61. 副都アヴァアーン /その①
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冬の終わり、ファルハルドは荷馬車に揺られていた。傭兵団の仕事でだ。
向かう先はアルシャクスの副都アヴァアーン。東村のワリド村長からの依頼を熟すために。
昨年の双頭犬人による襲撃はあまりに影響が大き過ぎた。
そのため、ワリドは政庁に税の軽減を嘆願することに決めた。ただ、税の軽減そのものに関しては、おそらく無理だろうと考えている。万が一叶えば助かるのだが、という程度の話だ。
一番の目的は税の軽減を願わなければならないほどの窮状を訴え、なんとかアルシャクス政府の手で村を守る防衛設備をより厳重にしてもらうこと。
村人だけでは手配不可能な技術や人手、資材、資金を出してもらえるように交渉することこそが真の目的だ。
現在も、消失した柵の再建は一応できている。ただ急ぎで再建したため、元の柵と比べても些か荒い造りになってしまっている。今後に備えるためにも、柵を二重に、それもできることならもっと頑丈で防衛力の高い柵を築きたいと考えている。
ただ、そうなると開拓村の者たちだけで行うには荷が重い。やはり技術を持った専門家の指導が欲しい。さらに人手や資金も得られるなら、なお良し。
そのため、開拓事業を管轄する高官がいるアヴァアーンに向かうことにしたのだ。
そして、アヴァアーンには政庁関連だけではなく、いくつかの大きな神殿もある。いずれかの神殿に赴き、東村に常駐する神官の派遣を願えないかとも考えている。
やはり、治癒の祈りや守りの光壁が使える者がいるといないとでは、村の守りが全く変わってくる。
第一希望は農業の指導や手助けなども行える農耕神に仕える神官だが、それ以外の神に仕える神官であっても構わない。とにかく治癒の祈りが行え、守りの光壁が使える者がいてくれさえすればそれで良い。
それら諸々の交渉を行うため、ワリドは一通りの東村の復旧が済み、幾分か寒さも緩んだこの時期にアヴァアーンに向かうことにした。
東村からアヴァアーンまでは片道およそ十日ほど。もし戻りが遅れ、春の農耕開始に間に合わなかった場合には、村にいる者たちだけで作業を進めるように言い置いて。
ワリドは道中の護衛をダリウスに打診した。
ダリウスはワリドの話を聞き、自らが同行することに決めた。傭兵団にも神官の派遣を願うためだ。
今、傭兵団にいる神官は宴席と厨房の神に仕えるジョアン神官のみ。傭兵団設立にも加わっていたかけがえのない人物だが、治癒の祈りなどの神官共通の法術の力は弱く、攻撃用の法術にいたっては全く使えない。
今後も闇の怪物たちの大規模な襲撃があるとすると、戦闘に向いた法術が使える者がぜひとも欲しい。その要請や勧誘に、ダリウスもアヴァアーンの神殿を訪問することにした。
掛かる日数を考え、ダリウスは傭兵団から荷馬車を出すことにした。御者にはアレクシオスを充てる。アヴァアーンでの交渉の補助役を兼ねてのことだ。
他に、古株のサミールも。普段はいかにも傭兵らしく殊更がさつに振る舞っているが、年をくっていることもあり実際にはいろいろと気配りもできる人物だ。
昔、傭兵団を立ち上げたばかりの頃にダリウスが最も頼りにしていた兄貴分でもある。今も面倒な交渉ごとなどではなにかと助けられている。
そして、ファルハルドも同行させた。
ファルハルドは他の者たちがラグダナや他の村に遊びに出掛けるなか、一向に遊びに出掛けようとしない。酒もやらず、毎日行うのは鍛錬だけ。遊びと言えなくもないのは、せいぜいスィヤーと戯れることぐらい。若者がそれでどうすると気になり、連れ出すことにした。
ファルハルドは声を掛けられしばし思案していたが、特に嫌がる様子も見せず了承した。空いている時間にはダリウスと手合わせをできると考えてのことだ。もっとも、おそらくそんな時間は取れないだろうが。
同様にワリドも自身の手伝いとして、ヤシーンを連れている。ヤシーンは村の若者のなかでワリドが最も期待を掛けている人物だ。それなりに腕も立ち、頭も悪くなく、年の割には度胸もある。経験を積ませる意味もあり、同行者に選んだ。
出発は駐屯地にやって来た酒保商人の出立に合わせた。旅慣れた者と一緒に移動するほうがなにかと便利なためだ。
酒保商人も喜び、二つ返事でダリウスと旅する話を受けた。この酒保商人の商団は、順繰りに駐屯地にやって来る商団の中で最も小規模。同行する人数が増えれば、それだけ心強い。特にダリウスたちなら警護役としてこれ以上の者は望めないほどだ。
道中、ダリウスたちには警護料代わりに毎日の食事が提供される。互いにとって利益となる話だ。
ダリウスたちと酒保商人は小都市ラグダナまで共に進む。
