33. 変わる日々
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娯楽の少ない開拓村の生活故か、エベレの出産の祝いは日のある間中続き、その日は傭兵たちも祝いを楽しんだ。
次の日、ファルハルドたちはワリドたちに祝いの言葉を述べて、東村をあとにする。
ゼブにはクーヒャール神官を西村に送らせ、オルダとイザルには駐屯地に戻る女性たちの護衛を任せた。
ダリウスとファルハルドは駐屯地に帰る前に、東村周囲の検索を行う。二人の頭にはワリドとエベレの赤子たちのことがある。普段以上に怪物たちの襲撃を防ぐことに敏感になっている。
東村の北東方角から始め、ぐるりと一周大きく回りながら検索していく。
いきなり北東の林で凶暴化した獣たちを見つけた。
ダリウスは足は速くないが、凶暴化した獣たちは次から次へと襲いかかってくる。待ち構えていればよいため、ダリウスの足の遅さは問題とならない。
ファルハルドにいたっては森の中こそが最も実力を発揮できる場所となる。悪獣ならまだしも、単なる凶暴化しただけの獣など何頭いようとも問題とならない。さほど時間も掛からず、二人で一つの群れを倒しきった。
東側の林で石人形の群れ、西側の林で木人形と獣人の群れと当たる。凶暴化した獣の群れ相手よりは時間が掛かったが、これも問題なく倒しきる。
ただ、こうして改めて丁寧な検索を行うことで、思っていたよりも多く闇の怪物たちとぶつかった。
これが意味するのは、怪物たちの襲撃圧力が高まっているということ。今後の数多い襲撃が、続く激しい戦闘が予想される。
最後の場所、北側に向かった。そこは少し様子が違っている。凶暴化した獣がなにかを襲っている。
住人か。二人は急いだ。足の速さの違いからファルハルドが先行する。凶暴化した獣は狼。その群れが倒木に隠れた場所にあるなにかを襲っている。
ファルハルドは獣たちを自分に引きつけるため、大声を上げながら獣の群れに斬りかかる。獣たちを斬り捨てながら、安心させるため声を掛ける。
「すぐに辿り着く。頑張れ」
弱っているのか、返答は返ってこない。ファルハルドは急ぎ道を斬り開く。ダリウスも追いついてきた。獣たちの狙いが分散し、受ける圧力が減少する。ファルハルドは一気に進む。
倒木の陰に隠れていた目指す場所が視界に入った。
力が抜ける。その場にいたのは人ではなかった。犬の母仔が襲われていたのだ。
仲間割れか? いや、あれは。ファルハルドの腕に、足に、再び力が満ちる。一跳びで獣たちを跳び越し、犬の母仔の前に立つ。
ちらりと目をやる。母仔は牙を剥き出しファルハルドを警戒するが、傷を負っているためか、逃げ出すこともファルハルドを襲うこともなかった。
ファルハルドとダリウスで前後から群れを挟み殲滅していく。最後の一頭を斬り伏せた。
改めて犬の母仔を見やる。ファルハルドの視線を受け、二頭は再び牙を剥き唸り声を上げる。ファルハルドは剣身を布で拭い、鞘に納めた。
二頭はただの獣。これ以上なにかをする理由はない。斬り伏せる理由も、助ける理由も。なにかをする理由などない。ない、のだが……。
母犬は深手を負っている。おそらくは致命傷。仔犬も腹や足に大きな怪我を負っている。
この二頭は大怪我を負いながら、ファルハルドから互いを守ろうと互いが互いを庇い合っている。
そう、母が仔を、仔が母を。そして、この仔犬はおそらく狼犬。狼と犬の間に産まれた仔。
ファルハルドは小さく溜息をついた。膝を折り、身を低く屈める。両手を広げなにも持っていないことを示し、静かにその場に佇む。
しばらく待ち、母仔の唸り声が弱まった時を見計らい、ゆっくりと一歩近づいた。
再び唸り声が大きくなるがファルハルドは待ち、ゆっくりと焦らず慎重に距離を詰めていく。手を伸ばせば届く距離まで近づき、静かに見詰め合う。その目に労る気持ちを、助けたいと思っている気持ちを載せて。
母仔は少しずつその唸り声を潜め、牙を収めた。ファルハルドはそっと手を伸ばし、母仔の頭を撫で、耳の裏を掻き、顎の下をくすぐる。二頭のまとう空気が緩んだ。
母仔の傷を確かめ、懐からジャンダルが送ってきた傷薬を取り出した。落ち着いた声で話しかける。
「傷薬だ。使うぞ」
傷に触れた時、低く唸り声を上げたが、それは強いものではなかった。ファルハルドに心を許したからか、もはや強い声を上げられないほど弱っているからなのかはわからない。
