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深奥の遺跡へ  - 迷宮幻夢譚 -  作者: 墨屋瑣吉
第二章:この命ある限り

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31. エベレの出産 /その①



 ─ 1 ──────


 俺はなにをしているのだ。ファルハルドは現状が理解できない。



 ここは開拓村、東村の村長であるワリド宅の離れの一室。

 屋外では村人が行き交い様々な作業を行っている。村長宅には女性たちが集まり、傭兵団に所属する神官であるジョアンや団長の妻のアイーシャ、プリヤも手伝いに来ている。


 人々の間には緊張感と共に幸福感が漂っている。ただ、ワリド村長は別だ。一人だけひたすら不安げな様子で、おろおろと座ったと思えばまた立ち上がり、次の瞬間には室内を歩き回りと、落ち着きなくさっきから同じ動作を繰り返している。


 今は夏真っ盛り。ワリドの妻、エベレの出産が行われようとしている。


 そして、この場にはファルハルドも手伝いとして駆り出されているのだ。

 なぜ、無関係なファルハルドまで立ち会うことになったのか。話は数日前にさかのぼる。




 ファルハルドは朝の鍛錬を終えた後、その日当番であった者六名と一緒に駐屯地周辺の巡邏に出掛けた。夏になってからは雨も減り、この巡邏の間も雨は少し降っては止んだりと繰り返している。


 闇の怪物や獣たちの痕跡は見られたが、その日の巡邏中に敵と出会うことはなかった。共に出掛けた者たちは周囲の警戒はしながらも、気楽に駄弁りながら進んでいく。


 巡邏から戻ったところで、ちょうど昨日開拓村での小麦の収穫祝いを兼ねた夏至祭に呼ばれていたダリウス団長たちが駐屯地に帰ってくるのに行き当たった。

 そこで珍しくダリウスがファルハルドを呼び止める。


「お前、薬草に詳しかったな」


 詳しいと言って良いかはわからないが、確かに今傭兵団にいる者の中では最も詳しくなるのだろう。ファルハルドは夏至祭で羽目を外し、誰か深酒でもしたか腹でも下したかと考えながら、頷いた。


「済まんが、血止めや気付け、あとは出産時に必要になりそうな物を用意してくれ」


 ? 今、なんと言われたのか。ファルハルドには意味がわからない。返事をすることができず、そのまま無言で立ち尽くす。

 そんなファルハルドの様子を見て取り、ダリウスの横にいたオリムが口を挟んだ。


「東村のワリドのとこでよ、いよいよ餓鬼が産まれそうなんだ。いろいろ用意もしてるみてえだが、あいつらもなんか大変そうでよ。

 で、まあ、うちからも応援を出してやるって話をしてな。ジョアンの婆さんやあねさんが手伝いに行っからよ、薬草に詳しいんならお前ぇも一つ手伝ってやれ」


 無茶言うな。それがファルハルドの頭に最初に浮かんだ言葉だった。


 母から一通り薬草、毒草のことは教わったが、ファルハルドには医学の知識もなければ、出産に立ち会った経験もない。ジャンダルならできることもあるのだろうが、どう考えても自分が役に立つとは思えない。


 そもそもこの傭兵団でファルハルドに求められることは、命令に従い敵と戦うこと、それだけではなかったのか。なにがどうなったら出産の手助けをするようになるのだ。


 ファルハルドの頭の中には疑問と反論が渦巻くが、同時に新しい命が産まれる、そのことをなによりも素晴らしいことだと思う気持ちもある。


 ファルハルドの母であるナーザニンは、悲惨な生活の中でも常にファルハルドのことを思い、最後の瞬間まで変わらず慈しんでくれた。母が子を産み、育てる。それに力を貸せることがあると言うのなら、否やと言う気は起こらない。


