67. オルダの結婚
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それは出兵に備え、駐屯地から天幕を東西両開拓村に移設し終わり、いよいよ兵の選出に取り掛かろうとした時だった。
今年も冬の間、東村に常駐していたオルダが皆の前でいやにでれでれした姿を見せた。見た者全員が、こいつなにがあったんだと心配になるほどの姿だった。
「よぉ、お前大丈夫か」
「えー、なに、えっへっへ。当たり前だろ、大丈夫だっつーの。えっへっへ、へっへ」
どう見ても大丈夫には見えないが、なんだか気持ち悪いので皆それ以上触れようとはしなかった。
取り敢えず、周辺の見回りをするかとファルハルド他数名が準備をしていたところに、ダリウス団長が東村にいる団員全員を呼び集めた。ぞろぞろと天幕横に集合した団員たちにダリウスが告げる。
「皆に伝えることがある。我らが戦友二名が、新たな生活を送るため退団することとなった。ユーヴとオルダだ。二人は、今後この東村で暮らしていく。
それと、もう一つ。オルダは結婚することになった」
皆は響めいた。
「本隊隊員半数は今からアイーシャたちと共に祝いの準備を手伝え。
騎馬隊は今から東の山を越えた隣村に行き、買い出しと荷運びを行え。
斬り込み隊と残りの本隊隊員半数は周辺を巡り、徹底的に怪物たちを狩り尽くせ。憂いなく宴を行えるよう準備をするのだ。
皆の者、明日はたらふく呑んで食らって騒ぐぞ」
「いよっしゃぁぁあぁぁ」
団員たちは一斉に歓声を上げた。
ファルハルドはなるほどと納得した。
アヴァアーンに行った際、ダリウスは大量の酒と食材、蜂蜜や乾燥果物などの甘味を、ワリド村長は華やかな布を購入していた。
かなりの大量具合で、荷馬車の荷台は全て荷物で占められてしまっていたほどだ。団への土産にしてはやけに多いと思ったが、その理由が今やっとわかった。
西村にも知らせを走らせ、斬り込み隊と本隊隊員は三組に分かれた編成を行った。開拓地内を駆け巡る。出会った怪物たちの数はそれほど多くはない。団員たちは油断することなく全て仕留めていく。
皆、実に気合いが入っている。ただ、気合いが入っている理由はオルダたちを祝うためではなく、間違っても宴の邪魔されないため、そしてここで怪我をして明日の呑み食いを控えろ言われないためだったりするが。
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当日は快晴となった。
本隊隊員の半数とアイーシャたち女性陣は宴の準備を行い、騎馬隊は荷運びを続けている。昨日、怪物たちを狩った斬り込み隊と本隊隊員半数は、今は身体を休めている。
ファルハルドはスィヤーを連れて村の周辺をゆっくりと散歩している。手伝えるような準備もなく、さすがに今日鍛錬を行うのは邪魔でしかないからだ。
興味あるものを見つけたのか、スィヤーは時々ファルハルドの傍を離れ、そこかしこで盛んに匂いを嗅いでいる。
ファルハルドはスィヤーと出会った場所を見に行った。なにかがある訳でもないが、しばらくその場所を眺めていた。
スィヤーにもこれといって特になにかを感じている様子は見られない。尻尾を振りふり、あちらこちらの匂いを嗅いではまた戻ってきてを繰り返している。
昼前には東村に戻る。外から東村をじっくりと眺めてみる。
昨年の双頭犬人の襲撃の際に散々荒らされた畑は今は耕され、畑を囲む垣も造り直されている。
村落部分を囲む柵も直されている。こちらは一目で荒い造りだと見て取れる状態だ。これでは大規模な襲撃がある前に手直ししたいと思うのは自然な考えだろう。早く軍から人手を回してもらいたいものだと、ファルハルドも考える。
村内に入ればそんな気持ちもどこへやら。東村は浮かれ騒ぐ幸せな空気に満ちている。
農村でも祭事のために、人々は晴れ着の一枚くらいは持っているものだ。だが、ここは開拓村。日頃の生活に必要な物も充分にあるとは言えない暮らし。祝いがあると言っても、住民たちは普段のままの格好だ。違いは、せいぜい衣服を綺麗に洗っていることぐらいとなる。
しかし、そんなことはまるで問題とならない。皆は精いっぱいの気持ちを込めて、できる限りの準備をしている。
会場となる村長宅前に多くの料理が用意され、隅では羊が丸焼きにされている。焼けた部分から削ぎ切りにされ、香草を盛った皿に載せられていく。
新郎新婦の席には厚く絨毯が敷かれている。開拓村に毛足の長い厚い絨毯はなかったので、ワリドが用意した絨毯の上にもう一枚、ダリウスが持ってきた絨毯を重ねることで厚みを出している。
