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深奥の遺跡へ  - 迷宮幻夢譚 -  作者: 墨屋瑣吉
第二章:この命ある限り

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93. 悲壮 /その④



 ─ 6 ──────


 ファルハルドは自身の小剣が斬られようとした瞬間、反射的に身を退いた。

 結果、胸を斬られはしたが、致命傷は避けられた。それでも浅からぬ傷。衰えた今の身体では衝撃に耐えきれず、ファルハルドはその場に尻餅をついてしまった。


 アレクシオスは追撃をしてこない。剣の間合いの中で、油断なく短剣を構えたままファルハルドをじっと見詰めている。


 無様に尻餅をついたが、ファルハルドにも油断はない。即座に体勢を立て直す。起き上がり、距離を取る。役に立たない小剣を捨て、ファルハルドも短剣を抜いた。


 短剣を構えたまま、観察する。アレクシオスが持つ短剣は微かな燐光に包まれている。あれは魔法剣術、いや、違う。


 ファルハルドにとって、アレクシオスは魔法剣術の師の一人とも言える。その時の実演では、アレクシオスは魔法剣術を発現するためにしばらくの意識の集中を必要としていた。今、それはなかった。ならば、あの短剣は……。魔法武器、か。



 ファルハルドが考察を進める間も、アレクシオスは攻撃を仕掛けてはこなかった。行ったことは攻撃ではなく、語りかけ。アレクシオスは殺し合っている相手であるファルハルドを叱りつけた。


「愚か者。戦いの最中に気を緩めるな」


 長剣を斬っただけでアレクシオスの戦う手段を奪ったと思い込み、戦闘中止を呼びかけようとしたことを叱りつけた。


 アレクシオスの指摘は正しい。確かにそれは判断の誤り。油断と呼ぶほかない。


 正しいが、それを戦うその相手から指摘されるなど屈辱でしかない。それは戦士の矜持に触れること。思わず、ファルハルドの頭に血が上りかける。


 が、自らを抑える。静かに深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。アレクシオスに目を向けたまま、胸の傷に手をやる。出血は多く、動きにも支障をきたすほどの傷。それでも今すぐ動けなくなるほどではない。


 自らの状態、その現実を確かめることで、ファルハルドは冷静さを取り戻す。

 挑発に乗り、冷静さを失えばその時点で終わる。アレクシオスは冷静さを欠いて勝てるような相手ではないのだから。


 ファルハルドは気持ちを立て直す。そのファルハルドに、アレクシオスはさらなる言葉を告げる。


「死力を尽くせ。出し惜しみをして、この私に勝てると思っているのか。この非情な世で生き残りたくば、あらゆる手段を執ることを躊躇ためらうな」



 冷静さを取り戻したファルハルドは気付く。アレクシオスの言葉は正しい。そして、同時にちぐはぐだと。


 これまでにいくらでもファルハルドの不意を突く機会があったのにわざわざ正面からの戦いを挑み、誰にも知られていないなか、わざわざ自分からイルトゥーランの暗殺部隊と関わりがあると告白する。

 さらには深手を負わせファルハルドを追い詰めながら、追撃を行うことなく忠言をしてくる。


 ならば、暗殺部隊と関わりがあるとの話は冗談なのかといえば、そうだとも思えない。戦っている最中の向けてくるその剣は、間違えようもなく命を狙うものだった。


 どうにも言動に一貫性がなく、違和感が拭えない。

 しかし、その言動から、抱いている一つの思いはわかる。わかってしまう。それはファルハルドにとって、とても馴染みのある思いなのだから。


 その気持ちを感じ取ったとき、言葉が無意識にファルハルドの口から零れていた。



「あんたは、死にたがっているのか……」


 その気持ちがちぐはぐな言動の原因なのか、結果なのかはわからない。それでもファルハルドにはわかる。アレクシオスが自分でもどうにもできないほどの苦しみを抱えていると。


 アレクシオスは答えない。一度目を伏せ、そして、顔を上げた。そこには弱気の欠片も見られない。


「たわけたことを。お前ではこの私を倒すことなどできはしない」


 ファルハルドは思う。言葉では、もう止まらないのだと。


 それがどんなものであるのかはわからない。だが、アレクシオスは覚悟を決めてこの場に臨んでいる。死力を尽くし戦う、その先にしか答えはないのだと。


 ファルハルドには覚悟が足りなかった。襲われれば倒すと口にしながら、どこかでアレクシオスとの戦いを避けようとしていた。追手は滅殺すると決意していながらだ。


 パサルナーン迷宮に潜り、この地で傭兵たちと共に戦い、強敵たちと渡り合ううちに、自然に戦士としての誇りを育て、戦いを正々堂々と行うものとして規定するようになっていた。


