56. 望まぬ再会 /その⑦
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ファルハルドは右手側の林から動物の群れが近づいてくる音を聞きつけた。
音の大きさや特徴から判断して、動物はおそらく犬か狼。一行はわざと物音を立てながら歩いている。それで近づいてくるなら、それは人懐っこい動物か、人を狙う動物。より可能性があるのは悪獣の群れ。
ファルハルドはそこまでを瞬時に判断し、警戒の声を上げた。
「右手より十数頭の群れが接近中。おそらく犬か狼の悪獣」
傭兵たちは即座に動く。ヴァルカも即座に反応し、仲間たちを下がらせ低い姿勢で固まらせる。
藪の中から姿を見せたのは犬の悪獣十三頭。十三頭は咆吼を上げ、広がりながら一斉に一行へと襲いかかる。
ファルハルドは突出し、悪獣たちを斬り捨てる。本隊隊員たちも二人一組となり迎え撃つ。
ファルハルドは三頭目を斬って捨てながら考える。
拙い。ヴァルカたちを守る手が足りない。
ヴァルカたちは縛られず自由に動けるが、武器も防具も取り上げられた状態。
ファルハルドは群れの中央に飛び込んで激しく暴れており、本隊隊員たちは悪獣を牽制し可能な限り悪獣たちを引きつけているが、どうしても一部の悪獣が賊たちを狙う。
ファルハルドは襲い来る悪獣の牙を跳躍により躱す。宙で身を捻りながら、右腰の短剣を引き抜いた。
「ヴァルカ、使え」
短剣をヴァルカへと投げた。ヴァルカは身を伸ばして掴み、仲間へと迫った悪獣を斬りつけた。
その姿を見、サミールたちもそれぞれの予備の武器を賊たちへと渡す。本隊隊員たちは戦いながら、胸中でにたりと笑う。なかなかやるじゃねえかとファルハルドを見直した。
ここで賊たちにも戦わせれば、傭兵たちと賊たちの間に一種の連帯感が生まれる。
そうすれば当然、ダリウス団長が賊たちの処分を決める際に一定の温情を求めるようにもなってくる。
悪獣が襲い来る、その状況を利用し、ヴァルカたちの処遇を自分の求める方向に持って行こうとするファルハルドのしたたかさに本隊隊員たちは感心した。
完全なる誤解である。
ファルハルドが考えたのは人手が足りない、ならば使える者は全て使う、ただそれだけ。計算も駆け引きもあったものではない。他人がどう感じているかに気付くこともなく、ファルハルドはひたすら戦う。
そしてヴァルカもまた、傭兵たちとは違う理由でファルハルドに驚かされていた。
共にパサルナーン迷宮に潜った時の記憶はすでにあやふやになっている。それでもこんな素早く激しい戦い方でなかったことは覚えている。三年と数箇月。たったそれだけの年月で、別人のように腕を上げている。
人は努力を積み重ねさえすれば、これほどまでに成長することができるのか。
自分たちの過ちとは諦めたこと。自らの限界を決め、できることなどこの程度だと諦めたことこそが間違いであったのかも知れない。そう思わされた。
同時に思う。負けてられないと。失っていた戦士としての魂が刺激され、生きる意欲が蘇る。
何度か危ない時もあったが、全員が大怪我を負うことなく悪獣を倒しきる。
弱った賊たちを連れては速くは進めない。日も暮れ、だいぶ夜も更けた頃、一行は駐屯地に帰り着いた。
皆ももう休んでいる刻限であるが、物見櫓で警戒警備に当たっている当番の鳴らす金物の音に反応し、団員たちは表へと出てきた。
一行は広場を通り抜け、ダリウスの天幕へと向かう。中ではダリウス他、ラグダナから戻ってきていたオリムとアレクシオスも待っていた。
一行の中で最年長であるサミールが報告を行う。
「賊を退治してきました」
ダリウスは後ろに控えるヴァルカたちへと目を向ける。サミールは一癖のある笑みを浮かべ、口を開いた。
「こいつらは入団希望者だ。たまたま賊退治の現場で出会ったのさ、なあ」
