92. 悲壮 /その③
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アレクシオスの剣は白銀の長剣。重ねは薄く、されど頑丈さに劣ることなく切れ味も鋭い。左腰には古ぼけた拵えの短剣も差している。
左腕は肘から先がなく、鈎状の義手を付けている。そのため盾は持たず、代わりに鎧は肩と胸部分を板金造りとした鎖帷子。首回りも板金で守られている。
兜は頭頂部が水滴型に膨らみ、鼻当てが付く。
他の団員たちが管理の手間を省く意味から黒錆で保護された黒い鎖帷子を身に着けているなか、アレクシオスの防具は長剣と同様の輝く白銀の鋼でできている。
ファルハルドは使っていたモズデフが鍛えた小剣をなくしたことから、今持つのはこの傭兵団で使われる頑丈一点張りの小剣。今まで使っていた小剣からは身幅や重心位置が異なり、切れ味は落ち重さも増している。
そして、右腰には柄頭に緑の貴石が嵌められた短剣を差す。
鎧はヴァルダネスから褒美として贈られた小札鎧。今までの胴鎧よりも身体に馴染んでいる。肩当てと草摺はすでに上腕部外側と太股前面を覆う蜥蜴人の革当てに付け替えている。
兜と盾は今まで使っていたものと同じ、鉢部分だけの兜と小振りの円盾。盾はこの前、戦利品として手に入れた珍しい盾を参考に、新しい盾を造ってもらうつもりであった。ただ、その相談をタリクにする暇がなく、まだ今まで通りのものを使っている。
両者は油断なく構え、向かい合う。
アレクシオスからは研ぎ澄まされた殺気が放たれている。並の者ならばこれだけで気を呑まれ圧倒される。
ファルハルドに動揺はない。静かにその身を闘志で満たしている。
不意にアレクシオスから放たれていた殺気が消えた。同時に踏み込む。ファルハルドの胸を狙った矢のような刺突。
ファルハルドは慌てることなく、対応する。攻撃の瞬間にも殺気を消した敵と対するのは初めてではないのだから。通常の攻撃を超えた、鋭く素早い攻撃を向けられるのは何度も経験しているのだから。
刺突を躱し、距離を詰め胴を薙ぐ。
しかし、アレクシオスはその独特の足捌きでファルハルドの剣を躱した。そのまま滑らかな動きで、ファルハルドの攻撃の隙を狙う。
上手い。速さそのものはファルハルドが上。しかし、アレクシオスの動きは洗練され、誰よりも巧み。単に速いだけでは捉えられない。
ファルハルドは盾を翳す。盾で受け、そこから身体全体で踏ん張り押し返した。わずかにアレクシオスの体勢を崩すが、アレクシオスは即座に反撃。ファルハルドは迫る刃に剣を撃ち合わせる。
甲高い音が鳴り響く。その音が鳴り止むよりも早く、両者はさらなる剣を繰り出した。
袈裟斬り。再度、両者の剣はぶつかり合う。
弾かれた剣をすぐさま戻し、そこから右薙ぎ。両者の息は合っている。示し合わせたように剣はまたもぶつかり合う。
全てが激しく鋭い斬撃。されど、一つとして手傷を与えることはない。約束稽古であるかのように、ファルハルドとアレクシオスは互いの剣をぶつけ合う。
ファルハルドとアレクシオスは多くの面で似ている。両者とも、その攻撃は力強さよりも速さと巧みさに比重を置き、鋭さを特徴とする戦い方だ。敵の攻撃をよく躱すことでも似ている。
しかし、全てが同じではない。大きく違っている点がある。
アレクシオスは攻撃を躱すのと同じくらい敵の攻撃に自らの剣を当て、逸らすことを多用する。
ファルハルドが狙い澄まし繰り出した決定打が、アレクシオスに剣の平に刃を合わされることで、簡単に逸らされる。
アレクシオスはファルハルドほどの目の良さを持たず、されど長年培った戦闘技術をもって、この技法を可能とする。
そして、その足捌きは緩急自在にして、玄妙。ファルハルドですら完全には捉えきることができない。
これがダリウスや雪熊将軍であれば、その圧倒的な武力で敵の技全てをまとめて薙ぎ払うことも可能だろう。
しかし、ファルハルドにそれはできない。できるのはあくまで粘り強く、懸命に戦うことだけ。
衰えた肉体でどこまでくらいつけるのか。それは未知数。嘗て経験のない戦いに焦燥が募る。
だが、焦りは隙を生む。アレクシオス相手にわずかでも隙を見せれば、それはそのまま致命の隙となる。ファルハルドは焦燥を抑え、戦い続ける。
そして、アレクシオスはアレクシオスで焦燥を抱いていた。
ファルハルドは目も良く、素早い。さらにオリムの動きを学ぶことで、傭兵団に来たばかりの頃よりも、動きが遙かに滑らかで無駄がないものとなっている。そのこと自体は戦う前からわかっていた。
しかし、驚かされる。
ファルハルドの動きや瞬間的な敏捷性を考慮した上で放った一撃が、身体を掠めることもなく躱された。その時見せた足捌きはアレクシオスと同じもの。今までのファルハルドが持ち得ぬものだった。
ファルハルドはこの戦いの中でアレクシオスの足捌きを写し取り始めている。おそらくは無意識下でのこと。本人ですら気付いていないだろう。剣を交えているアレクシオスだけが気付いている。
