96. 悲壮 /その⑦
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次の日、団員を集めアレクシオスの弔いを済ませたダリウス団長は、用があるとアヴァアーンへ出掛けることにした。
そろそろ闇の領域から怪物たちが大挙し押し寄せる時期となる。だが、その点に関し、ダリウスやワリド村長は楽観的な予想を立てていた。
理由は簡単だ。昨年あれだけの規模の群れを殲滅したからには、経験上今年の襲撃は比較的軽度なものになると知っているからである。
勿論、油断はできない。それでも、昨年よりも団員の数は大幅に増え、特にミブロスの傭兵団から移籍した二十名弱の傭兵たちは歴戦の猛者たち。
充分な準備の下、防衛設備もある両開拓村で迎え撃つのなら、もしもの事態が起こった際にダリウスがいなくともなんとかなるという判断だ。
そして今年、討伐隊を編成しないのはアレクシオスが抜けた穴を埋められないのも理由ではある。
縦横無尽に開拓地内を転戦する討伐隊に物資を届け、負傷者を連れ帰る騎馬隊がいてこそ、討伐隊はなんの憂いもなく戦いに専念できるのだ。
アレクシオスがいなくとも騎馬隊の戦闘力そのものはさほど低下していないが、武装輸送隊としての働きは的確な判断を行える者がいてこそ。この点に関し、アレクシオスの抜けた穴を埋めることができる者がいない。
今後、騎馬隊をどうするのかは改めて考えるとし、一時的に騎馬隊は本隊所属の小隊として、副隊長格であったエルキンを小隊長とすることにした。
これらのことを決め、ダリウスはアヴァアーンに向けて出発した。
ダリウスがいない間はオリムが団を預かることになる。
オリムの様子は変わらない。今までと同じく豪快に笑い、皆と馬鹿なことを言い合っては笑い転げている。
ただ、一つだけ変わった。アレクシオスの弔いを済ませた次の日から、ぴたりと酒を断ったのだ。
別に他の者が呑むのを邪魔する訳でもなく、呑まなくとも呑んでいる者と同じくらい陽気に騒ぎもする。
それでも、決して酒を口にすることはなくなった。そして、団員たちは誰もそのことに口出しする者はいなかった。
オリムを含め、団員たちのファルハルドへの態度が変わることもなかった。
なにがあったのかは二人の戦いを見ていた団員たちの口から語られている。皆はファルハルドの行いになんの問題もないと認めている。
そうは言っても、少なくとも自分たちの隊長が殺された騎馬隊の者たちがなにも思わないとは考えられない。
ファルハルドは弔いの場で騎馬隊の者たちへと話しかけた。どれほど罵倒されても仕方がないと考えながら。もし仇討ちを望まれるなら、決闘に応ずると覚悟を決めて。
だが、新しく小隊長となったエルキンはファルハルドに感謝の弁を述べた。ファルハルドのお陰で隊長は誇りを持って逝くことができた、と。
ゼブを初めとした他の隊員たちも口々に同じことを口にする。
隊員たちは気付いていた。アレクシオスがなにか、誰にも言えぬ苦しみを抱えていたことを。そして、それは自分たちではどうにもできぬことであることも。
だから隊員たちは感謝する。ファルハルドがアレクシオスの心を救ってくれたことを。ファルハルドのお陰で、アレクシオスは最後に晴れ晴れしい気持ちで逝くことができたことを。
感謝の気持ちの表れとして、エルキンはファルハルドに騎馬隊に移らないかと誘ってきた。
ただ、これは丁重に断った。
これまでにファルハルドはアレクシオスに誘われ何度か騎馬隊に顔を出し、馬の扱いを教えてもらっていた。
だが、御者のやり方や常足で馬を歩かせることはできるようになっていたが、速足で駆けさせることはまだできない。それではとてもではないが、馬に乗って戦うなど不可能だ。
そして、ファルハルドが苦役刑を務めるためにこの傭兵団で過ごさねばならない期間は、もうすぐ終わる。残りの時間で、騎馬で戦えるほど乗馬技術が上達するとは思えない。
そのことを話せば、エルキンは残念そうな素振りは見せたが、どうしてもとは言わなかった。それでも、気が向けばいつでも馬に乗せてやるので遊びに来いとは告げる。他の隊員たちも同意するように頷いている。
ファルハルドもこの秋の襲撃を乗り越えることができ、時間に余裕のある冬営地でなら顔を出すと約束する。
そうして、普段よりは多数かつ高頻度、しかし去年よりは軽度の怪物たちの襲撃を撃退する日々を送るなか、七の月二十九日、ダリウスがアヴァアーンより帰還した。
東村に駐在している全団員を広場に集合させる。オルダやユーヴを初めとした幾人かの村人たちも興味深そうに遠巻きに眺めている。
去年よりは軽度とはいえ、闇の怪物たちの襲撃が続くなか、西村に駐在している団員たちをこちらに喚ぶ訳にはいかず、今集合しているのは東村にいる者だけとなる。
