82. 二つの戦い /その⑦
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カルスタンとペールの、霧氷の巨人との戦いは佳境を迎える。
カルスタンの盾は割れ、左腕は折れ、手脚は凍傷に襲われている。ペールもまた満身創痍。不可視の拳を撃ち出した隙を狙われ、体当たりをくらった。それでも二人は怯まない。果敢に攻め抜き、霧氷の巨人をあと一歩にまで追い詰める。
霧氷の巨人は最強の巨人に相応しい抵抗を見せる。
背後からは毒巨人の上げる奇声が、バーバクとハーミの呻き声が聞こえる。カルスタンとペールには気を散らす余裕はない。バーバクたちを信じ、今は自分たちの戦いに集中する。
バーバクとハーミの限界は近い。『蛮勇の旋律』の効果により疲労を感じずとも、身体は重く、動きは鈍っている。肉体の限界が近づいている。戦える時は残り少ない。
バーバクはまだ決定打を入れられていない。毒巨人の攻撃を前に、鋼の盾には多くの凹みが生じ、大きく歪んでいる。兜も鎖帷子も熱せられた箇所の強度は落ち、鎖帷子には複数の裂け目ができている。
ハーミも似たようなものだ。受けている傷こそ少ないが、法術の過度な使用に魔力は残り少なく、発現できる法術の効果も弱まってきている。
そして、毒巨人もまた、無事ではない。バーバクとハーミの奮戦に、致命傷こそないが左腕と脇腹には深手を受け、腕に、肩に、脇腹に、脚にと無数の傷を受けている。
現状は毒巨人が優位。元より人を超える体力や膂力、高い魔法抵抗性を持つ巨人は人より遙かに強力な存在。削り合いでは届かない。仕切り直しては間に合わない。力を合わせ一気に倒す。
バーバクとハーミは同時に攻める。毒巨人は後ろに下がった。バーバクの斧は届かず、ハーミの不可視の拳は外れた。
毒巨人はそこから前へ。その巨体の重量を載せ、バーバクへ向け拳を繰り出した。
盾を翳す。衝撃音。盾は破壊され、バーバクは壁へと吹っ飛ばされた。
強く身体を壁に打ちつけ、激しい痛み。息ができない。さすがのバーバクもすぐには立ち上がれない。
毒巨人はさらなる追撃を狙う素振りを見せる。ハーミは光壁を顕現し、バーバクを守る。そのハーミに毒巨人は毒の息を吐き出した。
ハーミは自身の前にも光壁を顕現させ、毒の息を防いだ。しかし、少ない魔力で二つの光壁を展開したことにより、一つ一つの光壁の防御力は不充分に。
ハーミに対し、毒巨人は体当たりで迫る。光壁は軋む。毒巨人の肌がわずかに灼ける。巨体の体当たりに、光壁は一撃で罅だらけとなった。
毒巨人は二撃目となる体当たりを繰り出す。止むを得ず、ハーミはバーバクに展開していた光壁を消した。ハーミの光壁は毒巨人の体当たりを受け止めた。
その時、毒巨人は確かに嗤った。
瞬間、毒巨人は左腕の炎を激しく燃え上がらせた。腕を振り、噴き上がる巨大な炎をバーバクへと放つ。
バーバクは懸命に立ち上がる。が、その動きは鈍い。巨大、広範囲の炎は躱せない。
カルスタンとペールは霧氷の巨人と戦闘中。ジャンダルは一心に『蛮勇の旋律』を奏でている。
この戦いの要。それはジャンダル。戦いの鍵はジャンダルが握っている。
カルスタンの戦鎚が霧氷の巨人の腕を叩き折る。巨人は苦痛の叫びを上げた。
霧氷の巨人の身体が傾ぐ。カルスタンは全力、全体重を載せ、戦鎚を振り抜いた。巨人のこめかみを打つ。致命の一撃。骨の砕ける音と共に、霧氷の巨人は断末魔の叫びを上げた。
霧氷の巨人の断末魔。それは濃密、特大の冷気の息。最大級の冷気の息がカルスタンを襲う。
カルスタンは立ち向かう。魔力で覆われた戦鎚で、断末魔の冷気の息を断ち割らんと最後の力を振り絞り、戦鎚を振り翳した。
その時、カルスタンの耳にこの戦いで初めての声が届いた。
「カルスタン、伏せて!」
それはジャンダルの叫び。葦笛を吹き、声を上げることのなかったジャンダルの声。
ジャンダルの声に反応し、咄嗟にカルスタンは身体の力を抜いた。床に転がる。身を伏せたカルスタンの頭上を冷気の息が通り過ぎる。
笛を吹き、『蛮勇の旋律』を奏でていたジャンダルが声を上げた。それはつまり。
笛の音が途絶え、毒巨人と戦うバーバクとハーミを支える力が失われた。二人は自らの身体を支えられない。
二人はその場に崩れる。両手をつき、横たわった。
そう、カルスタンと同様に、二人は床に身を伏せる形となった。
断末魔の冷気はカルスタンの頭上を通り過ぎ、勢いのまま吹き荒れる。床に転がるバーバクの頭上をも通り過ぎた。
そして、その先にいるのは。
最大級の冷気の息が毒巨人を襲う。噴き上げる炎は消え去り、爛れ黒ずんだ紫色の皮膚は凍り、一部は剥がれ落ちた。
毒巨人は嘗て上げたことのない悲鳴を上げた。凍りついた皮膚が裂け、その全身が血に濡れる。
