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深奥の遺跡へ  - 迷宮幻夢譚 -  作者: 墨屋瑣吉
第二章:この命ある限り

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201/305

88. 謁見 /その②



 ─ 3 ──────


 空気が重い。動く者はいない。


 ヴァルダネスはゆったりと構えながらも隙はない。

 護衛の者たちはいつでも抜ける体勢で剣の柄に手を掛けている。側近の者は邪魔にならないよう、天幕の奥に避けている。天幕の外でも大勢の人間が構えているのが感じ取れる。


 ファルハルドたちは天幕に入る前に武器を預けている。


 だが、そんなことは全く問題にならない。ダリウスは、素手で容易く人を殴り殺せる。

 オリムもその持ち味は豪快な暴れっぷり。そこらに転がる棚だろうが柱だろうが、なんでも使って敵を叩きのめせる。


 ファルハルドは身体が恢復しておらず戦える状態にはない。しかし、ファルハルドが攻撃を避けることだけに専念するなら、易々と致命傷を与えられる者などそうはいない。


 ダリウスは全く動いていない。しかし、心身は切り替わっている。一瞬で戦闘状態に移行できる。オリムも同様だ。ただ、ファルハルドは周囲の様子に構うことなく静かに座っている。



 そのまま誰も動くことなく時が過ぎる。ヴァルダネスは少し苛立たしげに問い詰める。


「なにか言うことはないのか、デミル王の息子」


 ファルハルドは無言を貫く。ヴァルダネスは額に皺を刻んだ。


「貴様」


 ファルハルドはぐるりと天幕内を見回し、不審げに口を開いた。


「俺に言っているのか」

「お前以外に誰がいる」


「よくわからんな。その『デミル王の息子』というのはなんなのだ」

「は?」


 ファルハルド以外の全員が疑問符を浮かべた。


「お前ぇ、なに言ってんの」


 目をすがめたオリムが代表するように問いかけた。オリムも、雪熊将軍に決闘を挑んだ時のファルハルドの口上から、ファルハルドがデミル王の息子であろうことは理解できている。


「なにがだ」

「なにがだ、じゃねぇよ。お前ぇの話をしてんだろうが」


「え?」

「『え』?」


 ファルハルドは首を傾げるが、なぜそんな反応を見せるのかオリムには理解できない。


「え、って、なんなんだよ。お前ぇの親父はデミルだろ? 呆けてんのか」


「なにを言っている」

「は?」


 ファルハルドは全く理解できないという顔をするが、オリムにはその反応こそが理解できない。


「ちょっと待て。じゃあ、お前ぇの親父って誰なんだよ」

「俺に父などいない。俺の親は母のみ」


 ファルハルドはきっぱりと言いきるが、やはりオリムには理解できない。より一層、目は細められ、口が半開きになっている。


「え? えー。ん? なに? お前ぇ、なに言ってんの」

「俺に父などいない。俺の親は母のみ」


 ファルハルドは同じ言葉を繰り返す。オリムは額に手を当て、小さく唸り声を上げる。


「えーとよ、いい年齢としこいた野郎相手になんなんだけどよ。まさか、お前ぇどうやったら餓鬼ができるか知らないってこたぁねぇよな」

「ああ、知っている」


「男と女がすることしないとできないよな」

「そうだな」


「なら、お前ぇにも親父がいるよな」

「俺に父などいない。俺の親は母のみ」


「なんでだよ。訳わかんねぇよ。マジなんなんだよ、こいつ」


 オリムは一度天を仰ぎ、助けを求めるようにダリウスに訴えかけた。ダリウスは難しい顔をしたままなにも話さない。



 その時、唐突に豪快な笑い声が上がった。見れば、ヴァルダネスが爆笑している。腹を抱えて笑い、笑い過ぎて目の端に涙が溜まっているほどだ。


「最高。お前ら、面白過ぎだろ」


 ヴァルダネスはしばらく笑い続け、なんとか笑いが収まった。まだ口の端に笑いの痕跡を残したまま、ファルハルドに真っ直ぐな目を向ける。


「なるほどな。『父などいない』か。そんなこと考えたこともなかった。そうか、なるほどな。そう考えることができれば、俺も槍を頼りに諸国を流離さすらう生き方ができたかもしれんな」


 なにを感心されているのか、ファルハルドにはさっぱりわからない。一言、そうかとだけ返した。

 そのファルハルドの返答にヴァルダネスは再び笑い声を上げる。


 ヴァルダネスは半分笑ったまま、ファルハルドに告げる。


「どうだ。お前がイルトゥーランと関わりがないと言うのなら、俺に仕えぬか。身の安全も充分な待遇も保証するぞ」


 これには側近の者や護衛の者たちが驚きの声を上げた。


 雪熊将軍がなぜ決闘に応じたか、疑問に思いファルハルドのことを調べたのはここにいる側近の者。生憎あいにく確証までは得られなかったが、ファルハルドがデミル王の庶子であることは間違いがないと思われた。