 結局、必要なことをジョアンたちに尋ね、用意できる限りの薬草を用意しファルハルドも出産の手助けをすることになった。



 この日と次の日一日、ファルハルドは寝る間も惜しんで周辺の森を駆け巡った。

 幸い今はアータルの月に入り、盛夏の頃。薬草も多く生えている。充分な量を確保することができた。


 薬草集めの途中、泥浴びをしている猪と出会う。興奮し、襲いかかる猪を仕留めた。ちょうど良いと肉を出産の祝いにすることにし、薬草集めの手伝いをしてくれている本隊隊員と髭ありハサンに頼み、猪は解体し燻製にしていく。



 集めた薬草と燻製肉を持ち、アイーシャたちやダリウスにオルダとイザル、他に騎馬隊からゼブが同行し共に東村に向かった。


 そして、東村に着いたのが昼過ぎ。若干疲れた様子のワリド村長が出迎えた。妻のエベレは気分が優れず横になっている。


 ファルハルドたちは歓迎された。神官であり法術が使えるジョアンや自身出産経験のあるアイーシャ、薬草を用意したファルハルドはもちろんのこと、他の者たちもいざと言う時の頼りになるとワリドの気持ちを落ち着かせる役に立った。


 エベレを見舞ったジョアンやアイーシャたちの見立てでは、早ければ今日、遅くとも三日以内には産まれるのではないかということだ。

 ワリドはそれを聞き、ほっとしたような、同時に不安に襲われたような複雑な様子を見せ、またもや挙動不審になる。


 そわそわと動き回るワリドをダリウスが「今からそんな様子でどうする」と一喝し、やっとワリドは落ち着いた。


 プリヤやアイーシャたちが竈を借り、皆の分の夕食を作る。エベレは食欲がないということで薄い粥だけを口にした。


 そして、皆の食事が終わりかけた頃、エベレの陣痛が始まった。




 ─ 2 ──────


 隣の部屋から聞こえてきたエベレの苦しみに耐えるような声に、即座にジョアンが反応する。隣の部屋に様子を見に行き、壁越しに皆に呼びかけた。


「始まったよ。さあ皆、働いておくれ」


 アイーシャは隣の部屋に向かい、プリヤは竈に火を入れ、湯を沸かす。


 ワリドはまるで役に立たない状態だったので、ダリウスはファルハルド、オルダ、イザルたちを村人に知らせに行かせ、ゼブには西村へクーヒャール神官を呼びに行くよう指示し、自分はワリドを落ち着かせることに専念した。


 東村の家の数は多くはない。全部で三十戸を越える程度だ。ファルハルドたちはすぐに全戸回り終わった。


 村人たちはわらわらと集まってくる。

 女性たちは手を洗い、たくさんの布や必要な道具を持ち込みエベレのいる寝室に入っていき、男性たちは村長宅の前の開いた場所に祝いの準備を始め、まずは明かりとなる篝火かがりびの用意をする。


 ファルハルドは正直なところ、なにをすればよいのかさっぱりわからない。採取した薬草はジョアンたちに渡し、使い方の説明もとうに終えている。なぜ、自分がここにいなければいけないのかファルハルドは理解できていない。


 手持ち無沙汰ではあるが、なにかあった時のため薬草に詳しい人間がいたほうが良いとの言葉によって東村に付いてくることになり、そのままこの場に立ち会うことになった訳だが、なにもなければすることはなにもなく、できることもなにもない。


 ファルハルドにできることなど、ただ戦うことだけ。当たり前の生活で役に立てることは意外に少ない。


 ただ、こうしてファルハルドを待機させていたことは、結果的に正しい備えとなる。繊細な薬草の処方が必要になったから、ではない。村人にとっては不幸なことに、ファルハルドにとってはある意味幸いなことに、完全に日が落ち半月が地上を照らす夜更け。闇の怪物たちの襲撃が始まったのだ。




 ─ 3 ──────


 最初に気が付いたのは、今日不寝番に当たっている見張り番の者だった。


 今夜の見張り番は夫婦で揃って開拓事業に参加し、東村に移り住んだ者。いずれとは話しつつもまだ子供はいなかった。賑やかに騒ぐ村長宅の様子を羨ましく思いながら、役目を思い出し村の外へと振り返った見張り番の視界の端でなにかが動く。