サミールは笑ったまま、一行に同意を促す。
ファルハルドはよくわかっておらず、無反応。他の本隊隊員たちはサミールと同じ種類の笑みを浮かべ、頷いた。ジャコモだけがなにか言いたげに口を開きかけるが、オリムが睨みつければ慌てて目を逸らし口を閉じた。
ただ、話はそのまま順調には進まなかった。他の者がなにか言い出すより早く、ヴァルカが一歩前に進み出て、少し寂しそうに笑いながら言った。
「庇ってくれてありがとよ。だがよ、済まないな、自分のやったことはなしにはできねぇ。責任は取らなきゃな」
サミールたちは力なく首を振る。ファルハルドは少し悲しげな目をヴァルカに向けるが、なにも言うことはなかった。
一行はヴァルカたちを救いたいと思った。苦しみを知り、同じく事情を抱える者として、ヴァルカたちが賊へと身を堕とした心情を切って捨てることはできなかった。
しかし、その行為には一つのことが抜けている。ヴァルカたちの尊厳だ。
誰だって死ぬより生きるほうが良い。当然だ。
だが、ファルハルドによって生きる気力を取り戻し始めたヴァルカは、そしてその姿を間近で見聞きした彼の仲間たちは、自分たちで行ったことの責任を取らずに見逃されることなど望まない。
それを良しとしてしまえば、いよいよ心は腐り、魂は闇に沈む。
だから、敢えてサミールたちの心遣いを無駄にした。ヴァルカは覚悟を決めた顔でダリウスへと話しかける。
「俺たちは散々あちこちの村々を荒らし回った。俺たちは賊だ。国に突き出して褒美を貰うなり、ここで処分するなり好きにしてくれ。
ただ叶うなら、こいつらの命だけは助けてくれねぇか。こいつらは俺に逆らえなかっただけなんだ。どうか、この通りだ。頼む」
ヴァルカは深々と頭を下げた。ヴァルカの仲間たちは口々に「そんな、兄貴」とか、「違う、あんたのせいじゃない」と騒ぎ、ダリウスからヴァルカを守るように二人の間に割って入った。
ダリウスはそんな様子をしばし眺め、おもむろに口を開いた。
「アレクシオス、今の我らの任務はなんだ」
アレクシオスは無駄に生真面目な顔で答えた。
「ここより西の盆地にある開拓地の警戒警備です」
「オリム、我らの守る開拓地において、賊の被害を聞いたことはあるか」
オリムはにやにやしながら答えた。
「ねえ、っすねぇ」
ここまで聞き、ファルハルドにも話の向かう先が読めた。ヴァルカが抗議しかけるが、それより早くダリウスが続けて問いかける。
「サミール、賊たちは退治した。間違いないな」
サミールは満足そうに答えた。
「もちろんだ。賊たちは俺らが戦った場所に埋めてきたぞ」
埋葬したのは怪物に殺された者たちだが、もしなにかしらの横槍が入った時にはその三人の遺体を利用すれば良いと言っている。
「ファルハルド、この者たちはたまたま会った入団希望者、そうだな」
ファルハルドは迷う。皆がどう話を持って行こうとしているのかは理解できる。できるが、ヴァルカたちが傭兵となるのが良いことなのかどうか判断が付かない。
ファルハルドがこの傭兵団にやって来てからだけでも、五人の団員が戦死している。ヴァルカはまだしも、その他の者たちにとって、ここでの生活はあまりに過酷に過ぎるだろう。
ファルハルドはそれは違うと言いかけ、ヴァルカと目が合った。
ファルハルドは気付く。ヴァルカは自分の行ったことの責任を取りたいと言った。そして、ファルハルド自身がそうであるように、死線を潜り抜けなければ生き直せない不器用な人間がいるということに。ヴァルカの仲間たちも責任を取ることに反対などしていなかったことに。
ならば、開拓地を襲った罪を開拓地を守る傭兵として償うのも一つの在り方。
だから言う。
「そうだ」
ダリウスは力強く宣言した。
「入団試験を行う」
この瞬間、ヴァルカたちは賊ではなくなった。入団希望者、戦い生きると決めた者となった。