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駐屯地を立って三日。一行は小都市ラグダナに辿り着いた。
開拓地周辺にまともな街道など走っておらず、ここまでの旅路はなかなかたいへんだった。
ラグダナは『小』とは言え、アルシャクス北西地方の中心都市。ここからアヴァアーンまでの街道は充分に整備されている。今後の旅路はだいぶ楽になる筈だ。
ファルハルドはいつもと変わらぬ無表情。だが、その内心では眉を顰めていた。このラグダナという街はどうにもファルハルドの肌に合わない。
道行く人々は寒空をものともせず、陽気に騒いでいる。のは、良いのだが、どこか街の空気に退廃的なものが漂っている。
それもその筈。ラグダナは酒と女と賭け事の街。歓楽と遊興の街、ラグダナ。
だからこそ、わざわざ国境を越えてイルトゥーランの者たちも遊びに来ているのだ。どこからどう考えてもファルハルドに合う筈がなかった。
それでも同行する商団の都合からも、傭兵たちの希望からも、この街に立ち寄らないという選択肢はなかった。
商団とは街の入り口で別れた。ここからは商団とは向かう先が異なってくる。彼らはここラグダナで商品の仕入れを行った後、次の傭兵駐屯地に向かうのだ。
ファルハルドたちは早々にその日の宿を決めた。娼館ではなく、普通の宿屋だ。
ダリウスやワリドがいなければ、それこそ娼館に泊まっていたことだろう。が、この二人はべたべたの愛妻家。女を買う気もなければ、買いに行ったと疑われる行動もする気はない。
それでも連れの者たちが買いに行くのを禁じる気はない。それはそれで必要なことだと理解しているからだ。
そのため、泊まる宿は娼館通り近くに取った。もっとも、この街で宿屋を探せば、自然と娼館通り近くになってしまうのだが。
アレクシオス、サミール、ヤシーンは連れ立って娼館通りに繰り出した。残ったダリウス、ワリド、ファルハルドも街中へと出掛けた。食事を摂るためだ。
通常、どこでも宿屋は食堂を兼ねるのが当たり前だが、ここラグダナでは少し事情が変わる。宿屋は客を泊めるだけ。食事は街中の食事処で摂ることになる。
追加料金を払えば、宿にまで出前や仕出しを頼むこともできるが、ファルハルドたちはその必要はないと出掛けることにした。
賑やかな街の様子を眺めながら通りを進む。ほどよいところでワリドが店を選んだ。
この三人の中ではワリドが最もラグダナへ来た回数が多く、街に詳しかった。開拓村に移住してからはほとんど来ることはなかったが、その昔傭兵稼業をしていた頃に何度も足を運んでいたのだ。
ダリウスやファルハルドの好みを考え、味や値段はそこそこだが、雰囲気が落ち着いた静かな店を選んだ。そこは裏通りにあり、客席は半分ほどが埋まっている。
肉を焼いた物と煮込み料理を頼んだ。ファルハルドは呑まないが、二人は麦酒を頼む。焼いた肉は可もなく不可もなくだが、煮込み料理はなかなか旨い。
食事を摂りながら、ファルハルドは微かな気配を感じた。いっそ懐かしいとさえ言える気配。気配は途切れることなく付きまとう。まだ、張り詰めたものではない。
ファルハルドはそのまま静かに食事を続ける。
ワリドは気付かない。元傭兵ではあっても、今はあくまでも村人だから。
ダリウスは気付かない。どんな危険にでも対応できるダリウスは、気配を感じ取ることにさほど敏感ではないから。
街中でのファルハルドの感覚は飛び抜けて鋭い訳ではない。他の者よりは優れているという程度のもの。
それでも、ファルハルドだけが気配を捉えている。誰よりもよく知っているから。ファルハルドを狙う、その暗殺部隊の気配を。
ダリウスとワリドは派手に酒を注文し、競い合うように呑んでいく。ファルハルドは適当なところで切り上げ、宿には戻らず一人、街を歩く。
ラグダナは小さく、栄えている都市。なかなか人の途切れる場所がない。街外れまで進み、やっと人のいない空き地を見つけた。
気配は迫る。数は二つ。一つは頭上、一つは背後から。
ファルハルドは見ることもなく、感覚だけで躱す。
猫のようにしなやかに音もなく着地した男たちは、両手に持つ二本のナイフで息もつかせぬ連続攻撃を繰り出してくる。
その攻撃はファルハルドには届かない。
ファルハルドはすでに見切っている。この者たちは暗殺部隊の部隊員ではないと。
奴らが各地に張り巡らせている網の一端、この都市に潜り込ませている手の者がファルハルドを見かけ、急遽襲ってきたのだと。
男たちは一人は中肉中背、一人は小太り短身。見た目に反し、どちらも敏捷で鋭い身の熟し。
それでもその動きは部隊員に劣る。暗殺者のような奇策もなし。ファルハルドに届く筈もない。
時間を掛けることなく、ファルハルドは男たちを斬り捨てた。




