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深奥の遺跡へ  - 迷宮幻夢譚 -  作者: 墨屋瑣吉
第一章:挑みし者たち

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77. 道 /その①



 ─ 1 ──────


 バーバクとハーミがファルハルドを訪ねてきた次の日。ハーミが一人、面会に現れた。

 これはファルハルドには意外だった。ハーミとは昨日も顔を合わせている。てっきり次に面会にやって来るのはジャンダルだと思っていた。


「どうした」

「なに、少し話があってのう。ジャンダルの奴も来たがっていたのだがな、今日は儂に譲ってもらったのだ」


「話?」

「うむ。長い話になるかもしれぬ。先に治癒の祈りを施しておくかの」


 ハーミはファルハルドの包帯を外し、治癒の祈りを行う。


 立ち会っている保安隊隊員も特に口出しはしてこない。面会の手続きに問題はなく、神官が治癒の祈りを行うことになんの問題もない。

 むしろ刑の執行を行うためには、可能な限り早くファルハルドには恢復してもらいたい。こうして恢復のための祈りの回数が増えるのは、保安隊にとっても歓迎すべき出来事だ。


 昨日の今日で傷の具合に大きな変化はない。ただ、ハーミが祈りを施しながら、さりげなくファルハルドの様子をうかがっていることがわかる。

 なにを探っているのかはわからない。ハーミは余計なことは言わず、淡々とジャンダルから預かってきた薬を塗り、新しい包帯を巻いていく。


 ハーミは包帯を巻き終わり、椅子に腰掛けた。少し目を伏せ気味に、どう話を切り出すか微かに迷っている様子が見て取れる。



「それで」


 ファルハルドから話を促した。


「ふむ」


 ハーミは一度息を吸い、背筋を伸ばした。


「お主、レイラのことはどう思っておる」

「どう、とは?」


「一人の男としてレイラのことをどう思っておるのか、ということだ」

「…………」


 ハーミは急かすことなく、だが誤魔化すことは許さず、ただ答えを待つ。

 ファルハルドは返す言葉に詰まる。ファルハルドがどう思っているかなど誰もがわかっている。本人だけがわかっていない。


 ファルハルドは幼少期より、ずっと母親以外の他者との関わりを持たず生きてきた。王城を抜け出してからはジャンダルをはじめとする他者との関わりを持つようにもなったが、それも三年足らずの経験。

 その上、その関わりを持った他者というのは、いささかたよっている。とてもではないが、満遍なく経験を積んだとは言いがたい。


 そのため、他者との関わり合いの中で生まれる自分の感情のうち、戦いに関わるもの以外は未だ不慣れなままでいる。



 沈黙のまま長い時間が過ぎ、保安隊隊員が焦れてきた。さすがに声には出さないが、落ち着かなげにちらちらとハーミとファルハルドに目をやっている。


 保安隊隊員の様子に急かされた訳ではないが、ファルハルドが絞り出すように掠れた声を押し出した。


「……わからない」


 保安隊隊員は信じられないと思わずくわっと目を見開き、ファルハルドを見詰める。アッバス小隊長や裁判官への質問から、ファルハルドがレイラという女性をどう思っているかは、碌に面識のない保安隊隊員でも察しているからだ。


 ハーミはファルハルドの答えを静かに受け止めた。


「そうか。わかっておるだろうが、少なくともお主らは今後二年間は会うことはできぬ。伝えるべきことがあるのなら、今のうちでなければ伝えることはできぬやもしれん。二年後では間に合わぬ言葉があるのかもしれぬのだぞ」


「……それは、どういう意味だ」


 ハーミは強い目で見詰め返す。


「今は儂が尋ねておるのだ」


 ファルハルドは目を伏せた。考え込む。己の心の内を深く深く探る。


「…………。大事だと、大切な人だと思っている」 

「そうか」


 ハーミは腕を組み、どかりと背もたれに体重を預けた。予想した言葉とは少し違うが、それでも知りたいことは確認できた。

 次は告げるべきことを告げねばならない。だが、どう告げるべきか。未だにハーミは迷っている。気難しげに、額に深い縦皺たてじわを刻む。


 ファルハルドは不審げにハーミを見詰める。保安隊隊員もハーミを見詰める。

 ハーミは微かに溜息を吐き、話し始めた。




「レイラが斬られ、重傷を負ったことは覚えているんだったな。お主が禿男の仲間やバーバクと争っている間、儂とジャンダルでレイラの治療に当たっておった」


 ファルハルドは少し苦しそうに顔を歪めた。ハーミはいたわるような柔らかい眼差しを向ける。


「気に病むな。意図した訳ではなかろう、仕方のないことだ。

 レイラの傷は深かった。儂らの治療では追いつかぬほどだ。むろん、だからといって諦める気はなかった。全力を尽くし、必死にどうすればよいかと考えた。そして、一つの方法を採った。できれば避けたかった方法を」



 ハーミは一旦話を止め、ファルハルドの様子を窺った。少しファルハルドの顔色は悪いが、落ち着いて耳を傾けていた。そのまま話を続ける。


「たとえあの場にいたのが儂らではなく、医療神の神官たちであったとしてもやはり祈りのみでは治療は追いつかなかっただろう。だから。白華館に置いてあった特殊な薬を使った」


