76. 白華館の主 /その⑤
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私はイルトゥーランを憎んでおります。援助を受けながらも、常に関係を断つ機会を窺っておりました。
残念ながら、この白華館はその成り立ちから常にイルトゥーランの暗殺部隊の手の者が在籍しており、今までその機会はありませんでした。
しかし、先日の襲撃でこの白華館に詰めていた指揮を執る立場の者が倒れ、ついにその機会が訪れたのです。
新たな人員が送られてくるまでの空白期間を利用し、残っていた手の者も一掃いたしました。
ジャンダル様の馴染みの相手でもあるスーリもすでに処分いたしております。もし未練がございますなら、申し訳ございません。
現在ではパサルナーンに拠点を創ることを立案したイルトゥーランの宰相もすでに引退しており、現王であるベルク一世は家臣の意見を軽んじその活動に報いようとはいたしません。
部隊長は新たな人員を送ってくるでしょうが、国からの満足な後ろ盾がない以上その浸透力は脆弱なものとなる筈です。充分な防衛体制を築けば、侵入を防ぐことは可能です。
無論、イルトゥーランの暗殺部隊は、今後もなんらかの形でパサルナーンに入り込むでしょう。
ですが、私は奴らの手口を熟知しております。今後は奴らの好きになどさせません。決して、ナーザニン様の御子を殺させなどいたしません。
この力の、いえ、この命の及ぶ限り、ファルハルド様のお力とならせていただきます。
それこそが、私のイルトゥーランへの、そしてこの世への復讐方法であり、絶望から立ち上がる道なのです。
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セレスティンが語り終える。ジャンダルは反応を見せない。
沈黙だけが支配する部屋で、セレスティンが再び口を開いた。
「この首、お取りになられますか」
ジャンダルは長く、永く口を開かない。どれほどの時が経ったのか。長い沈黙の後、盛大に息を吐き出し身体から力を抜いた。
その場にどかっと座り込み、頭の後ろで手を組み首を解すように揺らし、気の抜けた音を鳴らす。
「まーさかー。おいらたちを殺そうとしないんなら、殺る理由なんてないよねー。それに手助けまでしてくれるってんなら、感謝感謝だよ。うーん、あんがとね」
ジャンダルとセレスティンは顔を見合わせ、へらへらと笑い合う。その目に親しみを、あるいは仲間意識を浮かべながら。
護衛の男衆も匕首から手を放し、力を抜いた。静かに壁際に戻り、控えの体勢へと戻る。
ジャンダルは組んだ手を解き、椀を手に取った。すでに冷めきった茶を飲み干し、姿勢を正した。
「んじゃま、用事も終わったし、お暇しましょうかね。次はお客として来るよ。その時はよろしくね」
だが、笑って席を立とうとしたジャンダルを、セレスティンは手を上げ止める。
「しばしお待ちを。一つ、お伝えしなければならないことがございます」
「ん?」
ジャンダルは浮かしかけた腰を再び下ろした。
「レイラのことです。あるいは、ハーミ様からお聞き及びかもしれませんが……」
ジャンダルはセレスティンが告げる話を聞き、激高する。拳を堅く握り締め、感情のままに強く卓に打ち付けた。
「あの糞禿げ野郎! 無理矢理生き返らせて、千回殺してやる!」
そんなジャンダルをセレスティンは痛ましそうに見やる。
「お気持ちはわかります。私も同じ思いですから。ですが、お平らに。お気持ちを静め、これからについてを皆様で話し合って下さい。いったい、どうするのがよいのかを。どうしたいのかを。
……苦しみ、哀しみ、傷付くのは貴方でも、私でもないのですから。最も苦しむのはあの二人なのです。我々は冷静に二人の力になる方法を考えるべきです」
ジャンダルは卓に爪を立て、荒い息を繰り返しながら懸命に気持ちを静めようとする。
「なんでだ。なんでだよ。この世はどこまで、どこまでおいらたちを虐げれば気が済むんだ」
ジャンダルが抱く、その痛みも苦しみも、セレスティンは知っている。遥かな昔、一人同じ嘆きを天へと叫んだ。
だから今、同じ嘆きを抱く若者へ己にできることを行う。静かな、透徹した眼差しをジャンダルに向け、告げる。
「ジャンダル。同じこの世の破滅を願う者として、この世に深い恨みを抱き、それでも生きる者として告げよう。
己が世界が闇に閉ざされ、怨毒に呑まれようとも諦めること勿れ。立ち止まること勿れ。投げ出すこと勿れ。汝の前にいつか必ず光は現れる。その日は必ずやって来る。この言、疑うこと勿れ」
ジャンダルは顔を上げ、じっとセレスティンの目を見詰める。俯き、小さく零した。
「覚えておく」
ジャンダルは気持ちを静め、呟くように尋ねた。
「レイラと話はできるかい」
セレスティンは首を振る。
「レイラもまた、騒乱の原因になったとして処罰を受ける身です。傷の療養のため、今は執行が猶予されておりますが、治療者である神官のかたやこの館以外の者との面会は許されておりません。
ハーミ様が治療者として訪れ、その同行者としてならなんとかなるかもしれませんが。今日のところはご辛抱下さい」
ジャンダルは頭を振り、愁いを帯びた顔をファルハルドのいる保安隊の詰所の方角に向け、そっと溜息を吐いた。
「兄さん……」
次話、「道」に続く。




