20. 新たなる襲撃 /その②
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甲高い笛の音と同時に、二十頭全ての悪獣が駆け出した。
丘の半ばに達した時点で、走る速さの違いから三頭が突出する。
その三頭を狙い、まずはジャンダルが飛礫を見舞う。一頭は鼻先を、残り二頭は額の赤い目を潰した。
鼻先を潰された一頭は興奮し、さらに速度を速めた。額の赤い目を潰された二頭はその場に転がり、蜿うち回る。
鼻先を潰された一頭が唸り声を上げ、真っ直ぐファルハルドへと襲いかかる。
「兄さん、額の目を狙って」
ジャンダルの助言に従い、ファルハルドは迫る悪獣の正面に立ち額の目に剣を突き出した。剣を突き刺し、素早く回避。
額の目を刺された悪獣は弱々しい悲鳴を上げる。
一度悪獣に変じた獣は二度と元に戻ることはない。しかし額の第三の目を潰せば、獣としての生存本能は取り戻す。己より強いものに襲いかかることはなく、傷を負えば死ぬまで戦うことなく逃走する。
額の目を潰され弱った三頭の悪獣は、追いついてきた他の悪獣に喰い殺された。迫り来る悪獣は残り十七頭。
ジャンダルは次々と悪獣に飛礫を打つ。腰の袋に飛礫を二つだけ残し、残りは全て投げきった。額の目を潰せたのは五頭だけだった。
悪獣が丘の上に迫った時点で、ジャンダルはエルナーズたちが垂らした綱を使い大木の幹を駆け登る。
エルナーズに渡しておいた油壷を貰い、それを最も身体の大きな個体を狙いぶつけた。
しばらく時間は掛かったが、やがて火の囲いに触れ油を浴びた身体が燃え上がる。
身を燃やされようとも、悪獣は止まることはない。だが、その火が額に達した時、苦悶の叫びを上げた。
苦しみ蜿うち回る悪獣にぶつかり、さらに別の二頭にも火がついた。
悪獣は残り十一頭。うち二頭は半身が火に包まれている。
「兄さん、風上に逃れて」
ジャンダルは樹上から手持ちの紅森蛙の粉を全て投げつけた。風下側で近い位置にいた四頭に紅森蛙の粉が降りかかる。
中心二頭が悲鳴を上げる。額の目は潰れてこそいないが、瞳は閉じられ凶暴性は大きく減じた。残りの二頭も口や喉が腫れ上がり、呼吸が儘ならない。
続けてジャンダルは毒茸の粉を投げつけた。さらに別の二頭の動きが鈍る。これでジャンダルに使える薬は全て使いきった。
悪獣の残りは十一頭。うち三頭は無傷。八頭は弱っている。
十一頭の悪獣に、ファルハルドが立ち向かう。
ジャンダルは支援するために葦笛を取り出した。『眠りの笛』が使えればよかったが、『眠りの笛』は人間相手にしか効果がない。
悪獣が相手のこの場では別の旋律を奏でる。奏でるは、『勇猛の調べ』。疲労を軽減し、わずかながら身体能力を引き上げる。
ファルハルドは高められた力を使い、悪獣の攻撃を躱し斬りつける。傷こそ負わすが、異常に発達した筋肉に阻まれ、致命傷には程遠い。
回避を優先しつつ、筋肉に覆われていない足先を斬り飛ばす。悪獣たちが怯むことはないが、その機動力は格段に落ちた。
ファルハルドは集中する。無傷の三頭が正面と左右から同時に迫る。後ろに跳び、牙を躱す。
悪獣たちは互いにぶつかる。すかさず小剣を地面に刺し、小剣を支点に悪獣たちを跳び越えた。
遅れて迫る火傷を負った二頭を斬りつけながら、その間を擦り抜ける。
ジャンダルの薬により、弱り蜿うつ悪獣たちを仕留めていく。
額の赤い目を刺すが、回避が遅れ、振り回される爪が剣を持つ腕を傷付ける。
背後から悪獣が迫る。見ることもなく、気配だけで把握し避ける。
だが、完全には避けきれない。鋭い爪がファルハルドの背を切り裂いた。
ファルハルドは立ち止まらない。鼻先を蹴りつける。
悪獣は、興奮し跳びかかる。ファルハルドはより高く跳んだ。宙でその額の目を貫いた。
悪獣は完全に戦意を失い、地に落ちる。落下地点にいた別の悪獣を潰す。
ファルハルドは地に降り立つと共に、止まることなく剣を振るう。
回避、斬りつけ、隙を見て額の目を突き刺し。延々と繰り返し、ジャンダルの薬を浴び弱っていた六頭を倒した。
悪獣の残りは五頭。うち二頭はすでに火は消えていたが、半身に大火傷を負っている。それ以外の三頭もまた、最初のままの状態ではない。