新郎新婦の席以外は単に布を敷いているだけだ。それも全員分には足りない。列席者の半数ほどは土の上にそのまま座る。だからと言って、そんなことを気にする繊細な人間はここにはいない。皆は宴の開始を今か今かと待っている。
そして準備は整い、いよいよ式と宴が始まる。
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桶に革を張ったものや、作りかけの金属片を複数吊ったものを楽器とし、タリクとクースが明るい曲を奏でている。
さすが『器用さ優れるエルメスタ』。本職のようにとまでは言わないが、なかなか見事な演奏だ。
宴席と厨房の神メルシュ・エル・セダに仕えるジョアン神官が姿を見せ、高らかに宣言した。
「これより式を始める。新郎新婦をこれに」
新郎と新婦が村の子供たちに手を引かれ、進んでくる。今、村にいる子供は農作業を手伝えるほどの年齢の子供たち。幼子はいないが、花飾りやちょっとした布でできる限りお洒落に着飾った子供たちが手を引く姿は愛らしい。
新郎であるオルダの格好は他の村人たちと同じだ。綺麗に洗った普段着を着ているだけ。それでも髭を剃り、髪を撫でつけ、身形を整えている。
むしろ、ずっと身に着けていた鎖帷子や戦斧がない普通の村人の格好であることが、新鮮な印象を与える。
歴戦の戦士だけあり、顔を引き締め真面目な表情をしていれば、なかなか様になっている。
ただ、時々どうにもでれでれした顔になるため、せっかくの風格が一瞬で消え去り台無しである。
それでも幸せそうなその様子に苦言を呈する者はいない。たまに傭兵たちから、下品な揶揄いの言葉が投げかけられるぐらいだ。
新婦も着ている物は洗っただけの普段着だ。ただし、一点普段と違う点がある。この前ワリド村長がアヴァアーンで購入してきた華やかな布を、頭から胸に掛けてすっぽりと被っている。
それでは前どころか足下も充分に見ることができないだろう。子供たちに手を引かれ、小股でゆっくり、しわりしわりと進んで行く。
新郎新婦の二人には、村人たちより香草や花びらが投げかけられる。
新郎であるオルダには香草が。季節柄、少し香草が足りなかったので、その分は若葉が降り注がれている。
新婦には花びらが。これもまだ充分に咲いておらず、足りない分は細かく切った布切れで補っている。
そして、新郎新婦が席に辿り着けば、二人は並んで腰を下ろし、ジョアンの手によって新婦の頭を覆っていた布の前側が捲られる。
ファルハルドは少し驚いた。新婦は東村の寡婦、ネリーだった。もっとも適齢期で独り身の女性はネリーしかいないのだから、これは少し考えてみればわかることだった。
ネリーの顔は幸福に輝いている。冬の間にオルダとの間にどんな遣り取りがあったのかわからないが、幸せであるのならなんの問題もない。
騒がしかった皆は静まり、タリクとクースも演奏を止めた。
ジョアンはオルダに問いかける。
「妻を求めし男よ、汝に問う。たとえ絶えず闇が襲い、明日が見えぬ日々が続くとも、この女を妻として守り、共にあり続けると神々に誓えるか」
「おうよ」
オルダは力強く答えるが、ジョアンに小声でそこは誓うと答えるんだよと窘められた。オルダは慌てて、誓うと言い直した。
ジョアンは続けて、問う。
「妻を求めし男よ、汝にまた問う。たとえその身を損ない、苦痛に襲われる日々が続くとも、この女を妻として守り、共にあり続けると神々に誓えるか」
「誓う」
「妻を求めし男よ、汝にさらに問う。たとえこの女がお前の思うような女と違い、思い描く暮らしが送れぬとも、この女を妻として守り、共にあり続けると神々に誓えるか」
「誓う」
ジョアンは頷き、ネリーに向き直る。
「夫を望みし女よ、汝に問う。たとえ闇が世界を覆い、人生に苦しみしか残されぬとしても、この男を信じ、共にあり続けると神々に誓えるか」
「はい、誓います」
ネリーも迷いなく誓う。ジョアンは続けて、問う。
「夫を望みし女よ、汝にまた問う。たとえ傍にいられぬ日々が続き、互いの考えが擦れ違おうとも、この男を信じ、共にあり続けると神々に誓えるか」
「はい、誓います」
「夫を望みし女よ、汝にさらに問う。たとえこの男がお前の思うような男と違い、約束した暮らしが送れぬとしても、この男を信じ、共にあり続けると神々に誓えるか」
「はい、誓います」
ジョアンは両手を広げ、宣言する。
「我が神、メルシュ・エル・セダの名により、ここに二人を夫婦と認めましょう」
皆は一斉に拍手を行い、祝いの言葉を述べる。
祝いの言葉が続くなか、オルダとネリーはオスク独特の風習として、互いの耳から片方の飾りを外し、それを相手の耳へと付け替えた。
