81. 二つの戦い /その⑥
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ファルハルドの剣が閃き、その身は軽やかに舞う。ファルハルドの剣の当たる回数が、雪熊将軍の大剣を躱す回数が増えている。
それは事態の好転を意味しない。
ファルハルドが何度剣を繰り出そうとも、変わらずまともには傷を負わせられていない。
それがわかった上で、雪熊将軍はわざと鎖帷子に当たる攻撃は受けているということ。雪熊将軍が勝負を急いでいないからこそ、ファルハルドが躱せられる程度の攻撃が多くなっているということ。
このままでは、良くて今までの繰り返し。筋力、体力で劣るファルハルドの限界が先に訪れる。その時、全てが終わる。
状況を打開する糸口はまだ見つからない。ならば、諦めるか。それはない。ならば、逃げ出すか。それもない。選ぶのは一つ。攻めあるのみ。
雪熊将軍の斬撃を避け、一歩下がる。雪熊将軍は即座に剣を返すが、ファルハルドは躱し、刺突の構えで懐に跳び込む。
雪熊将軍も刺突までは当たるに任せはしない。大剣を当て、払おうとする。
ファルハルドはここまでの攻防で、その反応を予想済み。膝を曲げ身を低くし、雪熊将軍の剣を透かせる。一気に身を伸ばし、鎖帷子ごと貫かんとする。
が、ファルハルドが雪熊将軍の反応を予想していたように、雪熊将軍もファルハルドの反応を予想していた。
剣を握る手の片方を放し、固めた握り拳でファルハルドの剣の平を叩き、刺突を逸らしてみせた。
ファルハルドは止まらない。剣を叩かれた勢いを活かし、右足を軸に回転。大きく回り、斬撃を狙う。
こんな大きな動作の攻撃が当たる筈もない。雪熊将軍は剣を合わせる。
ファルハルドが大きな動作の斬撃を繰り出したのは誘い。回転する間に身体を撓めていた。地を蹴り、跳躍。迫る刃を跳び越え、剥き出しの顔面を狙う。
雪熊将軍の反応はさすがだった。わずかに上体と首を傾けることで、兜でファルハルドの斬撃を防いだ。
激しい音が鳴り響き、獣、おそらくは雪熊の頭部を模した兜にはっきりと大きな傷が付く。
しかし、それだけ。雪熊将軍自身にはまるで効いていない。すぐさま、反撃。ファルハルドは身を翻し、距離を取る。
両者は距離を取り、向かい合う。決闘開始より初めて攻撃が止んだ。ファルハルドは乱れた息を整えている。雪熊将軍が攻めない理由はわからない。これといった負傷もなく、見てわかるほどの疲労もない。
ファルハルドは考える。
強い。これだけ攻めても、碌に手傷を負わせられないとは。それでも攻撃は当たる。雪熊将軍の剣筋は見えている。あと、一つ。あと一つ、なにかがあれば勝筋も見える。その一つはなんだ。
ファルハルドの考えがまとまる前に、雪熊将軍が動いた。唸る刃を躱す。大剣は地を撃つ。
雪熊将軍は次の一手を変えてきた。踏み込み斬撃を放たんとするファルハルドに向け、雪熊将軍は刃先で土を撥ね飛ばした。
不意打ち。斬撃に気を払っていたファルハルドの反応は遅れる。
土塊がファルハルドに当たる。ファルハルドは、一瞬目を瞑ってしまう。雪熊将軍はその隙を見逃さない。ファルハルドは身を翻すが、間に合わない。右肩を斬られる。
初めて深手を受ける。斬られた衝撃で、ファルハルドはそのまま後ろに倒れかかる。
雪熊将軍は一気に勝負を決めようと、踏み込んだ。
ファルハルドは抗う。倒れかかった状態から、重心移動と地を蹴ることで宙返り。背中からではなく足から着地し、着地と同時に低い姿勢のまま、前に跳んだ。