 報告を聞き、ヴァルダネスは今日この場でファルハルドを斬る腹積もりであった。そのため、合図があればいつでもファルハルドを斬るようにと護衛の者たちに命じていたのだ。


 それがなぜ勧誘しているのか。ヴァルダネスの言動は側近たちの理解を超えた。



 側近の者たちの反応を視界の端に収めながら、ファルハルドは答える。


「悪いが、その気はない」

「そうか」


 ファルハルドは一顧だにせず断り、ヴァルダネスはそれを認めた。いつものヴァルダネスならば少なからぬ不快さを見せる筈なのに、そんな素振そぶりは欠片も見せず、むしろ満足げに。


 側近の者たちはヴァルダネスの声を聞き、やっと理解が追いついた。

 ヴァルダネスはファルハルドに有り得たかもしれぬ自分の姿を重ねて見ているのだと。若い頃憧れた、王族であるという身分に縛られることなく、槍一筋に生きる武人としての自分の姿を。


 側近の者たちは知っている。武人として名高いヴァルダネスが、どれほどただの一戦士として生きることを渇望していたのかを。そして、自分のその気持ちを抑え、どれほど兄王と国に尽くしてきたのかを。


 そんなヴァルダネスが、自分の望んだ生き方を体現しているとわかったファルハルドを斬る気になれないとしても、それは当たり前のことだった。



「殿下」


 ダリウスが怖れげもなく言う。


「人にはそれぞれの分があり、その者にしか歩めぬ道がございます。己の分から外れたことを思うことも、選ばなかった道を思うことも詮なきこと。殿下の歩まれておられる道は誇り高き大道であります。どうぞ、悔やむことなく歩み続けてください」


 ヴァルダネスは大きく笑う。


「なるほど、確かに豪勇無双。飾りではないな」


 護衛の者たちは口を挟むことなくヴァルダネスを見守り、側近の者は天幕の外で待機する兵たちに解散の指示を伝えに出て行った。



 ヴァルダネスは今度こそ本当になんの屈託もなく、ファルハルドたちと話をしている。

 ダリウスやオリムの経験した東国諸国での戦いや、ファルハルドが挑むパサルナーン迷宮の話を興味深そうに聞き、自身の経験した戦いや強敵の話を楽しげに語っている。


 ダリウスが前もって予想していた通り、特にオリムと気が合うようだ。礼儀の欠片もないオリムとの会話で一番盛り上がっている。


 ダリウスは自分が丁寧な対応をし、オリムには無造作な対応をさせることで、一定の敬意を示しつつヴァルダネスの下の者に礼儀を求めないという気持ちを満足させる予定であった。


 それがこうしてオリムの態度を気に入るのなら、礼儀を求めないという言葉は形だけのものではなく、真実本心から出たものなのだろう。ダリウスは、少しヴァルダネスを見直した。




 長い時間話し、夕刻の近づいた頃、側近の者が戻ってきて、殿下、そろそろと告げた。


「そうか。名残惜しいがここまでとするか。今日はわざわざ悪かったな。

 おおっ、忘れておった。あの雪熊将軍を討った勇士に褒美を取らさねばならんな。明日にでもお前たちの元に届けさせよう。では、いずれまた会おう」




 ファルハルドたちはヴァルダネスの天幕から下がり、自分たちに割り当てられている区画まで戻る道すがら、のんびりと話をする。


「あれはかなりの腕だな」


 このファルハルドの発言にオリムが呆れて笑う。


「んだよ、お前ぇ知らねぇの。アルシャクスのヴァルダネス、つったらかなり有名だぞ」


 ダリウスも頷く。


「ああ。先王のヴォロガセス六世とヴァルダネスの兄弟は武でも政でも一流と評判の人物たちだ。デミル四世率いるイルトゥーランの侵攻を妨げることができたのは、この二人ならばこそだと言われている」


 ファルハルドは初めて聞く話だった。


「そうなのか」

「おうよ。アルシャクスの奴らは、馬に乗らせたら強ぇからな。騎乗さえすりゃあ、ヴォロガセスはデミルにも負けなかったって話だぞ」


「そしてヴァルダネスは槍一筋に生きていれば、雪熊将軍をも越える武人と成れただろうと噂されている」

「ほう」


 オリムはファルハルドの脇腹を肘でつつく。


「ま、お前ぇは連日団長と渡り合って弱っていたお陰とはいえ、その雪熊野郎に勝ったんだからよ。もっと大威張りで嵩にかかってやれば良かったんじゃねえか」

「勘弁してくれ」


 ファルハルドは本当に嫌そうに顔をしかめ、ダリウスとオリムは声を上げて笑った。



 まだ充分に身体が恢復していないファルハルドは自分たちの場所に帰ったあと、熱を出し寝込むことになった。

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