駆け、止まり、方向を変える。その度に自らの強過ぎる力の反動により、その身に損傷を受けていく。悪獣たちの身体は軋み始めている。
だが、ファルハルドもまた最初のままではない。深手こそないものの、腕と背中を中心に無数の傷を負っている。
他の者では躱すことすらできない群れとの戦い。
暗殺部隊との戦闘経験がなければとうの昔に咬み殺されていただろう。
死角から狙う暗殺部隊の剣を身体が覚え、無意識に見えない攻撃を避ける動きが沁みついていたお陰である。
それでもファルハルドに余裕はない。集中力の必要な長時間の戦闘に疲労が限界に達しようとしていた。
『勇猛の調べ』の効果があっても呼吸は乱れ、すでに腕は別人のもののように重い。だが本能の狂った獣たちは休むことなく襲いかかり、呼吸を整える暇もない。
正面から二頭、右手から一頭、少し遅れて背後からも一頭が牙を剥き出し、同時に跳びかかる。
素早く左に移動。右から来る悪獣に向き直る。正面と背後から向かって来ていた三頭は、その勢いのままに行き過ぎる。
右から来ていた一頭が、今ファルハルドに正面から真っ直ぐ迫る。
額の目に向け、剣を突き出す。赤い目を貫くその前に、背後から残りの一頭が襲いかかった。
右に一歩移動し、間一髪躱す。間を空けず、先ほど正面から行き過がせた二頭が再びファルハルドに牙を剥く。
その時、樹上のジャンダルからの飛礫が一頭に放たれた。額の目に当たり、潰せはしなかったが怯ませた。
迫るもう一頭の額の目をファルハルドが剣で突く。悪獣は悲鳴を上げ転げ回る。巻き込まれぬよう大きく距離を取る。
そこを狙うかのように、二頭の悪獣が唸り声と共に迫りきた。回避に専念。だが、その動きによりジャンダルたちのいる大木からはますます距離が開いてしまう。
ジャンダルはファルハルドほどには夜目が利かない。日も落ち、火からも離れられれば動く相手に飛礫を当てることは難しい。
三頭の悪獣がファルハルドに襲い来る。その後方には、先ほどジャンダルが額の目に飛礫を当てた一頭が向かって来る姿も見える。
ファルハルドは襲い来る三頭のうち、真ん中の一頭に向かって跳躍する。
疲れきった身で『身軽さ秀でるイシュフール』の名に恥じぬ跳躍を見せた。
落下の勢いを全て載せ、襲い来る悪獣の額の目を蹴りつける。
反動を利用、再び跳ぶ。剣を逆手に持ち、振りかぶった。
他の悪獣たちの後方から、遅れて迫り来る悪獣の額の目に深々と剣を突き立てた。一撃で悪獣を絶命させる。だが、深く刺さった剣は容易には引き抜けない。
剣を抜こうと動きが止まったファルハルドに、残り三頭の悪獣のうち額の目を強く蹴られた一頭を除く二頭が迫る。
「兄さん、使って」
ジャンダルが自分の腰に佩く剣を投げた。ファルハルドは振り返ることなく剣を掴み取る。握った剣を振るい、一頭の悪獣の上顎の犬歯を叩き折った。
もう一頭、ファルハルドの喉に喰らいつこうとした悪獣の口に剣を突き立てる。強靭な悪獣であっても脳髄を貫かれれば絶命する。
一頭は仕留めたが、上顎の犬歯を叩き折っただけのもう一頭がファルハルドの右腕に喰らいついた。凄まじい顎の力で腕を喰い千切らんとする。
ファルハルドは必死に左手の指で悪獣の額の目を抉った。弾力のある柔らかいものの潰れる感触と共に、悪獣は悲鳴を上げ戦意を失った。
残る悪獣はただ一頭。だが、もはやファルハルドは右手で剣を握ることはできない。移動するだけの体力も残っていない。
左手で剣を抜き、悪獣を待ち構える。出血と疲労、痛みで霞む目を見開き、最後の悪獣との相打ちを狙う。
悪獣は咆吼を響き渡らせ、ファルハルドに向かって駆け出した。
機会は一度。ファルハルドは遠のこうとする意識を奮い立たせ、一瞬一度の機会を狙う。
その時、ジャンダルが樹上から飛び降りた。間髪入れず飛礫を打つ。
だが、飛び降りた際どこかを痛めたのか、狙いは外れ飛礫は悪獣の足に当たった。
悪獣の勢いはわずかに緩んだ。しかし、止まることはない。
ジャンダルが雄叫びを上げる。全身の発条を使い全ての力を乗せ、最後に残ったただ一本のナイフを投げた。
月明りを反射し、一筋の流星が走る。
悪獣は無言で崩れ、地面を削り、ファルハルドの足元で止まった。その額の目にはジャンダルのナイフが深々と刺さっていた。