オリムは西村にいるためここにはおらず、斬り込み隊はファルハルド以外にナーセルとヴァルカが集まっている。
本隊は半数が、騎馬隊はちょうど人員と物資を両開拓村間で移動させる役目で東村に来ていたことから全員がいる。
女性たちはジョアン神官とプリヤがおり、アイーシャやニース、他にタリクたちは西村に駐在している。
ダリウスは皆を見回し、ゆっくりと話し始めた。
「皆もすでに知っている通り、我が団の副団長を務めるアレクシオスが死んだ。生死は戦士の常。なれど、俺は認めることができん」
ダリウスからは濃密な怒気が吹き荒れる。皆は唾を飲み込むことすらできず、顔色を真っ青へと変える。ほとんどの者たちが気付かぬうちに身体を震わせていた。
それでも騎馬隊の者たちはわずかに立ち位置を変え、ダリウスから守るようにファルハルドをその背に隠した。
といって、ダリウスの怒りはファルハルドに向かいはしない。
「あいつは故国から追放され、他に選択肢などないなかで結んだ契約に縛られ、イルトゥーランの暗殺部隊に手を貸した。家族を生かすためには結ぶしかなかった、遙か昔の契約のためにだ。
許せるか。ただ一度の過ちに縛られ、その人生を台無しにされるなど。
臑に傷を持つのは皆も同じであろう。俺も同じだ。なぜそんなものに苦しめられなければならん。
人生とはそんなものであるのか。過ちとはそんなにも許されないことなのか。
俺は許せない。仲間を苦しめた者どもを。
さらに暗殺部隊の者どもは、卑怯にもアレクシオスの弟家族を人質に取り、言うことを聞かせたという。
俺は許せない。戦士の誇りに懸けて、そんな薄汚い所業を許すことができない。
聞け、戦友たちよ。我らはこれよりイルトゥーランの暗殺部隊を敵と見定める。奴らを叩き潰すその時まで、この地を離れることはない。アルシャクスに居を定め、イルトゥーランと接する最前線で戦い続けるのだ。
戦場を駆け抜け、戦士たちを叩き伏せよ。手を焼いたイルトゥーランが、暗殺部隊を差し向けてくるその時まで。
そして、償わせよ。奴らの流す血をもって。贖わせよ。奴ら自身の命をもって」
皆は身を震わせた。先ほどまでの恐怖とは違う、昂りから。
ダリウスの熱い怒りは皆の胸にも火を付ける。皆は高揚し、拳を握る。
「我らは旗を掲げる。誓いの旗を」
ダリウスの後ろに控えていたサミールが旗を高く掲げた。それはダリウスの髪や瞳の色に似たくすんだ赤色の地に、大きく二頭の獣が染め抜かれた大旗。
その旗を見、団員たちは驚きの声を漏らした。ファルハルドも衝撃を受ける。
布の中央に大きく染め抜かれた二頭の獣とは犬、そして馬。地を駆ける黒犬と寄り添い走る白銀の馬が描かれていた。
「我らの名を定める。『黒犬』。我らはこれより『黒犬兵団』を名乗る。
猟犬たちよ、地の果てまで駆け抜けよ。どこまでも駆け抜け、獲物の喉笛を咬み破れ。
吠えよ。雄叫びを轟かせよ。奴らを恐怖のどん底に突き落とせ」
団員たちは吠える。昂りを乗せた雄叫びを。遠きイルトゥーランの地にまで届けとばかりに。
皆はダリウスの思いに胸打たれている。
旗に描かれている二頭の獣が意味するものを理解したために。それが描かれている理由を理解したために。
黒犬とはスィヤー、そして白銀の馬が表すものはアレクシオス。
スィヤーは犬。そして、アレクシオスは見方によっては裏切り者とも言える。それでもダリウスは、『黒犬』を団の名として定めるほどに、両者を団を表す旗とするほどに、スィヤーもアレクシオスも大切に思っているのだと。
ダリウスは厳しい人物だ。戦士の誇りを汚すことを決して許さない、甘さなどない人物。だが同時に、死んだ全ての団員の名を覚えているほどに情け深い人物。
その情け深さがスィヤーやアレクシオスにまで及ぶのならば、当然自分たちにも及ぶのだと疑うことなく信じられた。ダリウスの下でなら死ぬことに怖れはない。誇りを持ち、死を怖れず、どこまでも共に戦える。
団員たちは吠える。その胸に生じた感動のままに。
ダリウスは太守であるヴァルダネスと話をするためにアヴァアーンに向かったのだった。
今後はイルトゥーランを明確に敵と定め、ずっとアルシャクス領内で活動すると話しに。
そして、後ろ盾となってくれないかとの要望を伝えた。希望を叶えてくれるなら、その証として旗を賜ることができないかとも。
ヴァルダネスは二つ返事で認めた。
ただ、ダリウスは一点、ヴァルダネスを謀った。
団の旗として、黒犬と白銀馬の絵柄を希望したが、ヴァルダネスはその白銀の馬はアルシャクスを表し、アルシャクスへの忠誠を表すものと解釈していた。
ダリウスもヴァルダネスがそう誤解するように話を持っていき、そのお陰で話が順調に進んだ。
多少の誤解はあるが、ここにダリウスたちも自分たちの進む道を定めた。
次話、「苦役刑の終わり」に続く。




