きを担当した裁判官を覚えているか」
いくら他人に対して興味の薄いファルハルドでも、さすがにそれは覚えている。
「そのかたが、儂のお仕えしているガッファリー家の若様でな。若様の願いにより、この爺が一肌脱いだのだ」
わかったような、わからないような話だった。
自分の家に仕える者を使ったということは、公的な役目として派遣した訳ではなく私的な理由で行ったのだろう。
確かに万華通りでの騒動は酷く、イルトゥーランと自分の関わりも説明したが、それで注意を引いたのなら沙汰の内容を変えるなり公の機関を使うなりすればよい。個人的に人を寄越す理由がわからない。
それを尋ねると、帰ってきた答えが振るっていた。
「どうやら、其の方のことが気に入ったようでな」
ファルハルドの背中に悪寒が走り、凍りつく。顔は完全に引き攣った。
「いやいや、なにを想像しているのだ。儂は若様が産まれた時から知っておるが、生真面目でお優しいかたなのだ。
ただ、少しばかり真面目が過ぎて、人付き合いがあまり得意ではなくてな。其の方に同じ匂いを感じたのか、あるいは生国を飛び出した姿に憧れたのか。
確かなことはわからんが、なにやら、其の方が重要人物でイルトゥーランと接触するかどうかを把握しなければならないからだとか、もっともらしい理由を並び立てておったが、まあ、つまりは其の方が気に入って気に掛けておるということよ」
ゼブは実に楽しげな、揶揄うような表情を浮かべている。
どちらかと言えば、武張った実直な人柄だと思っていたが、どうやら本来の性格は結構な悪戯好きの食えない人物らしい。ファルハルドが苦い顔をすればするほど楽しげに笑う。
その様子にファルハルドはどっと疲れる。ゼブはからからと笑ってから表情を少し真面目なものにし、
「儂の目が届かん所で、何度も死にかけるので冷や冷やさせられたわい」
と零した。
それを言われるとファルハルドも弱い。護衛を頼んだ覚えもなければ、好き好んで死にかかった訳でもないが、自分でもさすがにちょっと無茶ばかりし過ぎたかと反省する部分がなくもないからだ。
ここに着いた夜にはゼブはダリウスにやって来た目的を説明していたが、すでに団内の配属を決めたあとだったことから変更することもできず、その後も隊ごとの役割もあってずっとファルハルドに張り付くことはできず、ゼブは本来の役目を充分に果たせていなかった。
それが変わったのは、一昨年の双頭犬人率いる群れとの戦いのあとだ。
どうやってか、アレクシオスがゼブの役目に気付き、それ以来、何度か共に協力して追手を片付けるようになったのだ。
だから、ゼブもアレクシオスとのつきあいは短いが、アレクシオスのことを良く理解していた。その人知れない働きぶりも、抱えていた鬱屈も。
そのアレクシオスの心を救ったファルハルドのことを、今ではゼブ個人としても一箇の人間として認めている。
それがこうして監視兼護衛役を行っていたことをわざわざ知らせた理由だ。
あとはパサルナーンに帰るのを見届ければゼブの役目は無事終わる。ファルハルドにとって多少のわずらわしさはなくもないが、気にするほどのことでもないので同じ馬車で帰ることを厭いはしない。
もっとも、「良ければ、パサルナーンに帰ったあと、若様の所に遊びに来てくれ」という誘いには無言を貫いたが。
保安隊の便とはファルハルドたちを連れてきたのと同じ、檻車と荷馬車である。今は出発の準備をしている。
ファルハルドたちが連れてこられた際には武器を身に付けることは許されず、私物も本人たちとは別の荷馬車に載せられていた。今回は刑期が終わっているということで、乗る馬車は檻車だが武器も荷物も持ったままの乗車を許されている。
保安隊の監督者は今、ダリウス団長と話をしている。出発までにはまだしばしの時間が掛かる。
その間にオリムが話しかけてきた。
「よう、虚弱野郎が死なずに済んだようだな」
相変わらずの口の悪さである。周りにいる団員たちは遠慮なく品のない笑い声を上げている。