ファルハルドはダリウスを振り返る。ダリウスは頷き、近くにある枝を折り木の枝と自らの上着を使い担架を作った。
ダリウスが近づけば、二頭は尻尾を股の間に挟み小刻みに身体を震わせる。ただ、逃げ出そうとはしなかったことから気にはせず、慎重に担架に乗せ二人で駐屯地まで運んでいく。
駐屯地まで帰り着けば、皆が騒ついていた。
先に帰ってきていたオルダやアイーシャたちから、ダリウスとファルハルドが二人で東村周辺の検索と掃討を行ってから帰ってくることは聞かされてはいた。
ダリウスがいる以上なにがあっても心配はないが、それにしても遅い。いったいどうしたのかと団員たちが考え始めた頃、やっと二人が帰ってきた。
と、思えば、二人は傷付いた犬を乗せた担架を担いでいる。騒つかない訳がなかった。
ダリウスは団員たちの目を丸くした様子には取り合わず、そのまま療養所へと進んでいく。療養所に二頭を運ぶと、近くにいた団員にジョアン神官を呼んでくるように命じた。
ジョアンだけでなく、女性陣が連れ立ってやって来た。
ジョアンは少し呆れた様子を見せたが、治癒の祈りを施した。アイーシャもどこか呆れている。プリヤは楽しげで、なにやらそわそわしている。ニースは母仔を撫でようと手を伸ばすが、ダリウスはそれを止めた。二頭は弱っているので今は止しなさい、と。
ファルハルドはどうしたものかと考える。といって、どうしたものかもなにもない。差し当たり元気になるまで、もしくは死ぬまで面倒を見る、か。仕方がないな。
犬の母仔を見ながら、ファルハルドは一人頭を掻いた。
─ 2 ──────
秋半ば。傭兵団は厳しい日々を送っている。
変わらず闇の怪物たちの襲撃は続いているが、夏の終わり頃からその襲撃の頻度が増している。最近は数日続けての戦闘が度々繰り返される。
皆の疲労が溜まり、本隊からは数名の犠牲者も出てしまっている。斬り込み隊からもザリーフが大怪我を負い、現在は療養所で過ごしている状態だ。
ファルハルドにも疲労が溜まっている。ただ、他の者よりもその程度は軽い。
碌に休むこともできない続けての戦闘を繰り返すうちに気付いたことだが、過酷な環境に適応した『曠野の民』イシュフールの特性なのか、ファルハルドは他の者と比べて幾分か疲労からの回復速度が速い。
もちろん頑健な肉体を誇る『力抜きん出たウルス』には及びも付かないが、それでもこうして連戦が続く状況ではその特性は生き残りに有利な要素となる。
ファルハルドと、ウルスの特性は弱くしか持たないがウルスとオスクの忌み子であるナーセル、あとは無難な戦い方をするハサンとハサンが斬り込み隊のなかでは疲労が軽い者たちだ。
アキームは疲労が濃く、オリムに関しては平気なのか平気な振りをしているのかわからないが、あまり辛そうな様子は見せていない。
ファルハルドの疲労が軽いのには、適度に気晴らしができているのも関係しているのかもしれない。
気晴らしの一つ目は東村のワリド村長の赤子たちの顔を見ることだ。
ワリドも名付け親相手だからか、会いに行く度に顔を見せてくれるだけでなく気軽に抱かせてくれもする。
会いに行けるのは半月に一度程度だが、いい加減ファルハルドも赤子を抱いても無用に緊張はしなくなってきた。
産まれた時はあんなにも小さく赤くしわくちゃだった赤子たちが、次に会いに行った時にはぷくぷくとしており、会いに行く度に大きくなっていく。
いや、実際にはそれほど大きくなっている訳ではないのだが、ファルハルドにとっては驚くほど成長しているように感じられている。そんな赤子たちを見るのはこの上ない喜びだ。
そのことを薬草摘みの際何気なくアイーシャたちに話せば、親馬鹿が過ぎると笑われた。
名付け親だが親ではないと言えば、なにやら生暖かい目を返される。仕舞いには早く子供持てだの、自分の子供はもっと可愛いだの実に煩い。
だが、まあ、実際可愛いし、まあいいかと思う辺りアイーシャたちの親馬鹿が過ぎるという感想はあながち間違っていないようだ。
二つ目の気晴らしが傭兵団の面々との手会わせだ。特にダリウス団長やオリム、アレクシオスの両副団長との手合わせでは学ぶものが多い。
ダリウスは共に戦った際のファルハルドの戦い方を見、助言を行った。
敵の攻撃を躱し、最小の動きで急所を狙う。そのファルハルドの戦い方も無双の実力を誇るダリウスの目から見れば、動きが硬く大袈裟に過ぎるものだった。
