80. 二つの戦い /その⑤
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冷気の息がカルスタンを襲う。
魔力で覆われた戦鎚を振るい、冷気を断ち割る。余波が手足を凍えさせるが、カルスタンの勢いは止まらない。一気に霧氷の巨人に駆け寄り、戦鎚を振り抜いた。分厚い肉の塊を叩く手応えと共に、霧氷の巨人から苦悶の声が零れた。
巨人の強靱な肉体、高い魔法への抵抗性があろうとも、無傷とはいかない。カルスタンは一つ一つの攻撃に全力を籠めている。
そんな戦い方では長くは保たない。だが、それでいい。それしかない。時間を掛ければ戦いはどんどん不利となる。速戦。一気に押しきらねば、勝利は望めない。
そして、それはバーバクたちも。
毒巨人は身体に比し、長い腕を持つ。その腕を使い防御されては、懐に入ることは難しい。よって、バーバクは狙う。まずはその邪魔な腕の排除を。
毒巨人の左腕がバーバクの斧を捌こうと迫る。腕の位置が変わる。咄嗟に斧の軌道を変え、動く腕に斬りつける。出血。毒巨人に手傷を与えた。
毒巨人は右腕の毒爪でバーバクを貫かんと狙う。盾で受け止め、間髪入れず斧を振り下ろす。
毒巨人が斧を避け距離を取ろうとすれば、すかさずハーミが不可視の拳で撃ち体勢を崩す。
毒巨人は腰が落ちた状態から体当たりを狙い、飛び出した。ハーミは光壁を展開。体当たりを受け止め、移動を妨げる。
進めぬ毒巨人をバーバクは攻める。攻める。攻め抜いていく。毒巨人はバーバクの攻撃を逸らし、弾き、捌いていく。
バーバクが踏み込み、捌けぬ強い一撃を出さんと狙う。その踏み込みに合わせ、毒巨人は毒の息を吐くため大きく息を吸う。即座にハーミが反応する。毒の息を防ぐため、バーバクの前に光壁を展開した。
しかし、それは見せかけ。毒巨人の狙いはハーミ。何度もバーバクを危険から救い、この戦いを長引かせている存在であるハーミを先に排除することを狙った。
毒巨人は毒の息を放つふりをすることで、ハーミにバーバクへ光壁を展開させ、無防備になったハーミに襲いかかる。素早く足を踏み替えた毒巨人の毒爪がハーミに迫る。
間一髪、ハーミは防いだ。自分の前にも小さな光壁を展開することで。
強弱、厚薄の違いはあっても、通常、神官が展開できる光壁は一つ。だが、ハーミは己の法術を深めた。
四年半前、ベイルが大盾を破られることで戦況が崩れたあの戦いを、バーバクもハーミも片時も忘れることはなかった。どうすればあの悲劇を避けられたのか。二人は方法を考え尽くした。
バーバクは対策として、使用する盾をより頑丈な鋼製の盾に変えた。
ハーミは己の法術を磨いた。決して破られぬ守りを求め、神官として己の信ずる戦神に、抗う戦神パルラ・エル・アータルに祈り、祈り、祈り続けた。
そして、得た。一つの啓示を。
新たな法術を授かった訳ではない。得たのはあくまで啓示。
だが、ハーミは疑うことなく啓示に従った。研鑽を積み重ね、己の法術を深め、そして、ついに身に付けた、新たな活用法を。
それが光壁の同時展開。
光の神々に仕える神官ならば大抵の者が使える『守りの光壁』を深め、二つの光壁の同時展開を行えるようになった。
それはハーミだけの技術。神が授けた力ではない。啓示に従い、積み重ねた努力のなかでハーミ自身が見出した新たな力。
魔力消費は倍以上。二つの光壁を同時に展開すれば、一つ一つの光壁は大きさも小さく、厚みも薄くなる。
だが、それでいい。なんの問題もない。バーバクもハーミも経験豊富な優れた挑戦者。優れた戦闘技術を持っている。多少強度が落ちる光壁でも、その戦闘技術と合わせれば鉄壁の守りと化す。
二つの光壁が展開できさえすれば、バーバクとハーミの二人を同時に守ることができる。前に出るのが二人だけであるなら、これで充分。消費魔力の増加は魔力増幅薬で補った。
だから、なんの問題もない。存分に毒巨人との戦闘に集中する。バーバクは攻める。ハーミは法術を用いて守り、そして攻める。
だが、この毒巨人もただの巨人ではない。通常の毒巨人を上回る狡猾さを持ち、巨人たちのなかで最強に位置する劫火の巨人と霧氷の巨人から奪った腕と脚を備える特異個体。
歴戦の挑戦者であるバーバクとハーミをして、攻めきることができない。
バーバクが必殺の威力が籠められた一撃を繰り出す。同時にハーミが不可視の拳を放った。
毒巨人はバーバクの必殺の一撃を左腕一本で捌き、浅手を受けるに止めた。同時に襲うハーミの不可視の拳は体内魔力を活性化しさらに高めた魔法抵抗性で、これも浅手に止めた。
そして、毒巨人は二人が全力の攻撃を繰り出した隙を衝く。バーバクには左腕から火炎を放ち、ハーミには右腕の毒爪で迫る。
二人の反応は一手遅れた。バーバクは床に転がり炎を避けるが、避けきれなかった熱気が兜や鎖帷子を熱し、バーバクの肌を焼く。
ハーミは光壁の展開が間に合わない。盾で受け、攻撃を受け流そうとするが、完全には流しきれず毒爪が肩を刺す。
