22. ラーヒズヤ商団 /その④
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翌日、日の出と共に起き出したファルハルドの目の前には、見るも無惨な光景が広がっている。
ファルハルドはいつも通りに夜明けと共に起き出し、鍛錬を行おうと一人天幕を出た。その際、なんとはなしに中央広場に足を向ける。そこで見たものは実に酷かった。
昨夜、たらふく呑み食いし、団員の三分の一ほどがそのまま酔い潰れ広場で眠りこけてしまっている。あちらこちらに吐瀉物も見られる。食器の類に関しては誰かが片付けたのか、皿一枚残されることなく綺麗に片付けられているのがまだ救いだ。
広場で寝ている団員たちに起き上がる気配は全くない。まだまだ夜は冷え込む春半ばに、屋外で一晩寝っ転がって風邪の一つも引かないのはさすがの頑健さではあるが、半数は大鼾を掻き、残り半数は眠りながら苦しそうな呻き声を漏らしている状態である。
羽目を外すのはご自由にだが、仮にこんな状態でもし怪物たちの襲撃でもあればどうするつもりなのか。ファルハルドは一人頭を振った。
「オウオウ、んだお前ぇ、今日も走ってんのか。クッソ真面目だなぁ、おい」
剣や盾、兜を身に着け、鎖帷子を着込んでファルハルドが駐屯地の周りを走り込んでいると、一人周辺の見回りを行っていたオリムと出会した。
オリムも昨夜しこたま呑んでいた筈だが、そこはさすがに副団長である。他の団員たちが動けない状態の時は率先して見回りを行い、警戒警備に抜かりはないようだ。
もっともファルハルドに言わせるならば、なら団員たちにもっと酒量を控えるようにと目を光らせるべきではないかとなるのだが。酒好きと酒を好まない人間の間には決して理解し合えない深くて大きな溝が横たわっているらしい。
「どうだ、久しぶりに手合わせでもしてみっか」
オリムは誘ってくるが、ファルハルドは首を振る。
「広場は今、人でいっぱいだ」
「はっ、そうだったな」
オリムは豪快に笑い、そのまま周辺の見回りを続けに離れていった。
ファルハルドも走り込みを再開する。走りながら考える。広場が込み合っていることを理由に断ったが、もし広場が空いていてもオリムとの手合わせは断っていただろう。
ファルハルドとしてもオリムとの再度の手合わせ自体は望んでいる。だが、オリムとファルハルドが手合わせを行えば、きっとまた行き着くところまで行くことになるだろう。最初の手合わせの時もアレクシオスが止めなければどちらかが、あるいは両者共が死んでいた。
ファルハルドには誰も止められる者がいない状態でオリムと手合わせをする気はなかった。
どうにも、ファルハルドは普段は感情の起伏が薄いぐらいなのに、つい戦闘となれば我を忘れがちになる。自らの内の激情を抑える、あるいは上手く付き合っていくこともファルハルドの課題の一つだ。
ファルハルドが鍛錬を終える頃には商団も商売を始めていた。ファルハルドは今日は特に予定もないことからぼんやりと商売の様子を眺めている。
商団の馬車は駐屯地を囲む柵の外に並べて横付けされている。ある馬車は車体の横部分が上に開かれ、車体内部は様々な商品が並べられた棚と勘定台になっている。ある馬車は後ろから次から次へと酒樽を下ろしていき、その酒樽は見る見る間に団員たちが購入、そのまま大事そうに自分たちの天幕へと持ち帰っている。
そして、ある馬車は分厚い扉へと続く階段部分に薄衣の女性が腰掛け、楽器を爪弾いたり団員たちへにこりと微笑んだりしている。とはいえ、この刻限から女性たちが商売を始める訳ではない。
希望する団員たちはアイーシャに申し込み、誰が今回買えるのか全てアイーシャが決める。アイーシャはその団員が前回いつ買ったのかや、日頃の働きぶりを考え決定する。
女性たちはファルハルドを見かけると思わせぶりな視線を送ってくるが、ファルハルドはその全てを綺麗に無視した。