「特殊とは?」

「極めて珍しい薬だ。薬屋や調薬組合ではなく、魔導具組合で作られる」


「つまり?」

「その薬の名称は『魔力増幅薬』」


 保安隊隊員は息を呑んだ。ファルハルドはその変化を視界の端に収めながらも口には出さなかった。ハーミはそのまま話を続ける。


「その効果は。一瓶分を服用することで、丸一日の間、その者の持つ魔力量を約一割ほど増やすことができるというものだ。


 治癒の祈りの働きは知っているな。神の恩寵により人の持つ魔力に働きかけ、回復力を高め回復を促進する。そして、魔力は同時に生命力でもある。


 重傷を負っていたレイラは命が尽きかけ、回復を働きかけようにもそのために必要な魔力そのものが尽きかけていた。

 そのため魔力増幅薬を飲ませ、魔力量を増やすことで対応したのだ。もし、使わねば助けることはできなかったろう」


「それで? なにか問題があるのか?」



 ハーミは答えず、一度深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。そうして、覚悟を決めた顔で話を続ける。


「あらゆる薬には必ず副作用が存在する。魔力増幅薬は価格も高ければ効果も高く、その分副作用も強い」


 ファルハルドは目を細める。話の流れは不吉なものを感じさせる。だが、結末はまだ見えない。


「その副作用とはなんだ?」

「魔力増幅薬はその副作用から、儂ら挑戦者の間では別の名で呼ばれておる。曰く、『死の取引』と」


 どういう意味なのか。ファルハルドにはまだわからない。だが、その不吉な名称に一層顔色を悪くする。


「魔力増幅薬の効果は一瓶分で丸一日の間、その者の持つ魔力量を約一割ほど増やすこと。対して副作用は。その副作用は。服用した者の寿命が十年失われること」




 ファルハルドの視界が揺らいだ。世界から色も音も消え去る。鼓動が乱れ、汗が吹き出し、息が吸えない。


 肩に重みを感じた。気付けばハーミがファルハルドの肩に手をやり、心配そうに顔を覗き込んでいた。保安隊隊員も焦った様子でファルハルドを見ていた。


「済まない。もう、大丈夫だ。話を続けてくれ」


 ハーミは心配そうにファルハルドを見やりながら、口を開く。


「そうか……、では続けるぞ。儂は治癒の祈りの効果を働かせるため、レイラに魔力増幅薬を飲ませた。それも一瓶のみではない。三瓶だ。必要なだけの効果を得るため、飲ませたのは三瓶分なのだ」


「つまり。…………。つまり、レイラの寿命は三十年分失われた」


 信じたくない思いでファルハルドは言葉にした。できれば否定して欲しいと願いながら。だが、現実はままならない。ハーミは否定しようもなく、ファルハルドの言葉を肯定した。


「そうじゃ。レイラが何歳いくつなのか、儂にはまるでわからん。ましてや、寿命が何年あるかなど人の身でわかろう筈もない。

 よって、レイラがあと何年生きられるのかはわからん。儂の勝手な見立てとしては、おそらく短くて五年、長くとも二十年はなかろう。おおよそ十年といったところではないか」


 十年。十年でまた大切な人が失われる。ファルハルドの手足は冷えきり、口の中がからからに乾く。顔色は蒼白となり、瞳は揺れる。


 そのファルハルドにハーミは敢えて問う。


「もう一度尋ねよう。お主は一人の男としてレイラのことをどう思っておる? そして、これからをどうする? 時の流れはお主の都合を待ってはくれぬ。迷っていられる時間はわずかもないのだぞ」




 ─ 2 ──────


 ファルハルドは蒼白な顔のまま言葉も発さず、一点を見詰める。

 ハーミもなにも言わず年長者として、そして人々を導く神官として、今は迷えるファルハルドが結論を出すときを見守る。

 保安隊隊員も邪魔をすることなく、静かに壁際で屹立している。



 部屋に差し込む日の傾きが変わるほどの時が過ぎ、ファルハルドは顔を上げた。そこにはもう迷いはなかった。


「ハーミ。前にあんたが言っていたことは正しい」

「うむ?」


「あんたは言った。『武器を振るうことだけが戦いではない。己を害する様々な理不尽を黙って受け入れるのではなく、よりよく生きるために諦めず抗うこと。それこそ人生における真の戦いだ』と」

「そうじゃの」


 ファルハルドは真っ直ぐにハーミを見詰める。


「俺は聞いた。『パサルナーン迷宮の最下層にあるパサルナーン神殿遺跡で祈れば、どんな願いでも叶う』、と。だよな」

「ああ」


 ハーミは目を細めた。ファルハルドの出した答えが見えた。

 それは苦難の道。英雄たちでなければ歩むこと叶わぬ道。この三百年、誰も実現できていない。その道を選んだ。しかもわずか十年と期間が限られた状態で。気付かれずそっと息を吐く。


「十年以内にパサルナーン迷宮を踏破し、神殿遺跡に辿り着く。そして、願う。レイラの延命を」

「そうか」


 ハーミとしては、いずれ訪れる失われる時までを大切に、どこかでレイラと二人静かに、心穏やかに満ち足りて過ごしてくれることを望んでいた。

 だが、ファルハルドはたとえ一緒に過ごせる機会が少なくなろうとも、問題を解決する唯一の機会に賭ける苦難の道を選んだ。


 であるならば、掛ける言葉はただ一つ。


「ならば共に目指そう。必ず辿り着くぞ、深奥の遺跡に」

「ああ、必ず」


 投袂而起。ファルハルドは己が生きる道を見定め、ハーミは応じた。全てを赤く染める夕日が窓から差し込み、二人の横顔を照らす。保安隊隊員は目尻をそっと拭い、二人の決意を見守った。

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