59. 迷宮五層目への挑戦 /その②
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たった一度の戦いでも、やはり巨人との戦いは消耗が大きい。一行は休息所で休み、体力の回復を図る。
「いやー、やっぱ巨人は手強いねー」
首を振りふりしみじみ言うジャンダルの言葉に、一同は頷いた。
「まったくだな。正直、俺は今までの人生で、力で負けたことなんてほとんどなかったんだよな。やりにくくてしょうがない」
「某も戸惑っておる。我が法術がああも効きにくいとは。さすがはパサルナーン迷宮、一筋縄ではいかぬな」
カルスタンは顔を顰め、ペールは感慨深げに一人何度も頷いている。
「巨人たちの実力は、これまでの敵とは段違いだからな」
「うむ」
バーバクとハーミも同意するが、二人は五層目に挑み始めてからどこか元気がない。いや、元気がないと言うよりも、なにやら思い詰めた様子だ。
口数が少なくなり、余裕もあまり感じられない。ジャンダルが話題を振ってもなかなか話に乗ってこない。
仕方がないと言えばそれまでだが、あまり良い傾向だとは思えない。ジャンダルは二人の様子が気に掛かる。
「なーんか、おいらの持ち札じゃ、いまいち決め手に欠けるんだよね。もう、うへーって感じだよ」
「なにを言っておる。其方の投げナイフの腕前は一流ではないか。あれだけ大きく動く小さな的に当てられるのだ。気を逸らし、攻撃の隙を作るのに実に有効である」
「そうだぜ。多様な攻撃手段があれば、それだけいろんな攻め方を組み立てられるからな。他になかなかない投擲武器の使い手は貴重だぞ。
まあ、確かに炎の巨人相手じゃ、当たる前に柔らかくなって使えないだろうがな。あー、あと、冷気の巨人なんかだと凍らされて脆くなるから、それも使えないか。砂巨人にもあまり意味ないな。おや? 意外に使えないな」
「おい、おいらを慰めてたんじゃないのかよ」
一同笑い声を上げるが、やはりバーバクとハーミはどこか心ここにあらずだった。
そして、休息所を出てすぐに、一行は毒巨人とぶつかった。
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それは昔、バーバクとハーミの仲間を殺した隻腕の毒巨人とは別の個体。現れたのはあくまでただの毒巨人。しかし、この敵に二人の目の色は変わる。
「お前ら、手を出すな。こいつは俺とおっさんでやる」
バーバクは皆を止め、ハーミと二人で前に出た。
二人の目が語っている。止めろと言ったところで聞き入れる筈もない。仲間たちはいつでも飛び出せる態勢で二人を見守った。
毒巨人とバーバクたちは接近していく。毒巨人は甲高い奇声を上げ、バーバクたちは力強い雄叫びを上げた。
ハーミはその場で両手を合わせ、祈りの形に入る。バーバクは斧を翳し、進み出る。
毒巨人はバーバクを狙い、毒の息を吐いた。昔なら、バーバクは魔法武器を用い、その毒の息を断ち割った。今、その手にあるのはただの戦斧。
だが、なんの問題もない。その積み重ねた戦闘経験が取るべき手段を見極めさせる。
バーバクはその巨躯に似合わぬ敏捷さで身を屈め、巧みな足捌きで毒の息が広がる前に一気に毒巨人に詰め寄る。
バーバクの顔が邪悪な笑みに歪んでいる。その胸にあるは、戦いを尊ぶ戦士の誇りではない。憎い相手を殺すという暗く歪んだ悦び。
毒の息を吐き、無防備を晒している毒巨人の脇腹をバーバクの斧の刃が襲う。致命傷では全くない。しかし、浅からぬ傷。傷口からは毒血が溢れ出る。
バーバクは溢れる毒血を避ける。だが、毒巨人とて立ち尽くしている訳ではない。その長い腕を振り回し、鋭い爪でバーバクを狙う。
バーバクは爪こそ避けるが、飛び散る毒血までは避けきれない。その身に毒血が降りかかる。
毒巨人の毒血は猛毒。皮膚の上からでも影響を及ぼす。バーバクは毒血の影響により、その動きが鈍る、ことはない。
バーバクとハーミにとっての仇とは、毒巨人。隻腕の毒巨人との戦いに備え、二人は打てる手は全て打っている。
二人は再び五層目に挑むことを意識し始めた春先から、外へ食事に行く回数が極端に減り、ほとんどの食事を拠点に於いて摂るようになった。
その食事に関して、二人は料理を作るジャンダルに一つの頼みをした。
それは毎度の食事に必ず粥を付けること。ただの粥ではない。大量かつ多様な毒消しを入れた粥を作ってくれるようにと頼んだのだ。
味の面はなに一つ考慮されていない。
たまにカルスタンたちも一緒に食べるが、味から言えば毒消しの粥と言うより毒そのもの。まともな味覚の持ち主ならば、とてもではないが食べられず、一口で吐き出してしまうような代物。
それをバーバクとハーミは毎食、顔色一つ変えず平然と平らげ続けている。