これまで行ってきた手合わせの中で、ファルハルドがアレクシオスの戦い方を学ぼうとしていたことは知っていた。だが、ファルハルドはアレクシオスの動きを捉えることができず、真似ることができていなかった。
それが、ここに於いて急速にアレクシオスの足捌きを写し取っていく。動きを一定程度捉えることができるようになった、その結果として。
このまま戦いが長引けば、いずれファルハルドはアレクシオスの動きに追いついてくる。それが容易く予想できる。その予想が焦る気持ちを生み出している。
攻防は激しさを増していく。ファルハルドの小剣とアレクシオスの長剣が撃ち合わされる。至近距離。両者は腕を伸ばせば届く距離に立つ。
ファルハルドが剣を撃ち合わせたまま、盾を振る。鎧の上から胴を打つ。アレクシオスは微かに息を漏らした。
ファルハルドは身体全体で剣を押し込みながら、続けての盾の一撃を与えようとする。
アレクシオスは逃れた。その足捌きで素早く下がり、距離を取る。
ファルハルドは逃さない。追い縋る。しかし、踏み込もうとしたファルハルドは急停止し、身を退いた。
アレクシオスがファルハルドの踏み込みに合わせ、長剣を振るったのだ。
長剣の間合いは遠い。速さはファルハルドが上。しかし、その差はわずか。技巧にも優れるアレクシオスの剣の間合いを潰すのは簡単ではない。
両者は見合う。呼吸を整え、気を探り、新たに把握した相手の実力に合わせた最適な戦いの組み立てを考え直す。
熟慮する暇などない。半ばの思考、半ばの直感に基づき、即断する。
アレクシオスが一手、早く動いた。その長剣の長さを活かした刺突。ファルハルドは迫る刃を掻い潜る。身を低くし、アレクシオスの懐に跳び込んだ。
しかし、アレクシオスはそれを予想済み。刺突で突き出した剣をそのまま斬撃へと切り替える。懐に跳び込んできたファルハルドを狙う。
ファルハルドは兜を撃たれながらも躱し、さらに踏み込む。アレクシオスも踏み込み、両者は肩から互いの身体をぶつけ合う。
力はアレクシオスが上。さらにはファルハルドは今、身体が衰え回復しきれていない状態。まともにぶつかり合うなら勝てない。押され、上体が起き上がる。アレクシオスは一気に押し込み、突き飛ばした。
体勢の崩れたファルハルドを狙い、刺突。ファルハルドは半身になり、わずかに腰を落とし迫る刃を上腕を覆う蜥蜴人の革当てで受けた。
アレクシオスもファルハルドも鋭い攻撃を繰り出しながら、同時に優れた体捌きによる防御技術を持つ。両者は一進一退。競り合い、せめぎ合いながら、未だこれという一撃は入れられていない。
二人とも攻撃力を飛躍的に高める手段、魔法剣術を使うことはできる。ただ、どちらも自在に、とはいかない。
アレクシオスが魔法剣術を発現させるには、しばらくの意識の集中がいる。ファルハルドとのぎりぎりの攻防を行いながら、同時に深い意識の集中を行うことは難しい。
一方、ファルハルドは雪熊将軍との決闘以来、魔法剣術の発現は行っていない。一度、枯渇寸前まで全魔力を使用した反動で、充分に使用できるほどには体内魔力が回復していないためだ。
発現できるとすれば一瞬一度。それも必ず発現できるとは限らず、発現できなくともおそらくは多大な疲労に襲われる。
そのため、ファルハルドはこの戦いが始まってから魔法剣術を使っておらず、使おうとも考えていなかった。だが、このままでは先にファルハルドの体力が尽きる。
だから、ファルハルドは狙う。一瞬一度の機会を。
繰り出す連撃。アレクシオスは全てを躱し、剣を振るう。
ファルハルドは盾で受け、踏み込む。一気に距離を詰め、下腹を狙い刺突。
アレクシオスは横に身をずらし、刺突を躱す。そのままファルハルドの背後に回り、剣を繰り出した。
ファルハルドはその動きの全てを捉えている。
これを機会と狙う。魔力を引き出す。多大な負担。刹那、意識が飛びかける。奥歯を噛みしめ、発現の反動に耐える。
迫る剣を狙い、魔力をまとった剣を振るった。
雪熊将軍との決闘で実行した技法。刃をもって刃を斬る。ダリウスが得意とする相手の武器破壊、それをファルハルドも魔法剣術をもって実現する。
刃が刃に食い込み、ファルハルドの魔法剣術はアレクシオスの長剣を鍔元から切断した。
ファルハルドにできた魔法剣術の発現は一瞬。これ以上の持続はできない。剣を覆う光は消え、その身は多大な疲労に襲われる。
アレクシオスも武器を失った以上、これ以上の戦闘継続などできない。ファルハルドはわずかに気を緩め、戦闘中止を呼びかけようと口を開きかけた。
だが、しかし。眼前に迫る刃。
アレクシオスは、ファルハルドが魔法剣術で自身の長剣に触れ合った瞬間、迷うことなく、長剣を手放していた。即座に、腰に差した短剣を抜く。
ファルハルドは剣を翳し、受ける。だが、それはまるで意味を成さなかった。小剣はアレクシオスの短剣の前にあっさりと切断される。
ファルハルドはその胸を大きく斬られた。




