76. 二つの戦い /その①
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パサルナーン迷宮五層目。
今、バーバクたちの前には一体の巨人が立つ。隻腕の、いや、隻腕であった毒巨人が。
およそ、十日前。バーバクたちは酒場で五層目に潜る他の挑戦者と話し、奇妙な巨人の噂を聞いた。
それは一体の毒巨人。毒巨人の筈である。ぱっと見は毒巨人なのだから。
ただ、その左腕がおかしかった。炎の巨人のように炎をまとっているのだ。遠目で見ただけなので判然とはしないが、左脚もどこか普通ではなかったと言う。
バーバクとハーミにはわかった。奴だと。奴はやはり生きていた。奴の左腕や左脚が今どうなっているのか、それはわからない。
それでも確信する。話を聞いた瞬間、胸を刺した痛みが、背中を走り抜けた凍りつく感覚が、それが奴だと、嘗て仲間を殺したあの隻腕の毒巨人だと告げている。
次の日から、バーバクたちはその奇妙な毒巨人を求め、姿が見られたという場所を中心に探索を行った。
しかし、見つからない。次の日も、その次の日も、そのまた次の日も、探す毒巨人の影も形もなかった。
バーバクたちは意気消沈し、心折れる、ことなどない。仲間を亡くしたあの日から、その胸の内で復讐の炎は絶えることなく燃え続けている。求めれば求めるだけ、見つからなければ見つからないだけ、より強く、より一層炎は燃え盛る。
奴を討ち取る。心を占めるは一つだけ。疲労も懈怠も感じる余地はない。
その執念が天に通じたか、あるいはそれが定められた運命だったのか。ついに出会した、仇と狙う毒巨人に。
─ 2 ──────
その姿は異形。身体に比し長い腕、鋭い毒爪、爛れ黒ずんだ紫の肌、濁った瞳、乱杭歯。それらは毒巨人らしい特徴。
だが、おかしい。毒巨人は巨人のなかでは比較的小柄。バーバクよりも頭二つ背が高い程度。こいつはでかい。背丈だけではなく身体全体が一回りは大きくなっている。
それ以上におかしいのが、その左腕と左脚。左腕は炎をまとい、左脚からは冷気が漂う。それは炎の巨人と冷気の巨人の特徴。毒巨人が持ち得ぬものだ。
それでも、間違いない。間違えようがない。その胸に大きく刻まれている傷痕が、右大腿にある深い傷痕が、なにより濁った瞳に宿る邪悪な意思が、こいつがベイルたちを殺したあの毒巨人だと示している。
こいつはバーバクによって断ち斬られた左腕と貫かれ肉を引き千切った左脚の代わりに、炎の巨人と冷気の巨人から腕と脚を奪ったのか。
だからといって、なぜそれで異種の手脚が繋がるのか。全く理解できないが、そんなことはどうでもいい。重要なことはただ一つ、やっと仇と見えた、それだけだ。
毒巨人は嗤っている。間違いない。こいつはバーバクとハーミを認識している。昔、襤褸襤褸になり、仲間を殺されながら逃げ出した無様な人間だと記憶している。
バーバクとハーミが足を踏み出そうとした。毒巨人の左腕から炎が吹き上がる。その左腕を振り、炎を放ってきた。ハーミが光壁を展開し、炎を防ぐ。
バーバクとハーミは笑う。込み上げる笑いを抑えることができない。
毒巨人は炎をまとうだけでなく、放ってきた。それが意味すること。
それはその左腕が炎の巨人から奪ったものではないということ。より上位の存在、巨人たちのなかでも最強の一体である劫火の巨人から奪ったものだということ。
ならばその左脚も冷気の巨人ではなく、霧氷の巨人から奪ったものだろう。
それでいい。そうでなくてはならない。四年半前、仲間たちを壊滅させた敵は強大であってもらわねば困る。単に自分たちが愚かでひ弱であったから負けたのではない、手強い敵であったからこそ敗れた、そう思える相手でなければ困る。
こいつは、あの時よりもさらに力を増している。それでこそ全てを懸けて倒す価値がある。命を懸ける甲斐がある。
光壁を展開したまま、バーバクとハーミは腰の袋から一つの瓶を取り出した。それは禁じ手。『魔力増幅薬』、あるいは『死の取引』と呼ばれる特殊な薬。
効果は、服用した者の魔力量を丸一日の間約一割ほど増やすこと。そして、副作用として、服用した者の寿命が十年失われる。
