89. 謁見 /その③
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翌日、会談に同席していた側近の者が数人の部下に手伝わせ、ダリウスの元へヴァルダネスからの褒美を持ってやってきた。休んでいたファルハルドも呼ばれる。
褒美の内容は銀貨などもあるが、目を引くのが武具だった。
ファルハルドは雪熊将軍との決闘で、剣も鎧も駄目にしていた。
モズデフが鍛え直した愛用の小剣は折れ、革鎧は補修不可能なほど斬り裂かれていた。
短剣に関しては、戦いが終わったあと、戦死者たちを弔う際に髭なしハサンが見つけ回収してくれていたが、小剣については見つからずそのまま戦場に捨て置かれた。
もし見つけても、戦場では折れた剣を打ち直す暇はないと考え、熱心には探されなかったからでもあるが。
よって、ファルハルドはヴァルダネスとの謁見の際も、予備の品や戦利品を漁って見つけたありあわせの革鎧と小剣を身に着けて行っていた。
質も良くなく、身体にも合っていなかったが、ファルハルドは怪我から完全には恢復しておらず、ダリウスから戦闘禁止を言い渡されていたのでそれで充分だと考えていた。
ヴァルダネスは雪熊将軍を討った勇士がみすぼらしい格好でどうすると見咎め、褒美としてファルハルドに武具を用意したのだ。
ダリウスが感嘆の息を漏らす。かなりの良い品である。武器も鎧もアルシャクス軍の上級将校が身に着けるものだった。
武器は剣ではなく、片刃の湾刀。オリムの使うものと似た三日月刀である。
ファルハルドにとっては使いにくい。これはいらないな。さすがに口にはしないが、さっさと人に譲るか売り払おうとファルハルドは考えた。
対して、鎧については気に入った。穴を空けた数多くの小さな革板を革紐で綴じ合わせた小札鎧だ。
今まで使っていた胴鎧よりも補修がしやすく、なにより動きやすい。
肩から上腕までを覆う肩当てと、大腿までを守る草摺も付いているが、これはあとで蜥蜴人の革当てと交換しようと考える。
銀貨は、団に対しては小銀貨十枚、それとは別にファルハルド個人へ五枚が贈られた。ちなみにあの戦いに参加した他の三つの傭兵団にも小銀貨が十枚ずつ下された。
ファルハルドは銀貨については特には気にしていない。ひたすら武具の使い心地を確かめている。
ただ、ファルハルドは気にせずとも、周りの者たちは気にする。
オリムががっちりファルハルドの肩を掴み、
「よーお。貸しを十倍にして返す約束だったよな。ラグダナに寄ったら、お前ぇの奢りで呑み明かすぉうずぇ」
とたかってきた。
そんな話だったか。一方的に告げられただけで約束はしていないし、結局オリムは立会人をしなかった。
ファルハルドは疑問に思うが、そもそも金銭への拘りが薄い。まあ、いいかと受け入れた。
このファルハルドの返答を聞き、オリムだけでなく団員全員が盛り上がった。
いつの間にか全員に奢る話に変わっていたらしい。なんでだ? 疑問は募るが、面倒くさくなったので考えるのを止めた。
元々、ファルハルドは人間関係に於ける粘りが足りないが、今は普段以上に気に留めない。雪熊将軍との決闘以来、どうにも気力が戻らないままなのだ。
ファルハルドが瀕死の大怪我を負うのは初めてではない。
ただ、今回はどうにも調子が戻らない。以前なら身体が動くようになればすぐにでも鍛錬を行っていたが、今は手が空いている時は横になっているか、日陰で涼んでいる。
ダリウス団長とファイサル神官から訓練厳禁と言われているのも理由ではあるが、そもそも訓練を行おうという気にならないのだ。根源の領域の魔力にまで手を出した反動だろう。
他の傭兵団やアルシャクス正規軍を含め、戦場働きをさせるために傭われている筈のファルハルドが気怠い、気の抜けた姿を晒していても責める者はいない。むしろ虚脱した姿をさすがだと感心している者ばかりだ。
雪熊将軍相手に勝利することとは、それほどまでに有り得ぬこと。限界を越え、不可能を可能として初めて実現できる偉業。その反動で、調子を崩すのは当たり前のことだと理解しているという訳だ。
もちろん、紛争はファルハルドの都合など関係なく進んでいく。ファルハルドが寝込んでる間も、幾度となく戦闘が行われた。
戦いの中心は正規軍により行われる。とはいえ、傭兵たちの出番も少なくない。戦闘が行われる度、多くの者が戦場に倒れていく。
正規軍も傭兵たちも皆、戦場こそが自分の生きる場所であると思い定め、自ら望み戦う者たち。それでも、ファルハルドは虚しさを覚えた。
自分の生き方を考えれば、人のことをどうこう言うことなどできない。
イルトゥーランの暗殺部隊に狙われ、戦いを厭えば生き残ることすら不可能な、殺し殺され、死体の山を築いていくだけの人生。
見出した生きる目標は、無数の戦いを経なければ辿り着くことはできないもの。
とてもではないが、戦うことを否定などできない。しようとも思わない。