ジャンダルは即座に『蛮勇の旋律』を再開した。
一度、『蛮勇の旋律』が途切れた。その反動はバーバクとハーミの身に多大な副作用を及ぼした。積もりに積もった負担が一気に押し寄せ、新たに『蛮勇の旋律』の効果を受けようとも二人は満足に動ける状態とはならない。
それでも。それでも、求め続けた仇を前にして、二人が大人しく休む訳がない。『蛮勇の旋律』に支えられ、足を踏み出す。
毒巨人の濁った瞳が二人を捉える。
仲間たちの戮力により、ついに毒巨人を追い詰めた。
今こそ、この戦いに決着を。
─ 9 ──────
ファルハルドの動きが目に見えて変わった。
これまでは鎖帷子を斬り裂ける強い一撃を意識していた。
今は違う。そこまでの強さは必要ない。強い一撃を求めていた時の力みが消えたことで、本来の素早さと動きの巧みさを取り戻した。敵の攻撃は躱し、身の軽さと身入りの素早さで急所を狙い、刺突を狙う。
より確実に、より手数多くの攻撃を当てていく。鎖帷子に阻まれ、充分な傷を与えられなくとも構わない。攻撃が当たった際の雪熊将軍のわずかな表情の変化、動きの違いを見逃さず、どこに当てれば効果的なのかを探っていく。
おそらく雪熊将軍が負傷しているのは主に身体の側面。そして、下腹。
ファルハルドは攻める。これを流れを変えるきっかけと為すべく、懸命に攻める。
雪熊将軍に焦りはない。行うことに変わりはない。力と技、その全てを用いて倒す。この良き敵を倒し、思いを遂げる。倒すに相応しい敵を倒すため、全力を尽くすのみ。
観戦する両部隊の盛り上がり方は少し変わった。
イルトゥーラン側は騒がしいだけの歓声が減り、ファルハルドの戦いぶりに驚嘆し、感嘆の声を漏らしている。
戦うは最強無敵の雪熊将軍。昨日までの対等に渡り合っていた傭兵にも驚かされたが、その者は一目で強者とわかる者。
対して、この者は。そこまで目を引く実力はなく、先王を殺害したという言葉も半信半疑に受け止めていた。
なのに、今その実力は雪熊将軍に手が届こうとしている。自分たちと大きくは違わぬ腕前であったからこそ、そのあり得なさがありありと感じられる。
先ほどまでの、小物が勝てない勝負に挑む心意気を面白がっていた冷やかし声とは違う、先王を殺したと虚言を弄する愚か者が殺される姿を期待する煽り声とも違う、純粋な賞賛の声が上がり始めている。
傭兵側も半数の戦いを面白がる声は感嘆の声に変わり、残り半数は心からの声援を送り続けている。
立会人たちは変わらない。
初老の男と白い毛皮の人物の雪熊将軍への信頼は分厚い。ファルハルドが予想外の頑張りを見せた程度で揺らぎはしない。最後には雪熊将軍が勝利すると確信している。
ファイサル神官にとって重要なのは勝敗ではない。その戦いが戦神様の御心に適うものであるかどうか、重要なのはそれだけだ。
この決闘は紛れもなく御心に適う戦い。聖文碑の聖文を読めるファルハルドに死なれては困るが、全ては戦神様の御心次第。ファイサルは静かな心持ちで、二人の決闘を見守っている。
そして、ダリウスは。硬い面持ちで二人を見詰めている。
確かにファルハルドの動きは良くなり、雪熊将軍との実力差は縮まった。だが、そこにはまだ厳然とした差が存在している。あくまで、万に一つの勝利が、百に一つに近づいたというだけ。
雪熊将軍の負傷はダリウスが期待したほどではなかった。戦いに絶対はない。それでもこのままでは届かない。自身、豪勇無双の実力を持つダリウスには、他の者たちとは違いこの二人の実力をはっきりと測ることができる。
このままではファルハルドは勝てない。あとは奇跡を起こせるかどうかだ。
ファルハルドは攻める。避け、躱し、そして攻める。
雪熊将軍は攻める。受け、弾き、そして攻める。
雪熊将軍の連撃を、ファルハルドは重心の移動を活かした体捌きで躱し、地を蹴り素早く移動し背後に回ろうとする。
そのファルハルドの動きに合わせ、雪熊将軍は斬撃の軌道を変える。
ファルハルドは雪熊将軍の脇腹を打つ。わずかに雪熊将軍の身体が硬直。生まれた振りの遅れを衝き、剣の間合いから抜け出した。
雪熊将軍が硬直したのは一瞬だけ。即座にファルハルドを追いかけ、掲げた大剣を振り下ろす。
ファルハルドは躱すが、振り下ろされた大剣は一帯を薙ぎ払うかの如く大きく横薙ぎに振られた。
ファルハルドは跳躍で躱す。そのまま、顔を狙った刺突に繋げる。
これは雪熊将軍による誘い。
繰り出されるファルハルドの剣を斬り上げで払った。それは単なる払いではない。重く力強い斬り上げ。宙に浮いていたファルハルドの体勢が崩れる。
雪熊将軍は見逃さない。勝負を決める。大剣が振るわれた。唸る剣が、ファルハルドを斬り裂いた。