ファルハルドがふと横を見ると、ヴァルカが薄らと目に涙を浮かべている。
ダリウスとアイーシャ、ニースが祝いの品を持ち、オルダたちの下へと進む。
「二人の結婚を祝し、祝いの品を贈ろう。達者に暮らせ」
ダリウスたちが贈ったのは、鍬や鎌などの鉄を使った農具。タリクたちに頼み、造ってもらった物だ。
開拓村では金属製品などはおいそれとは手に入らない。これから東村で農民として生きていくオルダにとって、最も必要となる品だ。
ちなみに、これはすでに同じ物をこっそりユーヴにも贈っている。
ワリドとエベレが祝いの品を持ち、オルダたちの下へと進む。
「二人の結婚を祝し、祝いの品を贈ろう。共に村を盛り立てていこう」
ワリドたちが贈ったのは、袋いっぱいの粒が大きく形の揃った赤隠元豆。
収穫までの日数が短く、農作業に不慣れなオルダでも作りやすい上に栄養価も高い作物だ。これから東村で農民として生きていくオルダたちにとって、とても役に立つ。
これも同じくすでにユーヴにも贈っている。ただし、ユーヴに贈った分は数が少なく、少し質が落ちる物ではあったが。
オルダとネリーはダリウスたちに丁寧に礼を述べ、一同にも礼を言う。そして、続けた。
「さあ、皆。今日はとことん楽しんでくれ」
一同は歓声を上げた。
ほとんどの料理は大皿に盛られ、でんと置かれている。今は冬を越したばかりの春の初め。食材が乏しい時期だが、この前ダリウスがアヴァアーンで購入してきた食材と酒、騎馬隊が東の山を越えた村で仕入れてきた羊たちのお陰で、宴が成り立つだけの料理を作ることができている。
オルダとネリーは列席者たちの杯に酒を注いで回っていく。ファルハルドにまで回ってきたところで、ネリーが悪戯っぽく笑い、囁いた。
「もうぅ。あなたが私をしっかり掴まえていてくれないから。だから、私たちはこうなることになっちゃったのよぉ」
なにを言い出すのだ、この女。ファルハルドには全く意味がわからない。
周りの者たちは愉快げに、そうだったのかという目をファルハルドに向けるが、完全なる濡れ衣である。
オルダの目付きがやばいことになっている。ファルハルドの顔が引き攣る。性質の悪い冗談は止めて欲しいと心の底から思う。
「おい」
オルダがファルハルドに対し、ずいっと一歩踏み寄った。
周囲の者たちは修羅場だ、痴話喧嘩だと楽しげに囃し立てるが、誰一人として止めようとはしていない。
ファルハルドは溜息をつき、誤解だと言うが、オルダは顔を歪めた。
「んなこたぁ、わかってるよ。こいつは真面目な奴を見ると、揶揄わずにいられない性分なのさ。ま、そこも可愛いんだけどよ、えっへっへ」
と、惚気か説明かよくわからないことを言う。
オルダはだらしない笑顔を控え、話を続けた。
「まあ、あれだ。こんな場で言うのもなんだが、お前はちっとばかし生真面目過ぎるぜ。冗談の一つぐらい笑って流せるようになれよ」
ファルハルドは頭を掻く。あの冗談はとても聞き流せる内容ではないと思うのだが。
それでも、他の者は皆ただの悪ふざけだとわかっていたのなら、確かにもう少し人の気持ちがわかるようにならないといけないのかもしれない、とも思った。
オルダはなにやら真剣な目をする。
「あとよ、あんま無茶ばっかすんじゃねぇぞ。
そりゃ、群れに飛び込んでいく姿はたいしたもんだったけどよ。ありゃ、確かに凄かった、胸が熱くなったぜ。だが、背筋が凍った。
もうちょっとよ、自分を大切にしな。そんなんじゃ、長生きできねぇぞ。人生の喜びは一つだけじゃねぇんだからよ。思い詰めんのもほどほどにしとけ」
それは年長者として、不器用に生き急ぐ若者を気遣う言葉。戦いを常とする暮らしから降りるからこそ言える、人生には戦うこと以外もあると諭す言葉。
ファルハルドには今すぐここでその言葉に従うとは答えられない。それでもファルハルドのことを思い、掛けられた言葉。無視する気にも、誤魔化す気にもなれない。一言、努力すると返した。
オルダは呆れて大笑いする。
「たくもうよぉ。それが生真面目っだっつーの。はっ、やれやれだぜ」
オルダは笑ってファルハルドの肩を叩き、ネリーと一緒に次の者へと酒を注ぎに進んで行った。
手に持つ杯に目を落とし、考え込んだまま立ち尽くすファルハルドに、横にいたヴァルカがぽつりと零した。
「生き方を変えるのは簡単じゃねぇよな」
ファルハルドは顔を上げた。
「だが、なに一つ変えはしないと言うのなら、それは死んでんのと同じだ。俺たちは生きている。自分の意思でそれを選んだ。違うか?」
「そう、だな」
生き直そうとしている男の言葉には聞き流せない重みがあった。陽気にはしゃぐ人々を見ながら、ファルハルドは考え続けた。
次話、「紛争」に続く。