二人は、ジャンダルたちに目をやる。ジャンダルたちは止めない。この時までに散々話し合ってきた。今更、止めはしない。
ジャンダルは腰の後ろの小鞄から葦笛を取り出した。二人は魔力増幅薬を飲み下す。ジャンダルは不思議な曲を奏で始めた。
毒巨人とどうやって戦うのかを何度も話し合ってきた。
バーバクとハーミは仲間たちに援護を頼んだ。それは手を出すなという意味ではない。二人が全てを毒巨人との戦いに注ぎ込めるよう、支えて欲しいということ。
万が一にも他の巨人が姿を見せた時には、邪魔できぬよう排除してくれと頼んだ。そして、バーバクとハーミに直接的な手助けも、と。
この戦いの要となる者。それはジャンダル。ジャンダルこそがこの戦いの行方を左右する。
ジャンダルが奏でる曲、それは『蛮勇の旋律』。効果は嘗てパサルナーンまでの旅の途中、悪獣の群れに襲われた際に奏でた『勇猛の調べ』と似ている。疲労を軽減し、身体能力を底上げする。
ただ、効果はそれだけではない。『蛮勇の旋律』の効果はもっと強力で、凶悪。闘争心を掻き立て、痛みを感じにくくさせ、さらに疲労を感じさせなくなる。
痛みも疲労もなくなる訳ではない。どちらも軽減されているだけで発生している。だが、痛みを感じにくく、疲労を感じなくなることで、聴く者は限界以上に身体を酷使できてしまう。
結果、『蛮勇の旋律』の下、戦う者は、往々にして戦闘終了後その反動から命を失う。
それを聞かされてなお、二人はジャンダルに『蛮勇の旋律』を奏でることを求めた。
全てを懸けなければ奴を倒せない。奴を倒せなければその先の人生に意味などない。奴との戦いが人生最後となっても本望だ。
二人はそう言って、ジャンダルを説得した。
『蛮勇の旋律』は凶悪。奏でるジャンダルをも消耗させる。奏で続ける間、ジャンダルの生命力は削られていく。
それがどうした。ジャンダルは奏でる。なにがあろうとも、戦いが終わるその時まで吹き続けると決意して。
カルスタンとペールはジャンダルの邪魔をする全てを排除する。そして、なにかあればいつでもバーバクとハーミを手助けできるよう身構えている。
バーバクとハーミは昂っている。だが、逸っている訳ではない。二人は闘志を燃やし、それでも冷静さを失っていない。
相手は闇の怪物、毒巨人。怪物相手の戦いに作法などない。それでも二人は戦士の作法に従い、名乗りを上げる。
「俺はバーバク・ロロ・ヴァルカ・アサバニハガーギト。我が友ベイル、ジャミール、シェイルの魂の平安と尊厳のため、その首、貰い受ける」
「小職は戦神の賤しき僕、ハーミ・タリーブ=リー・パルレファーデなり。闇の怪物よ。戦神様に仕える者の務めとして、そして一人の人間として、汝を倒す」
毒巨人は不快な甲高い奇声をもって応じた。バーバクはその手の斧を振り翳す。ハーミは祈りの体勢に入る。毒巨人は爪を閃かす。
一方、遠く離れたイルトゥーランの空の下、ファルハルドと雪熊将軍は対峙する。
ファルハルドは最初の位置から動いていない。
違いは一つ、その腰の剣を抜いた。パサルナーンを旅立つ際、モズデフから贈られた小剣を。ファルハルドの無事を願うモズデフの祈りが籠められた剣を。
右腰には予備となる短剣がある。ジャンダルたちが送ってきた柄頭にレイラの瞳の色と似た貴石が嵌められた短剣が。盾は持っていない。雪熊将軍の大剣に、盾などなんの役にも立たないが故に。
雪熊将軍は急がず一歩ずつ近づいて来る。剣の間合いに入る寸前、雪熊将軍はファルハルドに告げる。
「若き勇士よ。汝には王殺しの大罪人としてではなく、勇敢なる戦士として我が剣で死ぬ名誉を与えてくれよう」
ファルハルドはその目と肚に力を籠め、応じる。
「死ぬのはお前だ、オルハン」
雪熊将軍は楽しげに口の端を吊り上げ、名乗りを上げる。
「儂はイルトゥーランの将が一人、オルハン。若き勇士よ、来るがよい」
ファルハルドも応じ、名乗りを上げる。
「パサルナーン迷宮挑戦者、ファルハルド。参る」
ファルハルドと雪熊将軍は剣の間合いへと踏み込んだ。
奇しくも、同日同刻。二つの宿命の戦いの幕は同時に切って落とされた。