今日は昨日のように団員たちが殺到している訳ではないからか、女性陣が連れ立って買い物をしている。ニースの姿も見える。団員たちの騒がしいだけの買い物風景と違い、なんだか女性陣の買い物風景には華がある。
女性陣の一番人気は蜂蜜、次は色取り取りの布、東国諸国産の乾酪や香りの良い石鹸も人気がある。楽しげに互いに相談しながら、一つ一つを時間を掛けて選んでいる。
一人の団員がぎこちない様子で買い物中の女性陣に近づき、緊張した態度でプリヤに話しかけている。
その団員とは髭なしハサン。なにを話しているのか、内容は全く聞こえないがその態度を見ればどんな感情の下で話しかけているのかは誰にでもわかる。それこそファルハルドでもわかるほどだ。
髭なしハサンは夢中で話しかけている。プリヤに嫌がる素振りは見られない。ただ、相槌を打ち、身振り手振りを返しはしても、言葉は返していないようだ。
男女の間は一筋縄ではいかないものだが、なにか複雑な事情でもあるのだろうか。
ファルハルドはそんな二人の様子を見て考える。自分も人から見れば、あんな風に見えるのだろうか。なんだか痛ましくて見ていられない。ファルハルドは初めて、自分が人からどう見えるかについて考えを及ぼした。
タリクが資材の受け取りと、悪獣や怪物から採取した素材の引き渡しにやって来た。その代金の遣り取りについては昨日のうちに、すでに団長やアイーシャを交えて話が済んでいる。
受け取る資材の内、最も重要なのは鉄と炭。タリクにとっては、ひいては団にとっても、なくてはならない必要不可欠なものだ。その他の薪や木材、革は基本自分たちでも調達できる。ここらでは手に入らない種類の革や多少の板材を受け取る程度だ。
引き渡す素材は撃退した闇の怪物などから採取したものだ。ただ、革などは戦闘時に傷だらけになり、その他の素材もあまり状態は良くない。少しでも収支の改善になればましという程度の品だ。
タリクは充分な鉄と炭を手に入れ満足そうだ。ジャッバールとクース、それ以外の団員にも手伝わせ、上機嫌な様子で鍛冶場へと運んでいく。
途中、ファルハルドに気付き、
「これで薄金造りの籠手の作成に取りかかれるぞ。楽しみに待っておれ」
と声を掛けてきた。
ファルハルドは頷きを返した。
何人かの団員は賭けですっからかんになったのか、商団に対してつけでなんとかと頼み込んでいるがその願いが叶うことはない。
街などではまとめて支払いをするつけ払いも利かなくないが、それ以外の場所では基本つけ払いはできない。特にこんな闇の領域との境界近くでは決して受け付けられることはない。
支払いを約束した人物が、その期日が来る前に闇の怪物たちに襲われ死亡する危険が高いからだ。そして人の領域の最前線では、村や傭兵団などその人物が所属する組織そのものが全滅することも珍しくない。商団にとっては危険過ぎて、つけ払いなど受け付けられる筈がない。
頼み込んでいる団員たちもそのことはわかっている。わかった上で諦めきれず、万が一に賭けて頼み込んでいる訳だ。
もっとも、そもそも賭け事に負けて金がなくなるような人間が万が一に賭けるという発想が間違っていると言わざるを得ないのだが。
しばらく粘った後、結局は肩を落として立ち去っていった。その背中はやけに淋しそうではある。
この日の夜も広場で宴会が行われる。昨日と違い料理はアイーシャたち傭兵団が作り、肉も控えめなら酒も控えめな落ち着いた宴会となった。
ただ、一部の団員たちは気もそぞろで、落ち着かなげにやけにそわそわしている。そして、別の一部の団員たちはなんだかしょんぼりしている。
ファルハルドと髭なしハサン以外の斬り込み隊の隊員たちは落ち着きがないほうに含まれる。妙なものだとファルハルドは思ったが、取り敢えず関わりになるのは避けた。
次話、「牛人との戦い」に続く。




