80. しばしのお別れ /その①
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一の月十一日、三の刻。
前日の昼過ぎから降り始めた雨は夜明けと共に止んでいた。大通りにも水溜まりが残るなか、北地区の中心、政庁関連施設の集まる場所の一角、保安隊本部の広場に二頭立ての大型の檻車が用意されていた。
今回、苦役刑として傭兵派遣される者たちを運ぶ荷馬車だ。
各小隊詰所から、段々と囚人たちが運ばれてくる。ファルハルドもまた、東地区にある保安隊第八小隊の詰所より檻車に乗せられ保安隊本部に連れられてきた。
広場はなんだか騒がしい。見れば意外なほどに人がいる。
要所要所に立つのは保安隊隊員たち。槍を手に持ち、厳しい顔付きで騒動が起こらないように警備を行っている。
広場にいる大勢の人々は、移送される囚人たちを見送るために集まった人々だ。ほとんどの人々は涙ぐんでいる。一部、なにやら怒りを押し殺した様子の者も見られる。
そして最も目立つ一塊の集団は、場違いなほど和やかな人々。ファルハルドを見送るために集まった者たちだ。
手枷を付けられた囚人たちがそれぞれの檻車から下ろされる。移送用の大型の檻車に移される前、しばしの間保安隊隊員の監視の下、集まった人々との別れの言葉を交わす時間が許される。
「おう、元気そうだな」
「ふむ、すっかり顔色は良くなっておるの」
「やあ、兄さん。いいなあ、おいらも久しぶりに旅に出ようかな」
バーバクたちが声を掛けてくる。
あの騒動から約三箇月。ファルハルドは未だ左肩の動きは悪く、右手中指の握り込む力が弱くなり、右肩の肉が削がれた部分は触れば痛みが走る。さらに激しく動けば全身の関節が熱を持つ。
それでも体力はほぼ回復し、普段の動きに支障はなく、問題なく戦えるまでに恢復している。
バーバクもすっかり傷も癒え、今は迷宮挑戦を再開している。そして、一緒にいるのは共に迷宮に潜る仲間たち。それはハーミとジャンダルだけではない。カルスタンたちも共にいる。
カルスタンとペールは、今ではバーバクたちと共に迷宮に潜っている。ちょうど騒動の少し前、アズールが家を継ぐことになり地元に帰ることになったのだ。
今後をどうするか話し合っていたカルスタンたちに、騒動の時の礼を言いに行ったバーバクたちがそのことを聞きつけ、ならば共に潜らないかと声を掛けたのだ。そのことは面会にやってきた時にファルハルドも聞かされ知っていた。
アズールは去年のうちに地元に向け旅立ち、すでにここパサルナーンにはいない。デルツは今ここにいる。ただし、デルツもまた迷宮挑戦者を引退している。彼は今では白華館で用心棒をしている。
そして、デルツの横にいるのはセレスティン。あいかわらず高価な生地だが、地味な濃紺の装いをまとっている。いつも通りのにこやかな笑顔を浮かべ、話しかけようと口を開く。
「ファルハルド様、この度は」
「まったくもう。おばさんに相談しなさいって言ったのに」
だが、ファルハルドに話しかけるセレスティンを押し退けて、ロジーニが割り込んだ。口を尖らせ、なにか文句が言いたくて堪らないらしい。肩を掴み、押さえようとするセスの手も押し退け話しかけようとする。ただ、ロジーニの文句は続かなかった。
「いよう、永のお務めだってなぁ。せっかくの常連さんがご無沙汰になんのは淋しいもんだ」
オーリン親方が割って入ってきた。オーリンのところは親方と子供たち全員が揃ってやって来ている。
オーリンやファーリン、ハミードは明るいものだ。切った張ったに生きる迷宮挑戦者が傭兵稼業に鞍替えしても、そこにたいした違いがあるとは考えていないからだ。ただ、モズデフだけは心配そうな様子で深刻な顔をしている。
そのモズデフを、寄り添うように傍に立つ男性が支えている。モズデフの婚約者であるラフィークである。モズデフの幼馴染みでもある腕のよい飾り物職人だ。
ラフィークは子供の頃からモズデフのことを想い続けていた。ただ、少し気が弱いところがあり、ずっと言い出すことができずにいた。ただの仲の良い友人として過ごすうちに互いに成人し、モズデフに見合い話が持ち込まれるようになる。
