38. 闇からの紆濤 /その⑤
この物語には、残酷な描写ありのタグがついております。ご注意下さい。
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亡者たちとの戦いの終わったその日。討伐隊は野営を行った。
闇の怪物たちが徘徊する盆地内での野営は危険を伴うが、これは去年も最初の十日間にも行ったことだ。
怪物たちを殲滅するため、こちらから討って出ればどうしても夜までに開拓村に帰れないことが発生する。絶やすことなく火を焚き、厳重に見張りを立て、眠る者もなにかあればすぐに対応できる体制を保ったままで固まって休んでいる。
現在は夜明け前。満月の前日であるこの日、西の空に残る月が地上を照らす。
今、見張りにはファルハルドとアキーム、他二名の計四名が中っている。ファルハルド以外の三名はちびちびと革袋から葡萄酒を呑みながら、それぞれが楽な姿勢で夜の闇を見詰めている。
アキームが革袋をファルハルドに差し出した。ファルハルドはちらりと目をやり、軽く手を振り断る。アキームは肩を竦めた。
「少しは痛みも紛れるんだがな」
アキームはファルハルドの首を見ながら言った。ファルハルドは亡者たちから受けた傷のうち、腿の怪我には薬を塗り布を当てているが、締め上げられた首については特になにもしていない。ファルハルドの首にははっきりと絞められた痣が残っている。
元々、ファルハルドは無口な性質だが、今は喉が痛むため普段以上に喋ろうとしない。
話す者もなく静かな時間が過ぎた後、ふっとアキームがファルハルドに話しかけた。
「亡者の相手はどうだった」
見張りの最中だが、ファルハルドは思わずアキームへと目を向ける。話しかけられた内容が気になったのではない。アキームの声がとても暗かったのだ。
アキームはファルハルドへと話しかけたが、顔はそのまま前に向けている。話を続けようとはしない。無言で闇を見詰めている。
ファルハルドは戸惑い、見張りを続けるため正面に目を戻した。
長い時間が経った後、アキームは誰へともなくぽつりと零した。
「俺が初めて戦った亡者は親父だった」
ファルハルドはアキームを見ず、気だけを向けた。
「ま、あいつのことは元々ぶっ殺してやろうと思ってたんだけどよ。
へっ、なにより働くのが嫌いで、まだ餓鬼の俺に近所から食い物を盗んで来させては、酒を掻っ喰らってるような糞みてぇな野郎さ。暇さえありゃ、俺やお袋をぶん殴る正真正銘の屑野郎だったぜ。そりゃ、お袋も産まれたばっかの妹連れて出てくわな」
アキームの嘲笑うかのような口調は、なぜか泣いているように聞こえた。
「そんな糞野郎だからよ。こっちはぶっ殺す気満々だったんだが、そうは言ってもまだ餓鬼の俺じゃ敵わなくってな。結局、殺せず仕舞いで、ある日凄ぇ血を吐いて勝手におっ死にやがった。
くたばってくれたのは良かったんだが、そんな状態だから近所の助けなんて頼めねぇし、まだ餓鬼だった俺にはどうすりゃいいのかわかんなくてよ。
そのまんま、三日くらい亡骸を放置したんだったか。なんか凄ぇ臭くなってきて、どうにかしなきゃと思った頃に野郎が急に立ち上がりやがったのさ」
ファルハルドも他二名の見張りも口を挟むことなく耳を傾けている。
「ありゃあ、びびったぜ。どっかに捨ててくるかと引き摺ろうとしたら、突然動き始めやがったんだからよ。
凄ぇ力で歯を剥き出しながら俺の腕を掴んで来やがってよ。振り解こうにもどうにもなんなくて、無我夢中でそこらにあった瓶を引っ掴んで頭をぶっ叩いてやったぜ。
それでも餓鬼の力じゃ頭を潰せなくてよ、親父は俺に喰らいつこうとしてきやがった。俺の叫び声を聞いた近所の奴らが駆けつけてくれなかったら、あのまんま喰われてたんだろうぜ。
へっ、まったく糞野郎は死んでまで傍迷惑だぜ」
アキームは両手を開き、じっと自分の手を見る。
「なんでだろうな。これまで散々人を斬ってんのに、あの時の感触だけが今も忘れらんねぇ」
アキームは口を開くことなく、無表情に自分の手を見詰め続けている。
長い時が過ぎ、不意に顔を上げた。すでに表情は普段通りのふてぶてしい表情に戻っている。薄く笑い、ファルハルドの首を指差し続けた。
「ま、あれだ。亡者と遣り合う時は躊躇うなよ。人の形をしてる奴らだからよ、迷うことはあんだろうが、躊躇えば付け込まれるだけだぜ」
ファルハルドは目を見詰め返し、頷いた。
「あ゛あ、二度ど迷う゛ごどわない゛」
場に無言の時間が生まれる。アキームの肩が小刻みに震え始める。堪えきれず、笑い声を上げた。
「ぷっ。なんだよ、お前。はっ、がらがら声にもほどがあんだろ。まじか、それ。ははっ」
他の見張りたちも笑い出す。重かった場の空気が緩んだ。ファルハルドは口を歪め、恨めしそうな目で皆を見回した。
口を開かず、額に皺を寄せる。ぐっと皺を寄せ、自身も笑い出した。アキームから革袋を受け取り、口を付ける。
東の空、山の端で空が明らみ始めている。もうすぐ新たな一日が始まる。
次話、「八の月、満月の夜」に続く。




