16. 停泊地にて /その②
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日暮れが近づくと共に、段々店を仕舞う者が増えてくる。
広場に面した大きな建物が騒がしい。平屋で土間だが、建物内に仕切りはなく、全体で一部屋だけの広々とした建物だ。中では持ち込まれた酒と料理で酒盛りが始まっている。
酒も料理も無償だ。飲み食いする者たちはそれぞれが好き勝手に口にし、それぞれが好きな金額なり商品なりを部屋の隅に置いていく。それをあとで酒と料理とを持ち寄った者たちで分け合う。それがこの場の習わしだ。
次第に酒盛りを行う者たちは建物から溢れ、広場のあちらこちらでも始まった。ファルハルドたちもその一角に加わる。
ジーラもモラードもそろそろ休む刻限だが、周囲の盛り上がりにあてられたのか、ずっと笑いながら次々といろんな料理に手を出している。エルナーズもそんな二人に次々と料理を皿に載せられ、にこやかに微笑みながら楽しんでいる。
ファルハルドは酒を口にすることはない。料理も周囲の誰かが口にしたものを、しばらく待って問題がないことを確認してから手に取っていく。
ジャンダルは次から次へと料理を手に取り、次から次へと酒を注いで回り、大勢の者たちと盛り上がっている。
もっとも、よくよく見てみると酒は唇を濡らす程度に留め、酔ってはいない。陽気に振舞いいろいろな話をしているが、目的はあくまで情報収集。頭を鈍らせる気はなかった。
何人かと話したが、南の村についてはっきりした情報は得られない。今度はやたらとつばが広い帽子を被り、けばけばしい服を着た、顔の似た二人組に話しかけてみる。
「やあー、おいらナルマラトゥ氏族のジャンダル。今まで東のタブロン辺りを回ってたんだけど、次はエランダールを回ってみようと思ってこっちに来たんだ」
「おお、そうか。同じ所ばかり回ってても退屈するもんな。俺たちもこれからアルシャクスを離れて東国を回ってみるつもりなんだ。俺たちはリーシャントラ氏族のナーディルとラーディル。東国は最近どうだ」
「そうねえ。東国諸国は去年の実りが良かったから、結構景気はいいほうかな。リーシャントラ氏族の演奏は受けるんじゃない。
ただね、南の方は疫病が流行ってたね。今はもう落ち着いてるだろうけど、そっちまで足を延ばすんなら気をつけたほうがいいよ」
「おう、ありがとよ。エランダールのことはよくわかんねぇな。ナルマラトゥ氏族だったら、エランダールよりアルシャクスの西部に行ったほうがいいんじゃないか。今、薬はよく売れるぞ」
「ただ、行くなら副都のアヴァアーンまでだな。それより西は結構治安がよくねぇな。エランダールとか南のことだったら、あっちのエスペルトゥ氏族の奴らが南を回ってたから詳しいだろうよ」
「あんがと、聞いてみるよ。未知なる旅路に祝福を」
「おう。小さき者に大いなる喜びを」
食べるのに夢中だったモラードが、今の遣り取りを聞いて目を輝かせる。
「ねえねえ、ジャンダル兄ちゃん。さっきのなに。なんか胸に手を当て、かっこよかった」
「うんうん、そうだろう。あれはエルメスタ同士の挨拶なんだ。出会ったらまず自分の氏族を名乗るのね。これでなんの商売をしてるかわかるんだな。
で、どっから来て次にどこに行くか言ったら、お互い知ってることを教え合うんだ。最後のはお互いの前途を祝う別れの挨拶だね」
「すっげー。すっげー、かっこいい。俺、覚えたい」
「いやいやいやいや。あくまでもエルメスタ同士の挨拶だから、モラードにはいらないでしょ」
「でも、俺覚えたい」
ふと見ると、ジーラもきらきらした目でジャンダルを見詰めている。ジャンダルはちょっと困ったように笑う。
「じゃあ覚えてみるかい。先に挨拶するほうが『未知なる旅路に祝福を』って言うんだ。
どっちが先に挨拶するかは決まってないけど、だいたい先に声を掛けたほうから言うことが多いかな。
旅をしてるとこれからなにがあるかなんてわかんないからね。良いことがありますように、ってことで『未知なる旅路に祝福を』って言うんだな。
右手を指を揃えて伸ばして、左胸に当ててみて。じゃあ、繰り返して『未知なる』」
「『未知なる』」
モラードとジーラが真面目な顔で繰り返す。
「そうそう、いいね。次は『旅路に』」
「『旅路に』」
ふと見れば、エルナーズも小声で呟いている。
「最後に『祝福を』」
「『祝福を』」
ジーラは上手く言えず、二度、三度と言い直した。
「で、それを言われたら言われた側が『小さき者に大いなる喜びを』って返すのね。
『小さき者』ってのはおいらたちエルメスタのこと。まだモラードやジーラよりは大きいけど、エルメスタは皆ちびっこいからね。そのちびっこいエルメスタに大きな喜びがありますようにって返すんだよ。
