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深奥の遺跡へ  - 迷宮幻夢譚 -  作者: 墨屋瑣吉
第二章:この命ある限り

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55. 望まぬ再会 /その⑥



 ─ 7 ──────


 ヴァルカは吐露した。己をさいなむ悲しみと苦しみ、そして己が罪を。救済を求め続けている、その心情を。

 ファルハルドは、ヴァルカの告白に感情を抑えた声で応じた。


「どうすれば良かったのかはわからない。だが、言える。『違う今』など存在しない。今はここにある今しかない。どれほど望んだとしても、どれほど願ったとしても。


 この今に辿り着いた過去は変えられない。人に変えられるのは、生きて存在している『この今』だけ。

 だから、望む未来を手に入れるため、この今に全力を尽くす。それしかできない、人間にできることはそれだけなんだ。どれほど願ったとしても……」


 ヴァルカは空っぽの瞳で、力なくつぶやく。


「ああ、そうだ。そんなことはわかってる。だが、願ってしまう。過去を塗り替えたいと。もう一度、間違えることなくやり直せたらと。ずっと、ずっと考えてしまう。頭から離れてくれねぇんだ」


「……そう、だな。わかって、それでもなお願ってしまう気持ちはよくわかる。俺もずっとそうだった。今もときに頭をぎる。

 それでも。それでも、どうにもならない過去に囚われ続け、今をないがしろにすることは母を悲しませると知っている。母が俺に望んだことはそんな生き方じゃない。

 ヴァルカ。ダハーやラーティフが望むのも今のあんたの姿じゃない」


「そう、だな。そう、だ。その通りだろうな。ああ、そうだ。だが、苦しいんだ。生きていることが辛いんだ。俺だけが生きているのが許せない。自分を、自分を許せねぇんだよ」


 ファルハルドの行いは、言葉はヴァルカの閉じられた心を開かせた。だが、救うには足りない。闇を見詰め、絶望に囚われたヴァルカの心は血を流し続けている。


「己を支えるものは誇り」

「…………」


 ファルハルドの唐突とも言える言葉は、ヴァルカのまない弱音を止めた。

 その声音の中にある確かな力強さが、諦念と共にありそれでもそれを乗り越える力強さが、ヴァルカに巣食う絶望を打つ。


「いつか。こことは違うその場所で大切な人と再び出会えたその時に、胸を張って向かい合える自分でありたい。あなたの想いを大切に、この人生を生ききったと。そう、誇りを持って言える自分でありたい。

 その小さな希望を握り締め、歯を食い縛って生きていく。それしかないと、そう思い定めて生きている」


 ヴァルカはファルハルドの目を見詰めた。ファルハルドの眼差しは暗い。

 だが、ヴァルカは感じた。ファルハルドの瞳を見詰め、その暗い眼差しの奥底に宿る力強さに触れた時、ヴァルカは感じた。


 ファルハルドの言葉がただのお為ごかしではないと。真実、絶望に呑まれた過去を持つのだと。未だその全てを完全に乗り越えられた訳ではなくとも、懸命に、誇りを持ち、必死に今を生きているのだと。


 ファルハルドの魂の息吹はヴァルカの心に熱を宿らせる。絶望を知り、それでも懸命に生きようとする男の生き様は、ヴァルカに再び生きるための熱を宿らせた。


 それはまだ、消え入りそうな微かな火。だが、絶望を焼き尽くすための始まりの火。生きていく、そのために必要な命の火。


 ヴァルカは知らず拳を握り締めていた。誰かを、なにかを傷付けるためにではない。再び立ち上がるために。自らを奮い立たせる、そのために。


「ああ。そう、だな」


 絶望は未だある。悲劇の過去は変えられないのだから。大切な人が失われた悲しみは、信じた人に裏切られた苦しみは、気持ち一つ変えただけで乗り越えられるほど容易いものではないのだから。


 だが、一歩目は踏み出された。絶望に囚われた男が生き直すための一歩目は、確かに踏み出された。





 ファルハルドがさらになにかを続けようと口を開きかけたところで、別の人物の声がした。


「あー、とよ。空気読めねぇみてぇでわりぃんだが、そろそろそいつふんじばって出発しねぇと、日暮れまでに村に帰り着けねぇんだよなぁ」


 目をやれば、気まずそうに白髪交じりの頭を掻く本隊隊員、サミールの姿があった。サミールは戦闘要員のなかで一番の高齢、団全体でもタリク、ジョアンに続いて三番目の年長者だ。


 サミールたちはファルハルドとヴァルカが殴り合っていた頃には怪物たちを倒し終わっていた。

 なんで剣士であるファルハルドが賊と殴り合っているのか首をひねるが、取り敢えず先にということで気絶している賊たちを引っ立てることや死んでいる賊の埋葬を済ませていった。