ナーセルは笑いながら言う。
「まあ、実際よく生き残ったもんだよな。普通は二、三回死んでいてもおかしくなかったんじゃねえのかい」
なにが普通かは知らないが、死んでいてもおかしくなかったことは否定しきれない。
「薬草のことを教えてもらえたのは助かったぞ」
髭ありハサンが満足そうに言ってくる。
髭ありハサンやアイーシャたちとは何度も薬草摘みに行っていた。二年間同行し、今ではこの辺りに生える薬草の類については一通りの知識を伝えることができ、それなりに薬草の蓄えもできている。ファルハルドがいなくなっても不自由はしないだろう。
鬚なしハサンは簡単に「達者でな」とだけ言ってくる。
髭なしハサンはこの冬の間にプリヤにはっきりと想いを伝えたはいいのだが、その時なにに舞い上がったのか、大勢のいる前で突然告白し、皆に恰好の揶揄いネタを提供していた。
ただ、告白の結果は上手くいき、今では鬚なしハサンとプリヤは好い仲となっている。
そのせいで、髭なしハサンは最近はプリヤ以外が目に入らない気もそぞろな状態なのだ。
そんな状態で、これから活発に戦闘を行う活動期に入って大丈夫なのか些か心配になるが、その辺りはオリムやダリウスがなんとかするだろう。
いや、アイーシャあたりが張り飛ばすのかも知れないが。
どこにいるのかヴァルカの姿は見られない。
他の団員たちも口々に別れの挨拶をしてくる。本隊隊員たちは主にジャコモに声を掛け、ゼブは騎馬隊の者と話をしている。
そんななか、ダリウスと保安隊の監督者が姿を見せた。出発の準備が整ったようだ。
ダリウスもファルハルドへと声を掛けてくる。
「どうだ。お前さえ良ければ、このままうちの団に残ってもらってもいいんだぞ」
ファルハルドには為さねばならないことがある。ダリウスもそれは知っている。
だからこれは引き止めではなく、申し出。為すべきことを終え、それから行く当てがなければ自分たちはいつでも歓迎するという意思表示。ファルハルドもその意図を読み違えはしない。
「今は無理だが、機会があればその時は」
くどくどとは言わない。短く答えた。
「それでは出発する。乗り込め」
監督者は促した。顔を向けたファルハルドと目が合うと、監督者は微笑んだ。
ファルハルドも思い出す。考え込むまでもなく、この人物に見覚えがあった。ファルハルドが保安隊の詰所に拘禁されていた時に、見張り役として付いていたカリムだ。
カリムもこの二年間にいろいろな経験を積んだのだろう。人の良さはそのままに、その佇まいにはどこか凜々しさが感じられた。
今回、カリムが監督者となっているのは本人の希望による。
聞けば、雪熊将軍が決闘で傭兵に敗れたことは広く噂になっているそうだ。
ただ、その雪熊将軍を降した傭兵はいったい誰なのかとなると、正確な情報は伝わっていない。
ある噂では闇の怪物に育てられた死神のような狂人であるとされ、ある噂では巨人と見紛う大男であるとされている。
噂というものはそんなものだと言えばそれまでだが、人々は想像力を逞しくさせ、面白おかしく好き勝手な話を広めているらしい。
そんななか、カリムは優秀な保安隊隊員としての能力を無駄に発揮し、どうやらその傭兵というのはファルハルドではないかと当たりを付けた。
その上で今回の便でファルハルドがパサルナーンに帰ることを聞きつけ、監督者に立候補したのだと言う。
なにやってんだ、こいつ。ファルハルドは心底呆れた。
ただ、今の話には聞き捨てにならないことが含まれている。確認せずにはいられない。
「済まないが、一つ訊きたい。雪熊将軍が倒れたことはそんなにも噂になっているのか」
「当たり前だ、あの雪熊将軍だぞ。それも、一対一の決闘で敗れたんだ。世間はその噂で持ちきりだ」
カリムは尋ねられること自体が信じられないとでも言いたげだ。
パサルナーンに戻らず深山にでも身を隠そうかとの考えが、一瞬ファルハルドの頭を過ぎる。生憎、そんな訳にはいかない。
ファルハルドは溜息をつくことしかできなかった。