じゃあ、言ってみようか。『小さき者に』」
「『小さき者に』」
「『大いなる喜びを』」
「『大いなる喜びを』」
三人ともちょっとぎこちないがなんとか言えるようになった。嬉しそうにお互いで挨拶を繰り返している。
その様子を横目に見ながらファルハルドが尋ねた。
「昼間の店ではそんな挨拶はしてなかったよな」
「ああ、昼間はあくまで店主と客だったからね。また別なんだよ」
「いろいろあるんだな」
「そそ、兄さんはどう。イシュフール同士の挨拶とかってないの」
ファルハルドはしばらく考え込むが、思い当たらないのか少し頭を振った。
「イシュフールの言葉は教えられたが、特に変わった挨拶とかは聞いたことがないな」
「へー、イシュフールの人たちは今も独自の言葉を使ってんだ」
「そうらしい。俺も母から教えられたことしか知らないがな」
気がつけばモラードたちがなにやら期待する目でファルハルドを見ている。ファルハルドは咳払いをし、慌てて目を逸らした。
「そんなことより、南の村のことを聞くんだろ」
「あっらー。まあそうだね、イシュフールのことはまた今度にしますか。エスペルトゥ氏族は動物使いの人たちだからあっちだね」
酒盛りの中心から外れ、広場の隅に向かった。
大きな馬車が何台も置いてある。その傍では何頭もの馬、さらには犬や猿、鳥ややけに鼻の長い変わった動物が寛いでいる。
見たところ騒ぐことなく、広場の隅で仲良く餌を食べているようだ。その横で、一人の初老の男性が動物たち相手に静かに笛の音を聞かせている。
「やあ、今晩は。おいらナルマラトゥ氏族のジャンダル。東国から来たんでアルシャクスのこととかあんま知らないんだ。南部のこと、教えてもらえないかな」
初老の男性は笛を止め、にこやかな笑顔を見せた。
「ああいいとも。儂はエスペルトゥ氏族のザーンじゃ。最近はアルシャクスやエランダールを回っとる。
南か。そうだの、ナルマラトゥ氏族の者は南部にはあまり見かけんかったかの。街道から外れた村なら喜ばれるじゃろうよ。
ただ、街道沿いは通り過ぎるついでに商売する者も多いから、薬はあまり売れんのじゃないかの。治療もできるなら別じゃろうがな」
「そうなんだ、助かるよ。あとね、連れが南の村の出身らしくって、その場所を探してるんだけど、小さい頃に出たっきりで場所がよくわかんないんだ。ちょっと話を聞いてもらってもいい?」
「ああ、いいとも。ほう、そちらのお嬢さんか。どれ、なにか覚えておることはあるかの。
ほう、ほう。そうだのう。アルシャクス南部で大きな村か。そうさな、この辺りで南の大きな村と言えば三つあるのう。ふむ、お嬢さん、よく顔を見せてくれんか」
ザーンはエルナーズの顔をじっと見詰め、顎に手を当て目を細める。ファルハルドたちは口を挟むことなく、静かにザーンの言葉を待つ。
ザーンはしばらく記憶を探るように考え込んだ後、ふむと小さく呟いた。
「カルドバン村の女将に似とる気がするのう」
この発言に全員が沸き立つ。モラードとジーラがエルナーズと手を取り合う。ファルハルドは続きを目で促し、ジャンダルは身を乗り出して問いかける。
「え、本当。そのカルドバン村ってどこ。どうやって行ったらいいの」
「これこれ、落ち着きなされ。似とる気がするだけで、本当にお嬢さんの伯母かどうかはわからんぞ。なんと言うかの。女将はお嬢さんを一回り大きくして、もう少しふくよかにしたらよう似とる気がするんじゃが」
ザーンは自分の説明に納得するかのように、何度も頷いている。
「カルドバン村の場所ならわかりよいぞ。南の分かれ道で南西に道を取れば、いずれエランダールとの国境のイルマク山じゃな。
山の麓で街道を離れて山沿いに西に進めば、半日もせずに村に着くぞ。街道から村までは細い道があるからの。間違えることはあるまいて」
「うっわ、すごい助かった。嬉しい。お爺さんに聞いてよかった。本当あんがと」
「なにいいんじゃよ。本当に女将がお嬢さんの伯母だったらよいがのう。女将は村人がちょっと集まったり、たまに旅人が泊ったりする小さな店を開いとるぞ。情が深そうだったから、あの女将なら頼りになるだろうよ」
エルナーズが胸に手を当て、細い声を絞り出す。
「お爺さん、ありがとう、ござい、ます。本当に。ありがとう、ございます。未知なる、旅路に、祝福を」
ザーンは孫を見るような眼でにこりと微笑み、胸に手を当てる。
「もし違ってたら済まんのう。他の二つの村は街道を南東に進んだ所にある。そのときは一度この停泊地に戻って、また聞いてみるとよいだろうよ。小さき者と大なる者に大いなる喜びを」
皆で揃ってザーンに礼を述べた。