雪熊将軍は剣に重みを加え、加速。刃は兜を掠めた。ファルハルドは風切り音を立て迫る大剣を掻い潜った。そのまま、雪熊将軍の脇を抜け背後に回ろうとした。
ここで、両者にとって一つの誤算が起こる。
ファルハルドは肩の痛みで目測を誤った。無事な側である左肩が雪熊将軍の脇腹にぶつかり、意図せぬ体当たりとなった。
ファルハルドは体当たりの衝撃が右肩に伝わり、身体が強張り体勢が崩れる。身体を支えられず、地面に転がった。
拙い。雪熊将軍の追撃への反応が間に合わない。ファルハルドの脳裏には無惨に両断される己の姿が浮かぶ。
及ばずとも諦めない。死ぬその瞬間まで諦めない。命ある限りの抵抗をと、大剣を迎え撃つため剣の柄を握る手に力を籠める。
そして、疑問が頭を過ぎる。なぜ、俺はまだ生きている。こうして考える間などなく斬り殺される筈なのに、と。
雪熊将軍は追撃を行うことなく立ち尽くしていた。理由を考える余裕はない。ファルハルドはこの隙にと立ち上がり、素早く距離を取った。
雪熊将軍はこの時になって動き出す。しかし、その動きはどこか精彩を欠いていた。速度、力強さに劣り、動きもどこかぎこちない。右肩が引き攣り、動きが鈍ったファルハルドが攻撃を躱すことができていることがその証拠。
ファルハルドは雪熊将軍の剣を躱しながら考える。なぜだ、と。
不調さは演技? ファルハルドを誘い込み、確実に勝負を決める機を狙っているのか。
いや、それはない。それならば、ファルハルドが体勢を崩し地面に転がっていたさっきこそが好機。
ならば、攻撃が効いている? 散々、見舞った斬撃に効いた様子はなかったが……。なのに、偶然当たっただけの体当たりがそれほどまでに効いたというのか。いったいなぜ。
雪熊将軍の剣を避け、目まぐるしく立ち位置を変えるファルハルドの視界に周囲の様子が映る。
一方向は昨日までの戦場。多くの戦死者たちが弔われることなく横たわっている。
戦っているファルハルドと雪熊将軍を間に挟み、離れた場所で拳を衝き上げ、歓声を上げているのは両部隊。
イルトゥーラン側は全員が興奮し、声を合わせ囃し立てるように声を上げている。
傭兵たちは半数が夢中で歓声を上げ、残り半数は祈るような面持ちで声援を送っている。
その最前列にいる斬り込み隊の面々は、全員が今にも飛び出したい気持ちを必死に抑えているのが見て取れる。
なんて顔をしてやがる。耐える斬り込み隊の顔を見、ファルハルドには少しの落ち着きと気持ちの余裕が生まれた。
そして、戦う二人の邪魔にならないだけの距離を取り、近くで見守るのが立会人。イルトゥーラン側が初老の男と頭から白い毛皮を被った人物。傭兵側がファイサル神官とダリウス団長。
そのダリウスの姿を見た瞬間、ファルハルドの脳髄に閃きが走る。理解した。論理的な思考ではなく、直感で。前日までのダリウスとの対決で雪熊将軍は負傷していたのだと。
思えば、これまで雪熊将軍が当たるに任せていたのは腕や肩を狙った斬撃。無防備な部位は避け、刺突は防ぎ、胴部分への攻撃は払ってきた。
そう、腕や肩と同様に鎖帷子に守られている胴部への攻撃は確実に防御していた。ダリウスよりはわずかに細身とは言え、頑健な肉体を持つ雪熊将軍が胴部分への攻撃だけは確実に防いでいた。
その理由は負傷していたからなのだと。
こんな気付き一つでは、戦況は微塵も変わらない。
それでも、ファルハルドの身体に力が満ちる。
まるで及ばないと思えた相手に届きうる可能性を見つけたことで。相手も所詮は自分と同じただの人間に過ぎないと確信できたことで。
勝利を求め、ファルハルドは闘志を燃やす。