その状況に焦り、やっと勇気を出して告白。が、見事撃沈。それでも諦めず、何度も何度も申し込むうちに次第にモズデフも絆され、いつしか両思いに。
しかしオーリンは、モズデフは鍛冶職人の嫁にと考えており、そこでもまた一波乱が……、などという紆余曲折を経て二人は冬の始まり頃に晴れて婚約をした。
そのラフィークが、目に涙を浮かべるモズデフに寄り添いそっと支えている。モズデフの胸にはファルハルドが渡そうとした胸飾りが光っている。療養中にファルハルドに代わりジャンダルが渡しておいたのだ。もちろん、ファルハルドからということを言い添えて。
モズデフはその葡萄を象った銀の胸飾りを付けた胸に、一本の小剣を掻き抱いている。その剣をファルハルドに差し出そうとしたが、オーリンが止めた。勝手に囚人に武器を渡すのは、法に触れる行為になるからだ。
モズデフに言い聞かせ、オーリン自身は保安隊の責任者に許可を貰いに離れていった。許可を貰いに行くのには、キヴィク親方も同行する。ファルハルドへの餞別として革鎧を用意していたからだ。
キヴィク親方の技術の粋を集めた最高傑作、という訳ではない。物自体は、ファルハルドがずっと使っていた胴部分だけの革鎧と変わりはない。
それでも、今まで使っていた鎧は補修こそしていたが、あちらを直しこちらを直しとだいぶ傷みが目立ち始めていた。そのため、新たな戦場に赴く常連に、無事に帰ってこいとの気持ちを込めて新たな革鎧を贈りに来たのだ。
その一塊の集団と少し距離を置き、魔導具組合のカルマンとシェルヴィーン、そして満面の笑みを浮かべ二人の弟子を連れたフーシュマンド教導が立っている。
カルマンはゆったりと、シェルヴィーンはきっちりとファルハルドに礼を送り挨拶しようとした。ただ、カルマンたちが話しかける隙もなく、フーシュマンド教導が話しかけてきた。
「ファルハルド殿。お渡しした調査票はお持ちいただいておりますかな。記入方法は大丈夫ですか」
挨拶抜きで自分の要件を済ませにきた。話に出てきた調査票は療養中に面会に来た弟子の女性から渡されている。
フーシュマンドからの要請として、調査の手伝いを頼まれたのだ。苦役刑の最中にそれはよいのかと思わなくもないが、なんといってもフーシュマンドのお陰で刑期が大幅に短縮された身の上。ファルハルドには断るという選択肢は存在しなかった。立ち会っていたカリムも、若干呆れ気味にしながらもなにも言わず調査票を預かっていた。
ちなみに、この時フーシュマンドのお遣いとして面会にきた弟子の女性は、ずっと目も合わさず囁くような小声でぼそぼそ喋りすぐさま帰って行った。お陰で要件も受け取った調査票のこともなにもわからなかった。
後日、アッバス小隊長が魔術院に問い合わせ、やっとファルハルドに対し、派遣される先の文化風俗、人々の暮らしぶりを聞き取り、調査票に書き留めるよう依頼したのだとわかった。
そのための調査票の記入の仕方や、聞き取り調査のやり方などをきちんと覚えているのか今ここで確認されている。なかなか自分では調査に行きづらい傭兵という集団について情報を得られるのが楽しみで堪らなく、フーシュマンドは実に気分が高揚しているようだ。
他の人々は、その姿を呆れ顔で眺めている。が、魔術師たちにはその視線に気付いた様子はない。さすがである。取り敢えず、魔導具組合のカルマンとシェルヴィーンが皆に謝罪して回っている。どうやら、二人はそのためにやって来ているらしい。
大勢の人々がファルハルドを見送りに集まった。ただ一人、ファルハルドにとって最も気になる人物の姿が見えない。人々を見回すファルハルドの様子に、誰を探しているのか気が付きセレスティンが説明する。
「ファルハルド様。レイラは傷もほぼ癒えておりますが、まだまだ長い距離を出歩けるほどには恢復しておらず、なによりレイラもまた刑を受ける立場。さすがにこの場に足を運ぶ訳には参らず、ここにはおりません」
残念であるが、仕方ない。傷がほぼ癒えていると聞けただけでもよかったとファルハルドは少し寂しげに笑って見せた。
今話が全三回。それで第一章が終了、第二章開始まで約一ヶ月ほど更新をお休みします。悪しからず。




