69. 紛争 /その②
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そこは過去に何度もアルシャクスとイルトゥーランがぶつかり合う戦場となった場所。
多くが平坦でありながら、ところどころに丘もあり起伏もある平原。騎兵を主力とするアルシャクス軍、歩兵が大半を占めるイルトゥーラン軍。どちらにとっても有利不利とは言いきれない場所となる。
アルシャクス正規軍四千、傭兵三千。イルトゥーラン軍八千。
両軍はオスクの成人男性が歩いて半刻ほど掛かる距離である半刻里よりわずかに広い距離を取り、それぞれの陣営地を築いている。
両軍は陣営地の前に軍を展開させ、向かい合う。
ただ、その全体像はファルハルドにはわからない。一兵卒であるファルハルドにわかるのはその目で見える範囲だけ。周辺にいる傭兵たちと、離れた場所にわずかに見える敵の姿がその把握できる全てだ。
ダリウス率いる傭兵団は陣の左翼中ほどに位置している。
戦場にいながらその雰囲気はどこか緩い。オリムにいたっては堂々と大欠伸をしているほどだ。
オリムは自分を見詰めるファルハルドの視線に気付き、話しかけてきた。
「今日は戦闘はねえぞ。のんびりしとけ」
確かに他の傭兵団も含め、近くにいる者たちの雰囲気は戦闘を行うような張り詰めたものではない。
アキームが戦場は初めてのファルハルドとヴァルカに説明をする。
両軍が布陣をし、対峙したからといってすぐに戦闘開始するとは限らない。
行軍からそのまま戦闘に突入することもあるが、でかい戦であればあるほど互いに陣を敷き、対峙し、士気を高め、機を探り、準備ができて、それから初めて、さあ、会戦となることも少なくない。
今は両軍とも機を窺っている状態。たぶん戦闘開始には数日掛かるだろうという話だった。
ファルハルドにとって、敵を目の前にしながら戦わないというのはどうにも理解できない話だったが、確かにその日は戦闘は行われず、両軍とも日暮れに合わせそれぞれの陣営地に引き上げていった。
その後も両軍とも陣を構えて対峙するが、戦端が開かれることなく日暮れと共にそれぞれの陣営に帰っていくことを繰り返す。
それが数日続いたある日の夜。焚火を囲み談笑していた時、ダリウスが鼻をひくつかせ団員たちに告げた。
「戦の匂いが漂っている。明日は戦闘になるぞ。今夜はしっかりと休め」
団員たちがその言葉を疑うことはない。
ファルハルドに戦はわからないが、今日の昼見たイルトゥーラン軍の様子から昨日までよりも戦意が高まってきていることには気付いていた。
戦場に慣れた人間にしかわからないなにかがあるのだろう。ファルハルドも素直にダリウスの言葉に従い、明日の戦闘に備えその日はゆっくりと身体を休めた。
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その日、両軍は昨日までよりも近い距離に陣を敷く。
その場にいる誰もがわかるほどに、両軍の戦意は高まっている。
両軍の指揮官がそれぞれの陣の前に姿を現し、自軍に向け兵士たちを鼓舞する演説を始めた。
その演説内容は傭兵たちには途切れ途切れにしか聞こえない。アルシャクス軍の演説は全て正規軍を対象に行われているためだ。
オリムが薄ら笑いを浮かべる。
「おー、おー、えらく気合い入ってるじゃねぇか」
「どーせ、いつものやつっしょ」
「だな。よくも、まあ、毎度同じ内容で盛り上がれるもんだぜ」
傭兵たちはせせら笑っている。いつもならダリウスもまた演説を行うところだが、今は他の傭兵たちと共にいるためか、ダリウスが演説を行うことはない。
両軍の演説が終わり、兵たちは喊声で応え、指揮官は陣内に戻っていった。いよいよ会戦の準備は整った。
イルトゥーラン軍では各隊に配属されている楽員が小太鼓を叩き、兵たちはその音に合わせ足踏みをし、武器と盾を打ち合わせる。
アルシャクス側からは喇叭の音が響き渡り、騎兵たちが駆け出した。進み出たのは軽装弓騎兵。矢が届く距離まで進み、馬上のまま一斉に弓を引き絞る。
部隊長の合図に合わせ、矢は放たれた。あまりに大量の矢。一斉に放たれた矢は雲の如く空を覆い、一瞬イルトゥーラン軍を照らす日の光を遮った。