ファルハルドはイルトゥーランの暗殺部隊と戦い続けることで実戦での剣を磨いた。奴らは躱したと思えばそこからさらなる追撃を、あるいは毒を放つことを行ってくる。
自然、ファルハルドは躱す際、なにをされようとも確実に躱せるよう余分に大きく避ける癖が付いていた。
それでも今までは瞬間的な俊敏性もあり通用していたが、今後もそのままで良いとは限らない。そして攻撃に移る際には、最短距離を取ろうとするためか動きそのものが直線的で硬い。
ダリウスの考えによれば、もっと柔らかでしなやかな動きをできるようになれば、敵の攻撃を躱す際ももっと少ない動きで躱せるようになり、攻撃もより素早くなる筈だと言う。
その動き方に関してはオリムを手本にするのが良いだろうということだった。
そして、動きに関してはもう一点。イシュフールの特性もあるのだろうが、少し跳躍を多用し過ぎではないかと言う。ある程度の対応はできても、滞空状態では複雑な動きはできない。使う場面はよく見極めたほうがよいのではないかという意見だった。
ファルハルドも指摘され始めて気付いたが、確かに昔に比べ跳躍に頼る機会が増えていた。実際にダリウスと手合わせをした際には追い込まれ跳躍。そして、その状態を狙われ、打たれた。少し安易に頼り過ぎだったかもしれないと反省した。
参考にするため、改めてオリムの、そして他の者の戦い方を観察する。団員たちは皆実戦慣れしており、誰もが一定以上の腕前を持っている。そのなかでもやはりダリウス、オリム、アレクシオスの三人の実力は別格だった。
ダリウスはまさしく豪勇無双。敵の攻撃を躱すことも行うが、多用するのは腕を使って捌き逸らすこと。
そして、特徴的なのが敵の攻撃を拳で迎え撃つこと。敵の攻撃に自らの拳を叩きつけることで敵の頼りとする攻撃手段そのものを破壊する、剣折りや拳割りと呼ばれる技術。無敵の拳を持つからこそできる戦い方だ。
オリムは激しく豪快な剣を使い、その体捌きはしなやか。今のファルハルドにとっては最も参考となる。
アレクシオスの動き方は直線的だが、柔らかい。なにより軽くきれが良く、緩急自在。動きを捉えることは難しい。
戦いが長引けば長引くほど、相手は惑わされ戦いの拍子を崩し、気付けば実力を発揮できず圧倒されることになる。なかなかに戦いにくい剣の使い手だ。
三人の中ではアレクシオスの動きが最もファルハルドと近い。参考となることも多い筈だが、あまり上手くいかない。そもそもの動き自体を捉えることができないため、真似ることが難しいからだ。それでもわずかなりとも写し取らんと、ファルハルドは機会を逃さず注意深く観察する。
この三人と手合わせをする機会は多くない。しかし、ファルハルドはその少ない機会を活用し貪欲に学んでいく。
沁みついた戦い方、動き方を変えることは容易ではない。だが、ファルハルドには目指す場所がある。必ず辿り着くと誓った場所が。どれほど困難な道であろうとも必要な道であれば歩むのみ。
ゆっくりとではあるが、確かに強くなっている。その実感が最高の気晴らしとなっている。
そして、三つ目の気晴らしが拾ってきた犬の仔と過ごすこと。
母犬は結局助からなかった。仔犬が立ち去るなら止める気はなかったが、そのままここに居着き、今では皆に可愛がられている。仔犬は最初の出会いのせいか、ファルハルドに懐きよく足下にまとわりついている。
仔犬にはその黒毛の見た目から、スィヤーと名を付けた。
最初、ファルハルドはいつまで経っても名前を付けようとせず、見兼ねたニースにせっつかれ、では、名前はサグで、と答えたところ、とてつもなく冷えきった目で見られる羽目になった。その後、二度三度駄目出しをされ、なんとか許容範囲となった名前がスィヤーだった訳だ。
ダリウスも時々仔犬の頭を撫でにやってくるが、スィヤーはその度に露骨に怯える。ダリウスはその姿を見てなにやらしょんぼりとしている。どうやら結構な犬好きらしい。それとも、猛々しい容貌に反して可愛いものが大好きなのか。
狼の血も引くスィヤーは手足が太く、ただの犬よりも丈夫に大きく育っている。
ファルハルドは時間がある時は薪雑把を手に、スィヤー相手にも鍛錬を行っている。スィヤーにとっては楽しい遊びの時間であり、ファルハルドにとっては手加減を覚え、動きのより精密な制御を覚えるよい鍛錬となっている。
そんな日々を過ごすなか、ついに闇の怪物たちの大規模な襲撃が始まった。
次話、「闇からの紆濤」に続く。
次週は更新をお休みします。次回更新、1月9日予定。
皆様、良いお年を。