それでも。それでも、多くの者が戦場に屍を晒す姿を見る度、人同士が争うことに、殺し合う場である戦場を生きる場所だと思い定める者がいることに、虚しさを感じた。もっと違う生き方は選べなかったのかと考えてしまう。
答えを持っている訳ではない。違う道を示せる訳でもない。それでも考えてしまう、これは過ちだと。
ファルハルドは戦場働きに言い様のない疲れを感じていた。
ミブロスとも何度か話をする機会があった。
ミブロスは傷こそ癒えたが元通りとはいかず、もう今までのようには戦えない身体となっていた。
団の解散を考えたが、団員たちの身の振り方を考えればそう簡単にもいかない。一部の希望者をダリウスの傭兵団で引き取ってもらえないかとの相談に足を運んだのだ。
ダリウスは特に条件を付けることもなく、引き受けた。
希望者は多くはない。ダリウスの傭兵団も激しい戦闘を行うことはわかっている。希望した者は二十名弱といったところ。
ただし、この者たちは心から戦いを好み、手強い戦いこそを生き甲斐とする強者たち。戦力としては人数分以上の働きが期待できる者たちだ。
ミブロスはこの紛争が終われば、故郷に帰ると言う。
団員たちのうち、引退する者や行く当てのある者たちには新しい生活のための支度金を渡して送り出し、自分を慕い離れようとしない者たちだけを連れ、故郷の街で一種の衛兵のような役目を果たすつもりらしい。
もう戦場には出ることはないが、やること自体はそう大きくは変わらないようだ。
同じ戦場を戦った者同士には、ある種の連帯感が生まれる。ミブロスはファルハルドを見かけ、気軽に話しかけてきた。
「いよう、どうした。元気がねえじゃねぇか」
ファルハルドがここのところ考えていることを零せば、
「はっはっ。なんだお前、変わってんな。神官様か領主みてぇだぞ」
と、豪快に笑い飛ばした。
「ま、確かに、若ぇ奴らがばたばた死んでくのはやりきれねぇけどな。
だがよぉう、戦場にさえ出なけりゃ、死なねぇのか、好き勝手生きれんのか。んな訳なかろう。
なら、それっきゃ選びようがなかったからとしても、手前ぇの生き様を手前ぇで決めたんなら、それで良いんじゃねえか。
俺なら他人に嘴挟まれたくはねえな。違うか」
それは、そうなのだろう。しかし、本当に全員が納得して選んでいるのだろうか。仕方なく選んでいる者もいるのではないだろうか。
「んなもん、知らねぇよ。他人の肚ん中なんざ、わかる訳ねえじゃねぇか。
一応言っとくとよぉ、俺んとこじゃ嫌がる奴をむりやり引き込んだりはしてねぇぞ。そりゃ、ダリウスんとこもだろ」
確かにそれがせめてもの救いなのだろう。ここまで話し、ファルハルドは気付く。
なぜ、ダリウスが力弱き者たちを力で従わせることを、戦士の誇りに懸けて許さないのかを。なぜ、迷宮挑戦者が続けるも辞めるも、生きるも死ぬも自分次第としているのかを。
自分の人生は自分で引き受け生きていく。当たり前のそのことを、当たり前に行えるために必要な、最低限の規範なのだろう。
「しっかし、お前面白れえな」
ミブロスはなにかが面白くて堪らないようだ。
「あの雪熊野郎に決闘挑むなんざ、どんだけ気合い入った野郎なんだと思ってたが。まさか、なあ。こんな考え込む奴だったとはな。
お前、戦ってる時と普段で、印象が違い過ぎんだろ。ははっ、面白れぇ」
そう言われてもファルハルドにはよくわからない。どちらも自分にとっての当たり前なのだから。
ファルハルドは考える。言われたことを、見たことを、経験したことを。そして、自分がどうするのかを。飽きることなく、考え続ける。
終わりが見えないと思われた戦いであったが、六の月の初め、盛夏の頃、アルシャクス側、イルトゥーラン側双方の話し合いにより、ついに休戦、実質は停戦が約された。
協定はアルシャクス側に有利な条件で結ばれる。ファルハルドが雪熊将軍を倒した影響だ。
実際の戦力としてもそうだが、イルトゥーラン最強の戦士が倒されたことが心理的な圧迫となり、戦いは常にアルシャクス側優勢で進んだからである。
ただし、休戦協定が結ばれた理由は、別にある。
アルシャクスもイルトゥーランも、その国土の西方は怪物たちが支配する『闇の領域』に面している。そして、一昨年、昨年と、両国は秋に闇の領域からの怪物たちの大規模な侵攻を受けていた。
今年もきっと秋に闇の怪物たちからの大規模な侵攻があると予想される。その可能性を考えれば、このまま紛争に戦力を取られ続けるのはいかにも拙い。
闇の怪物は、人類の最大にして、根源的な敵。その侵攻から人の生存圏を守ることこそ、国というものの基礎的な存在理由。怪物たちの侵攻を許せば、国が根本から揺らぐことになる。
よって、秋までに兵たちに休息を取らせ、配備し直す必要から、ぎりぎりとなるこの時期に戦闘が停止された。
もっとも、両国間の紛争の火種は消えてはいない。いつまた火を吹くのか、それは誰にもわからない。
次話、「悲壮」に続く。