次々と大量の矢が降り注ぐ。弓騎兵が持つ矢袋はすぐに空になる。しかし、それで矢が途切れることはない。矢を打ち尽くした兵は替え馬に積んだ矢袋を取りに戻り、途切れることなく次から次へと矢を放つ。
刃を交えての戦いこそ戦士の誉れと信じるイルトゥーラン軍は、弓矢をあまり好まない。一方的に放たれる矢は恐るべき武器となる。
しかし、イルトゥーラン軍とアルシャクス軍は過去に何度も戦っている。当然、イルトゥーラン軍にはアルシャクス軍の矢に対抗するための備えがある。イルトゥーラン軍は各員が用意していた大盾を掲げ、矢を防ぐ。
矢の雨を浴びながらも止まることなく前進を続け、じりじりとアルシャクス軍との距離を詰めていく。盾を貫かれ矢に倒れる者も出ながら、イルトゥーラン軍はアルシャクス軍へと迫る。
イルトゥーラン軍が一定の距離まで近づいたところで、短く喇叭が鳴らされた。
軽装弓騎兵は素早く退く。別の騎兵が姿を見せる。姿を見せたのは重装槍騎兵。大槍を構え、飛び出した。
歩兵にとって騎兵が突っ込んでくる迫力は圧巻。だが、イルトゥーラン軍は怖れない。歩みを止めることはない。
両軍は接触。重装槍騎兵が一気にイルトゥーラン軍を断ち割っていく。
イルトゥーラン軍も黙ってやられる訳ではない。当然の備えがある。割れた人並みの先には隠されていた馬防柵や落とし穴があった。彼らは対峙したまま戦端を開かなかった数日で、この備えを用意していた。
重装槍騎兵の一部は軍内を駆け抜け、一部は馬防柵に阻まれ立ち止り、一部は落とし穴に落ちて脚を折る。槍騎兵は突撃を行ってこそ脅威となる。馬防柵や落とし穴で動けぬ騎兵など、なにほどのこともない。
イルトゥーラン軍が殺到する。次から次へと襲いかかり、次々とその刃に掛けていく。
戦場は混戦となる。先ほどまでとは違う調子で喇叭が吹かれた。傭兵たちへの出撃の合図だ。
ダリウスは手甲に覆われた拳を打ち合わせ、団員に呼びかけた。
「行くぞ!」
「おおぉお」
雄叫びを上げ、ファルハルドたちは一斉に駆け出した。
すでにイルトゥーラン軍とアルシャクス軍は入り乱れて戦っている。
ダリウスが先頭に立ち、拳を振るう。立ち塞がる敵は吹き飛ばされた。
オリムが高笑いと共に豪快に二本の三日月刀を振るう。一刀は敵に躱され、一刀は盾で受け止められる。オリムより一層楽しげに笑う。
斬り込み隊は突っ込み、当たる敵と斬り結ぶ。
本隊隊員たちは隊列を乱さず、集団として敵とぶつかる。
ファルハルドは迫る斧の刃を避け、剣を振るう。盾で受け止められる。横から別の敵の剣が迫る。身を屈め刃を避ける。踏み込み、刺突。体重を載せた突きで鎖帷子を貫く。
致命傷ではない。だが、一人の敵に構ってはいられない。次から次へと新たな敵が殺到し、その敵には別の味方が迫る。
それは暗殺部隊相手の戦いとも、闇の怪物相手の戦いとも異なる。ファルハルドはその実力を満足に発揮できていない。
戦場で求められるのは個としての強さではなく、集団としての強さ。ずっと一人で剣の稽古をしてきたファルハルドは集団での戦闘に向いていない。
もちろん、ジャンダルたちや傭兵団の面々と共に戦った経験もあり、周りに合わせ戦うこともできなくないが、集団対集団の戦いとなるとどうにもこうにも遣りにくい。
ダリウスほど飛び抜けた強さがあるなら話も変わってくるが、ファルハルドには一人で場を塗り替えられるほどの圧倒的な戦闘力はない。
ファルハルドが精彩を欠く理由はもう一つ。
ファルハルドはイルトゥーランとの戦いと聞き、血を沸き立たせた。
だが、実際にこうして剣を合わせてみれば、そこにいるのは憎い敵ではなく、ただの敵。母を虐げ苦しめたのは王城の者たち。この者たちではない。
怨みはなく、憎しみもない。この者たちはたまたま戦場で出会ってしまっただけの敵。気乗りがしない。
ファルハルドは甘くもなければ、初心でもない。命を奪い合う場で迷うことも躊躇うこともない。それでも他の者たちのように嬉々として戦う気にはなれなかった。
他の者たちは心から戦いを楽しんでいる。力の限り、命を燃え上がらせる。命の遣り取り、その充実感に心躍らせている。
それはヴァルカやファイサルも。この二人は他の者たちと比べればまだ平静だが、それでも嘗て自ら望んで迷宮に挑戦した者や、戦神に仕える者が戦いを嫌う筈がない。皆は戦いの高揚感に酔いしれている。
日が傾き、夕暮れが近づくまで両軍は戦い続けた。