なんのために。わずかなりとも、毒への抵抗性を手に入れるために。
完全耐性など手に入る筈もない。どこまで効果があるのか、確かなこともわからない。それでも二人はわずかでも勝率を高めるために、その食事を続けた。
その結果は今、示される。
少量ならば毒血を浴びても影響を受けることはない。バーバクは真っ向から毒巨人に立ち向かう。
巨人たちは獰猛。強靱な肉体を使った、前へ前へと攻める戦い方をする。ただし、毒巨人たちは。
毒巨人はその爪でバーバクを狙う、と見せかけ、長い腕で壁を叩き、ハーミに向け跳んだ。
バーバクは追いかけない。ハーミは落ち着き払った声で祈りの文言を唱えた。
「我は闇の侵攻に抗う者なり。抗う戦神パルラ・エル・アータルに希う。悪しきものより守る、堅固なる守りを顕現させ給え」
昔とは違う。疲労はなく、魔力は充実し、揺るぎない意思が籠められている。堅固なる光壁は毒巨人の攻撃を完全に受け止めた。
毒巨人は背後から迫る敵意に振り向いた。それは手遅れ。振り向いた毒巨人の眼前にバーバクの斧が迫っていた。
斧の刃は背を屈めた毒巨人の首の付け根目掛け、振り下ろされた。
生じる激しい音。巨人の肉体は頑健堅固。バーバクの渾身の一撃をもってしても、致命傷には届かない。しかし、浅手でもない。毒巨人は首から多量の血を流す。
毒巨人も巨人のなかでは比較的小柄、そして緑鱗巨人ほどの防御力もない。だが、狡猾でしぶとい。黙ってやられる筈もない。
追撃を狙い振り下ろされるバーバクの斧の柄を掴み、受け止めた。同時に、空いている腕の爪でバーバクを狙う。バーバクは盾を翳す。
それが毒巨人の狙い。視界の一部が塞がれた隙を衝き、その身を震わせ、バーバクの目に向け流れる毒血を飛ばした。
バーバクは慌てて避ける。その動作は大きな隙を生む。毒巨人は掴んだままの斧の柄を押し込んだ。
バーバクの足が滑る。一気に押し込まれ、壁へとその身が叩きつけられた。巨人の膂力により、バーバクは押し潰されようとする。
この状況に、ジャンダルたちの足が知らず動く。武器持つ手に力が入り、走り出そうとした。しかし、バーバクの、そしてハーミの横顔を見、踏み止まった。
二人はまだ完全には追いつめられてはいない。
力強いハーミの声が響き渡る。ハーミは光壁を顕現し直し、バーバクと毒巨人を分断せんとした。
両者の間に現れた光壁に触れた毒巨人の手には、軽く火傷のような傷が付く。しかし、斧の柄を掴む手は放さない。毒巨人はさらに押し込む。
二人の顔からは余裕が消えた。大粒の汗がその身を濡らす。バーバクは壁と毒巨人の間で苦痛に呻く。
その時、鋭く風を切る音が聞こえた。毒巨人の濁った瞳を投げナイフが貫く。毒巨人は苦悶の叫びを上げた。バーバクを押し潰さんとする力が緩む。
そこにペールの不可視の拳が迫る。毒巨人の脇腹を撃つ。毒巨人は身を折り、ふらついた。
体勢を整える暇を与えず、カルスタンが駆け寄る勢いを載せ、戦鎚を振り抜いた。
ジャンダルたちは戦うべきその時を誤らなかった。
いかに強靱な巨人と言えども、ふらつき体勢を崩された状態でカルスタンの全力の戦鎚をまともに受けては無事では済まない。蹌踉めき、その場に膝をつく。
カルスタンはさらに打ち据える。
だが、毒巨人は容易くやられはしない。その鋭い爪の生えた長い腕を振り回し、抵抗する。
近寄れない。カルスタンは攻めあぐねた。
そこにバーバクが盾を翳し、強引に突っ込んだ。毒巨人の爪とバーバクの盾が接触。バーバクは全力で抗った。
毒巨人の腕を弾く。
まだ終わらない。バーバクが攻撃に移るより早く、毒巨人のもう一方の腕がバーバクの盾の届かない箇所へと迫る。
触れ合う寸前、ハーミの祈りの文言が響き渡った。
「我は闇の侵攻に抗う者なり。抗う戦神パルラ・エル・アータルに希う。不可視の力用て、我が目前の、悪しきものを押さえ給え」
不可視の力により、毒巨人の腕が押さえつけられる。完全に動きを止めることはできなくとも、バーバクを狙う腕の軌道は変わり床面を擦る。
バーバクは跳んだ。足下に迫る毒巨人の腕を避け、そのまま雄叫びと共に振りかぶった戦斧を毒巨人の頭を狙い振り下ろす。
毒巨人は弾かれた腕を振り戻し、斧の刃へとその腕を翳した。
バーバクの斧は肉を断つ。しかし、骨までは断てない。毒巨人は片腕を犠牲に致命傷を防いだ。
疲弊した身で全力の一撃を繰り出したバーバクの反応は遅れる。そこを狙い、毒巨人は毒の息を吐き出さんとした。
だがその前に、毒の息を吐き出そうとした隙を狙い、再びジャンダルの投げナイフが毒巨人を襲い、残された目を貫いた。
痛みにのけ反り、毒の息はあらぬ方向へと吐き出された。
バーバクとカルスタンは毒巨人に肉薄する。二人は前後から毒巨人の首の付け根に武器を振り下ろした。
毒巨人の断末魔が通路に鳴り響く。毒巨人の首はその身から転げ落ちた。