 目をらす。村を囲む林の一部で枝が風とは無関係に揺れている。雲の間から地上を照らす月は半月。それなりの明るさはあるが、煌々と地上を照らすとはいかない。


 見張り番のいる物見櫓から、村を囲む林までは間に畑が拓かれていることもありそれなりの距離がある。この明るさの中、それだけの距離が開きながらそれでも枝の不規則な揺れが確認できたなら、それは単なる葉擦れではないということ。


 見張り番が村中に知らせるための鐘を鳴らそうと手を伸ばした時、ちょうどそれは姿を見せた。林と畑を区切る垣を体当たりで破壊することで。


 姿を見せたのは悪獣と化した牡鹿。悪獣は作物を踏み潰しながら、畑の中を一直線に駆ける。

 悪獣が村落部分を囲む木の柵に辿り着くよりも早く、ファルハルドが姿を見せる。一息に柵の上へと跳び上がった。


 イシュフールの特性を強く持つファルハルドは夜目が利く。悪獣とその後ろに続く怪物たちの姿を確認し、皆に鋭く知らせた。


「鹿の悪獣、一。狼の石人形、三。猿の木人形、四。猪人、二。先行する」


 ファルハルドは柵から跳び降り、迫る悪獣へと走り寄る。


 あの牛人の戦いから二箇月以上が過ぎ、左腕の骨折からは完全恢復。力も取り戻している。そして、その腕には新たにタリクによって造られた薄金造りの籠手が備えられている。


 その籠手が、兜が、月明かりを反射する。赤い目を光らす悪獣との距離が縮まっていく。


 悪獣の元になっている鹿は肩高で言えば、ちょうどファルハルドの臍の辺り、頭が胸の辺りになる程度の大きさだ。ただし、身体の大きさに似合わぬ大きく広がった角を持つ。


 そして悪獣と化した現在は、体高は変わらずとも筋肉の発達具合は元の動物であった時は比較にならないほど。

 その筋肉の塊が、頭を下げ角を向けて迫って来る。


 ファルハルドは走り寄りながら、剣を抜く。


 悪獣の角がファルハルドの腹に触れる寸前に盾を当て、角を軸に回転。回転しながら悪獣のその脚を斬り飛ばし、着地と同時に地を蹴り、素早く離れる。


 悪獣は脚を斬り飛ばされてもひるみはしない。だが、左の前脚、後脚共を半ばから斬り飛ばされては駆けることなどできる筈もない。横倒しに倒れ、立ち上がることもできず地面で藻掻もがいている。


 ファルハルドは足を止めずに駆け抜ける。三体の石人形は一塊となり、村落へと向かって来る。ファルハルドはそのうち一体を蹴りつけ、跳躍。着地地点にいた木人形を一閃、真っ二つに斬り裂いた。

 ファルハルドはそのまま進み、二体の猪人を相手取る。


 ダリウス、オルダ、イザルも村落の出入口から回り込み、駆けつけた。


 ダリウスは決して足は速くないが、力強くずんずんと敵へと向かい突き進む。オルダとイザルは柵の前に陣取り、ファルハルドとダリウスが討ち漏らした個体に備える。


 ダリウスが石人形と接触。

 両の拳を燐光に包み、三体全てを一撃で粉砕。さらに砕いた石人形の欠片のうち大きな部位を拾い上げ、木人形へと投げつける。一体の両足をし折った。


 残った二体の木人形はオルダとイザルに任せ、自身は二体の猪人と戦うファルハルドの下へと駆けつける。


 村から歓声が上がる。


 村長宅に集まった男性たちのうち、オスクの半数とアルマーティーの男性たちはそのまま村長宅での準備を続け、残りのオスクの半数とウルスは武器を手に持ち村を囲む土塁の内側でもしもの事態に備えている。

 その武器を手に集まった村人たちが傭兵たちの戦いぶりを見て歓声を上げたのだ。


 怪物たちを倒していく傭兵たちの姿を見て、来襲の報を耳にし動揺していた村人たちの不安は払拭された。

 むしろ、どこか出産を彩る少々過激な催しだととらえ、楽しんでいる節もある。

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