 馬鹿げている。ファルハルドが剣を取ったのは、捕らえられていた母を助け出すため。戦い続けたのは自らを殺しにくる追手たちを返り討ちにするため。


 馬鹿げている。剣を向けてくる相手に戦闘中止を呼びかけようとするなどとは。襲われれば倒す。ただそれだけである筈なのに。



 アレクシオスの覚悟に触れ、ファルハルドの覚悟も決まった。精神は研ぎ澄まされ、独特の張り詰めた鋭い気迫が蘇る。


「倒す。俺の全てを用いて、あんたを倒す」


 ファルハルドは左腕から盾を外し、投げ捨てた。盾などいらない。ここから先の戦いに必要なのは別のもの。


 腰の小鞄から『子孫繁栄』を取り出し、飲み下す。一対一のこの戦いで、ジャンダルから送られた強壮剤を服用した。


 ファルハルドは理解した。この戦いは名誉を重んずる決闘などではない。生き残りを懸けた殺し合いなのだと。たとえ他者から与えられた手段を使ってでも生き残ることこそが正義である、そんな殺し合いなのだと理解した。


 アレクシオスは満足げな笑みを浮かべる。ファルハルドの覚悟を認めたが故に。


 生き残るためならば、どんな手段でも用いる。その覚悟こそが伝えたかったもの。

 イルトゥーランの暗殺部隊から命を狙われるファルハルドが、手段をり好んで生き残れる筈もないのだから。


 伝えるべきことは伝わった。あとは己の戦士としての生き様を全うするのみ。




 両者は油断することなく、互いに短剣を構え、隙をうかがい合う。しかし、どこにも隙などない。両者は動けず、場の緊張だけが高まっていく。


 ダリウスとオリムは厳しい顔で見詰める。他の団員たちは両者の肌を切るような緊張感に当てられ青褪めている。


 『子孫繁栄』の効果により、ファルハルドの出血は増していく。溢れ出る血は地を濡らす。

 このまま見合い続けていれば、不利になるのはファルハルド。ファルハルドは動く。素早い踏み込み。刺突を狙い踏み込む。しかし、負傷からその踏み込みは甘かった。


 アレクシオスは狙う。刺突の隙を。

 ファルハルドの踏み込みの甘さはわざと。アレクシオスを誘い込むため作った隙。


 ファルハルドは反応する。かわし、狙う。誘い込まれたアレクシオスの隙を。


 しかし、アレクシオスには当たらない。アレクシオスはファルハルドが誘い込むため、わざと隙を作ったことを見抜いていた。


 読み合いはアレクシオスが上回った。そして、武器もまたアレクシオスが上回っている。いかに良質な短剣であっても、ただの剣では魔法武器を受け止めることなどできないのだから。

 そして『子孫繁栄』を服用したところで、再びの魔法剣術を使えるほどには回復しない。優れた反射速度で、アレクシオスの攻撃を咄嗟に剣で受けようとしても防ぐことなど不可能。


 アレクシオスの斬撃はファルハルドに迫る。



 純粋な剣の腕前では、ファルハルドはアレクシオスにかなわない。身体の状態は比べるまでもない。戦闘経験でも及ばない。

 及ぶとするなら、それは覚悟と手段、負けられぬ理由。


 ファルハルドはアレクシオスが手にする短剣が魔法武器だと気付いた段階で、その剣を受けられないことを理解していた。


 だから、剣を避けられぬと悟ったファルハルドは。その握りしめていた左手を緩めた。


 掌に隠し持っていた玉が落ちる。それは『子孫繁栄』と同時に取り出していた魔導具。玉が地面で割れた瞬間、ファルハルドを囲む形で光り輝く壁が立ち昇った。


 魔導具、『一時ひとときの光壁』。割れると人一人を囲む形で『守りの光壁』と同じものを発生させる魔導具だ。それをファルハルドは使用した。


 魔力を帯びた魔法武器なら魔法や魔力そのものを斬ることも可能となる。しかし、無抵抗で、とはいかない。普通の刃で普通の物を斬る時と同様の抵抗がある。『一時の光壁』はアレクシオスの斬撃を遅らせ、刹那の猶予を稼いだ。


 ファルハルドを狙うアレクシオスの剣が光壁を斬り裂いた時、そこにファルハルドの姿はなかった。



 どこに……。上か。


 アレクシオスは頭上を見上げた。ファルハルドがここ一番で頼るのはイシュフールの身軽さ。その身軽さで頭上に跳んだと判断したために。


 だが、違う。


 ファルハルドは知っていた。この時までに何度も行った手合わせの結果、アレクシオスがファルハルドの戦い方の癖を把握していることを。


 だから、ファルハルドは身をかがめた。光輝く光壁のまぶしさを目眩ましとすることで。アレクシオスがファルハルドの姿を見失った瞬間に地面ぎりぎりへとその身を屈ませた。


 アレクシオスは気付く。宙を見上げた先にファルハルドの姿がなかったことで、ファルハルドがどこにいるのかを。

 視線は下に。見た。ファルハルドを。


 ファルハルドは一気にその身を伸び上がらせた。アレクシオスの反応は間に合わない。ファルハルドの短剣は鎖帷子を貫き、斜め下から胸を突き刺した。

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