鎖帷子に守られ、受けた傷そのものは軽い。しかし、傷口から体内に毒巨人の猛毒が滲入する。
毒消しの粥を食べ続けることで得た毒耐性がハーミの命を繋ぐ。なんとか、即死だけは免れた。
ハーミはその得られたわずかな猶予を活用する。深く集中し、『解毒の祈り』を祈った。滲入した猛毒を解毒していく。
だが、即時の解毒など不可能。そして、深い祈りに集中するハーミは動けない。一瞬でも気を抜けば、猛毒はあっという間にハーミを冒し命を奪う。
その動けぬハーミを狙い、毒巨人が襲いかかる。
ハーミを狙う毒巨人の攻撃をバーバクが妨げる。あと一歩まで迫った毒巨人に低い姿勢からの体当たりをくらわした。
おそらく、本能で動くただの巨人相手であったなら、この体当たりは失敗した。狡猾な毒巨人であればこそ、肌を焼かれたバーバクは痛みですぐには動けないとの思い込みを持ち、体当たりをくらうことになったのだ。
毒巨人には知る由もなかった。ジャンダルの奏でる『蛮勇の旋律』の効果を。
バーバクもハーミも『蛮勇の旋律』の効果により、痛みも疲労も軽減されている。火傷の痛みで身が竦むことも、動きが引き攣ることもない。そして、軽減されながらも生じている疲労そのものは、全く感じることがない。
よって、傷を受けても支障なく動くことができる。それがどれほど身体への負担となったとしても。
バーバクの体当たりを脚に受け、毒巨人は体勢を崩し床に手をついた。バーバクは冷気をまとう左脚と接触したことで、加熱された兜や鎖帷子は冷やされた。代償に、右肩に軽い凍傷を負う。
バーバク、ハーミ、毒巨人。三者は攻撃に移る前、一拍の間で自分の状態を把握。次の一拍で、他の者たちのおおよその状態も把握した。
三者は動く。バーバクは斧を手に果敢に攻め入る。ハーミは解毒が完了していない。それでも、バーバクの援護を行う。毒巨人は床から立ち上がり、応戦。
一歩攻撃に移るのが早かったバーバクの一撃を受け、毒巨人は脇腹に深手を受ける。
しかし、受けた深手は一つだけ。その後の攻撃は全て捌き、逸らしていく。バーバクは息つく間もなく攻撃を繰り出すが、与えることができた傷は全て浅手に止まった。決定打は未だなし。
バーバクの斧を捌く左腕を中心に、毒巨人には無数の傷を与えている。しかし、毒巨人の身は毒血に濡れはしない。左腕にまとう炎を使い、自らの傷口を焼くことで出血を止めている。
巨人の体力は人から見て無尽蔵。対してバーバクたちの体力には限りがある。あくまでもジャンダルの『蛮勇の旋律』の効果で疲労を感じなくさせ、普段以上に動けるようにしているだけ。
疲労を感じなくなっていることで、逆にいつ体力が限界を迎えるのか、それがわからなくなっている。ジャンダルがいつまで『蛮勇の旋律』を奏でられるかもわからない。
バーバクとハーミは考える。息つく暇もなく戦いながら、現状を打破する手段を探す。
前回の戦いではどうしたか。バーバクが防御を捨てた全力の一撃を放ち、あと一歩まで追い詰めた。無理だ。毒巨人は防御技術を上げている。全力の一撃を繰り出したところで、それだけでは決定打とはなり得ない。
これ以上の強い力を絞り出す。難しい。確かにハーミには普段あまり使っていない法術もある。しかし、それは得意でなかったり、使いにくかったりするからだ。そんな法術でこの状況を変えるのは難しい。
バーバクに関してはとうに全力を尽くしている。これ以上の力を引き出せる訳がない。
仲間たち。
ジャンダルは『蛮勇の旋律』を奏でることに集中している。『蛮勇の旋律』が途切れれば、バーバクもハーミも戦えなくなることだろう。このまま演奏に集中してもらうことが最上。
カルスタンとペールは霧氷の巨人と戦っている。押してはいるが、相手は巨人のなかでも最強とされる一体。いつ決着が付くかはわからない。むしろ、一刻も速くこの毒巨人を倒し、バーバクやハーミも加勢するべきだろう。
バーバクもハーミもここ数年は苦戦することなどなかった。参考になる出来事が思いつかない。
身近で苦戦しながら戦っていた者と言えば、ファルハルドやジャンダル。二人がどうしていたかを考える。
二人とも素早い獣人などとの戦闘は苦労することなく、頑丈な相手や力の強い相手との戦いで苦労していた。
自分の苦手な部分で立ち向かわなければならない相手には苦戦していたということ。そして、敵わない相手にも自らの得意を活かすことで勝利していた。
バーバクとハーミに当て嵌めるなら、どうなるか。
二人とも苦手を克服し、目立った欠点はない。それでも素早い敵との戦いはあまり得意ではない。この毒巨人は特別素早い訳ではない。しかし、二人の得意とする力を活かした戦いを行おうにも、巨人の膂力は二人を上回る。だから得意を活かせない。それが戦いを有利に持って行けていない理由。
結局、記憶を探っても状況を打開する手段は見つからない。
では、諦めるか。あり得ない。そんなことは許せない。たとえ希望が見えずとも、臆することなく戦い続ける。
そして、ファルハルドも。死力を尽くし戦っている。打開策などなに一つ見えないままに。




