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深奥の遺跡へ  - 迷宮幻夢譚 -  作者: 墨屋瑣吉
第二章:この命ある限り

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94. 悲壮 /その⑤



 ─ 7 ──────


 アレクシオスの身体から力が抜ける。ぐらりと崩れ、地面へとその身を横たえた。

 ファルハルドも限界。その場に両手と両膝をつき、荒い呼吸を繰り返す。



「見事、だ」


 アレクシオスは血を吐き出しながら、ファルハルドを褒めた。


 ファルハルドの剣はアレクシオスの肺を貫いた。とてもではないが喋ることができる状態ではない筈だが、アレクシオスは確かに言葉を発した。

 溢れ出る血は大部分が傷口から抜けているのか、アレクシオスが横たわる部分から地面はどんどん血に濡れ、色を変えていく。



 再びアレクシオスが口を開く前に、ファルハルドは尋ねた。


「なぜなんだ」


 アレクシオスは笑う。


「今、に、なって尋ねる、か……。まあ、よい。勝、者の権利、という、ものだ、な」


 アレクシオスは苦しげに息を乱しながら、それでも答えた。呼吸音はときに甲高く、ときに濁り、耳障りなその音は聞く者にアレクシオスがもう助からないことを知らせている。


「私、はイルトゥーランの、暗殺、部隊、と、関わ、りがある。そ、して、あなたの、殺害指示が伝え、られた。それ、だけだ」


「本当なのか」


 ファルハルドは疑問を持った。それでは辻褄が合わない。


「今になって、初めて俺の殺害を命じられるのか?

 奴らは各地に手の者を配置している。俺がこの地に派遣されることも、俺が知らされるよりも早く知っていた筈だ。


 仮になんらかの事情で把握していなかったとしても、この地はイルトゥーランと接している。俺が着いてすぐに、ここにいることを掴んだ筈だ。

 今頃になって指示が来るとは考えられない」


「…………」



 アレクシオスは答えない。


 ファルハルドは気付いた。やっと気付いた。沈黙を続ける態度から、言葉を隠す横顔から、アレクシオスが口にせぬ感情を。誇り高いその思いを。

 そして、なぜイルトゥーランとの国境に接するこの場所で、これまで暗殺部隊からの襲撃がなかったのか。その理由を理解した。


「あんたが守っていてくれたのだな」


 アレクシオスは否定しない。そう、アレクシオスは人知れず、戦っていた。ただ一人で、ファルハルドを暗殺するために送られてきた追手たちを排除し続けてきた。


 ファルハルドに借りがある訳ではない、何人なんびとかに頼まれたのでもない。ただ、己の誇りに従った。


「……誰であろ、うが、一度、入団した、のなら仲間、だ。仲間を、傷付け、させなど、し、ない」


 アレクシオスの言葉が、思いが、胸に迫る。


 それがどれほど困難なことであるのか、自身暗殺部隊と戦い続けたファルハルドには容易に想像がつく。

 ただ戦うだけでも困難な相手であるのに、アレクシオスはずっと暗殺部隊の目を欺き続け、人知れず、誰も頼らず、一人ファルハルドを守り続けた。


 ファルハルドを殺すことのほうが遙かに容易いというのにだ。それも、単にファルハルドが同じ傭兵団に入団したという、それだけの理由で。


「ありがとう」


 感謝の言葉が素直に口をいていた。




 戦いを見守っていたダリウスたちも集まり、アレクシオスを囲み片膝をつく。

 オリムは激高している。顔を朱に染め、大声を上げる。


「馬鹿野郎! だったら、なんで今になってこんなことしやがった」


 アレクシオスは苦痛に顔を歪める。それが肉体の痛みなのか、別の部分の痛みなのかはわからない。


「済、まぬ。……弟、が」


 アレクシオスは答えようとするが、咳き込み言葉が続かない。


「なに? 弟がなんだ。どうしたってんだ」

「私の、抗命、がばれ、弟一家、が、暗殺部、隊に、捕らわ、れた」


 ざっと全員の顔色が変わる。


「オイ、そりゃ」

「俺のせいであんたの弟たちが」


 オリムは身を乗り出し、ファルハルドは目を見開いた。だが、二人の言葉が終わるよりも先に、アレクシオスが続けた。


「大丈夫、だ。私が死、ねば、弟たち、を捕らえ、ている、意味、は、なくなる」

「だから、わざと……」


 アレクシオスは微かに首を振る。


「私は、戦士だ。わざと、負けは、しな、い。あなたか、私の、どちら、かが、死ねば、弟たち、は、解放、される。それだけ、の話だ」


 アレクシオスは咳き込みながら答えた。どんどん顔色は青く、身体は冷たくなっていく。残されている時間は少ない。



「お前ぇ……」


「私たち、一家は、私の浅はか、な、行いの、せいで祖国、を、追われる、羽目に、なった。

 そして、私が、放浪時代に、暗殺部隊、と契約を結、んだせ、いで、弟は、今、やっと、新たに得、た家族と、共に捕ら、われた。

 だから、これは、全て、私の愚かさが、招い、た、こと、なのだ」


 ファルハルドに告げられる言葉はない。無言で唇を噛んだ。


「馬鹿野郎が。手前ぇはいつだってそうだ、この大バカがよう」


 オリムは拳を握り締め、地面を殴る。アレクシオスはもう目を開けることも辛くなったのか、半ば目をつむささやいた。


「済、まん、……な」


 アレクシオスの身体から急速に力が失われていく。ダリウスがその大きな掌をそっとアレクシオスの額に当てた。


「誰にも謝る必要などない。お前は自らの大切なもののために全力を尽くしたのだ。誇れ」


 ダリウスの力強い言葉は、その掌から伝わる温かさは、アレクシオスに最後の力を与える。アレクシオスは震える手を持ち上げ、握ったままでいる短剣をファルハルドへと差し出した。


「これ、を、あな、た、に……」


 ファルハルドは両手を揃え受け取り、アレクシオスはさらに言葉を贈る。


「決し、て、私の、よ、うに、は、なる、な」


 ファルハルドは短剣を受け取った。だが、その言葉は受け取れない。


「あんたは誇り高き素晴らしき戦士だ。アレクシオス、あんたこそ俺の理想。俺はあんたのようになりたい」


 アレクシオスはわずかに目を見開いた。ファルハルドがどんな生き方をしてきたかは知らされていた。そのファルハルドの言葉が胸に沁みる。


 苦痛に歪んでいた表情は穏やかなものと変わる。肯定できたために。否定しようとした自らの生き方を。


 感謝の言葉を告げようとするが、言葉は出ない。もう、話せるだけの力がない。アレクシオスの命の火は消えようとしている。



 オリムが苛立ちを抑えた声で告げる。


「なんも、お前ぇのせいなんかじゃねぇよ。全部はその暗殺部隊とかぬかすクソ野郎どものせいだろうが。お前ぇを苦しめた落とし前は、この俺がきっちりつけてやっからよ。安心しやがれ」


 アレクシオスの目には、小さな驚きと大きな喜びが宿る。その目の光も急速に消えていく。最後の命の火が消えていく。


「だから、遠い場所から見てな。いつかまた会おうぜ、戦友」



 アレクシオスにはもう話す力は残っていない。だが、皆にはわかった。その唇が最後に「ありがとう、友よ」と動いたことが。

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