 その頃には二人の遣り取りから、なにやらいわくがあるようだと悟り、邪魔をせず様子を見ていた。

 そのまま見ていたが、そろそろ動かねば刻限からして拙いと声を掛けてきた訳だ。


 ヴァルカは身を起こし、ファルハルドに両腕を揃えて差し出した。


「自らが行ったことは自らの責任。四の五の言う気はない。好きにしろ」


 そんなヴァルカの様子に、サミールは奇妙おかしなものを見たと言いたげに顔を歪めた。


「お前、真面目か。ふん縛る、つったけどよ。よく見ろよ、別にお前の仲間も縛ったりしてねぇだろうがよ。俺らは戦士に縄打つようなクソボケじゃあねぇんだぜ。

 おら、お前もなんか言ってやれよ」


と、ファルハルドにも顎をしゃくってみせるが、ファルハルドには話の流れが理解できない。



 ついさっきまで賊としてヴァルカたちを殺す気満々だった筈ではないのか。


 ファルハルド自身は知り合いであるヴァルカがいたことから方針を変えたが、なぜ、突然全員が揃ってヴァルカたちを尊重するような話になっているのか。

 どうにもファルハルドには理解できなかった。


 よって、ファルハルドに言えたのは「そうらしい」というどうにも締まらない一言だけだった。




 サミールのまあいいやの一言で出発することになった。傭兵たちは前後に分かれ、間に賊たちを挟む形で進んでいく。ハリルが先頭に立ち、道案内と斥候を兼ねている。


 賊たちは弱り傷を負っているため歩きにくそうだが、特に逆らう様子は見せず大人しく歩いている。

 ジャコモはなにか言いたげだが、ハリルも縛りもしない賊たちを村に連れて行くことに対してなんの不満も見せていない。


 東村ではワリド村長に訳を話し、空いている家に賊たちをまとめて一晩閉じ込めておく。ワリドも外からの厳重な戸締まりは求めたが、賊たちを村に入れること自体には嫌な顔も見せず、食事の提供も行った。


 ただ、ワリドは別の点に眉をひそめた。傭兵たちは賊退治に出掛けたのだから、負傷するくらいは当たり前。戦いに身を置く人間が怪我をしていても不思議でもなんでもない。


 実際、全員が浅手ではあるがなにかしらの怪我を負い、なかには盾に亀裂が入っている者もいる。それは全く当たり前のこと。


 だが、なぜファルハルド一人だけがぼこぼこに殴られ、顔を酷く腫らしているのか、ワリドには全く意味がわからなかった。


 共に食事を摂りながら、本隊隊員からなにがあったかの説明を聞かされ、やっと疑問は全て解けた。

 ワリドは余計なことは言わない。ただ妻のエベレと共に、ファルハルドに少し優しい目を向けた。



 寝所の割り振りをする段階で多少の、ファルハルドにとっては多大な揉め事が起こる。ワリドはファルハルドに寝所としてネリーの家を宛がった。


 なるほど、確かにファルハルドの腫れは酷い。濡らした布で冷やし、手当てする人間がいたほうがよいだろう。

 しかし、ネリーはやたらと身体を擦り寄せてきて、どう考えても必要のない部位までべたべたと触ってくる。ファルハルドにとってどうにも落ち着けない。


 ネリーはこの前の双頭犬人による襲撃の際に夫を亡くし、今は独り身の身の上だ。

 ワリドはその家にファルハルドを泊まらせ、ネリーはやたらと世話を焼こうとする。


 さすがのファルハルドにも二人がなにを狙っているのか、その思惑はわかる。わかりはするが、その話に乗る気は全く起こらない。



 ファルハルドは早々に家を飛び出した。ファルハルドは『曠野こうやの民』イシュフールの血を引く。屋外で眠ることになんの抵抗感もない。

 それこそ暗殺部隊に狙われながらイルトゥーランの大森林内を逃走していた一年間は、一度も屋根のある場所で休むことなく過ごしたほどだ。


 今は冬の最中だが、屋根に上りそこで一晩を過ごした。朝、顔を合わせたワリドは理解不能という顔でファルハルドを見ていたが、気にしないことにした。




 一行は東村をち、賊たちを引き連れ山中を進む。山頂の泉のある場所に辿り着いたところで一旦休憩を取り、食事にする。

 手持ちの保存食を火で炙り、麦粥も作る。賊たちにも等しく配れば、いささか量は寂しくなった。


 それをジャコモがぼやけば、ファルハルドは少し待ってろと言い、ふらりと出掛けた。

 時を置かずにすぐに戻ってくるが、その手には二羽の兎をぶら下げていた。これには傭兵たちは喜び、ヴァルカを始め賊たちは感心していた。


 手早くさばいて木の枝に刺し、火で炙る。焼けた部分から削ぎ切りにし、皆で分け合った。



 そして再出発してすぐ、十数頭の犬の悪獣の群れに襲われる。

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