73. 白華館の主 /その②
この物語には、残酷な描写ありのタグがついております。ご注意下さい。
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私は北辺の地で生を享けました。今は存在しない小国で、です。
周囲を険しい山に囲まれ、隣国であるイルトゥーランとの交流もわずかな土地でした。
盆地に存在する町を中心とし、山中に点在する村々を併せた、本当に小さな、国と呼べば聞いた者はこれが国かと鼻で笑うような小さな国でした。
穀物はほとんど育たず、家畜や狩りで得た獲物を常食とする土地です。人が暮らすにはとても厳しい土地です。
だからこそ、そこで暮らす者たちは力を合わせ、貧しくとも仲睦まじく、心穏やかに暮らしておりました。
私の家はその小国に於いて、代々宰相にあたる役目に就いておりました。もっとも、実態を申せば人々の揉め事を収めたりいろいろな手配を行う、世話役に毛が生えた程度のものでしたが。
父上は貧しい祖国に於いて、生まれた多くの子が育つことなく死んでいくことに心を痛めておりました。
状況を改善するためには、なによりも多くの食料を得ることが肝要でした。腹を空かせた子たちが、その母たちが、そして全ての人民たちが充分に腹を満たすこと。叶うならば不足する薬、その他の物産もまた手に入れ、祖国を暮らしやすい場所へ変えたいと渇望したのです。
父上は山中で細々と続けられていた、鉱物資源の採掘に注目しました。
当時行われていたのは、自分たちの暮らしに必要な物を作るためだけの、極々小規模な採掘でした。
ですが、父上は祖国の山々に多くの鉱物資源が眠っていることに気付いたのです。父上の主導により採掘事業は大規模に拡大され、それまでとは比べものにならないほどの多くの鉱物資源が得られるようになりました。
そして、採掘された鉱石、特に良質の鉄鉱石をイルトゥーランに輸出することを始めました。
その交易は祖国にとても大きな利益を齎します。多くの食料を輸入することができるようになり、またそれまで見たこともなかった各種の薬を手に入れることができるようになったのです。
そのお陰で、育たず死んでいた多くの子が生き延びることができるようになりました。
しかし、その交易こそが祖国に破滅を齎したのです。
軍事大国であるイルトゥーランは常に多くの武器を欲し、そのために必要なより多くの鉄を手に入れることを望みました。
交易を初めて十年目のある日。祖国は突然のイルトゥーランの侵攻を受けたのです。
私の祖国は貧しく、人こそ少なくとも、そこに住む男たちは誰よりも勇猛果敢な戦士たちでした。
野獣、怪物たちを狩ることを役目とし、国土と人民を守ることを名誉とする、武勇に優れること並ぶ者なき戦士たち。たとえ敵わずとも、黙ってイルトゥーランの軍門に降ることを良しとする者などいる筈もありません。
されど、父上は違いました。地を埋め尽くすイルトゥーランの軍勢相手に抗戦すれば、我らが祖国は滅ぼされると知っていたのです。
たとえ、降伏しイルトゥーランの属国となったとしても、国の存続と人民の生存こそを願いました。
そして、この危機を招いた責任を取るため、己が一人子である私を人質として差し出し、イルトゥーランに降伏を申し込むことを国王陛下に提案いたしました。
陛下は祖霊を祀る廟で三日三晩悩み抜き、父上の提案を是としました。ただし、差し出す人質が宰相の子だけでは足りないとお考えになられ、たった一人の御子である王子殿下もまた、イルトゥーラン軍へ向かわせることにしたのです。
殿下に名代としてイルトゥーラン軍へ降伏の申し入れを行い、その停戦条件の交渉をすること、さらに私と共にイルトゥーラン軍の人質となる用意があると伝えることを御命じになられました。
それは、あるいは交渉に失敗し、国が滅ぼされることになろうとも、せめて我が子だけは虜囚としてでも生き残ることができるようにと考えられた結果だったのかもしれません。
なれど、その思惑は裏切られました。イルトゥーランの、いえ、デミル四世の兇悪さは父上や陛下の想像を超えていたのです。
交渉のため、わずかな警護兵と共にイルトゥーランの軍営を訪れた私たちは、自らの身分を名乗り、軍を率いる将軍への面会を願いました。
ですが、軍を率いていたのは将軍ではなかったのです。デミル四世、その人が軍を率いていたのです。
まさか、大国であるイルトゥーランの王自らが矮小な我が国を攻めるための軍を率いているとは想像もしていませんでした。
この時点ですでに、私たちはデミル四世の考えを見誤っていたのです。
そして、軍中に於いてデミル四世が行っていたこともまた、考えもしなかったことでした。それは王の所業から外れた行いです。
武装を預けた私たちが連れて行かれた場所は、王の天幕などではありませんでした。イルトゥーラン軍では行軍中も調練を怠りません。私たちはその調練を行う広場に引き立てられて行ったのです。
デミル四世はそこで自ら剣を取り、兵士相手に戦っていました。それはどう見ても調練ではありません。足下には多くの兵士たちが息絶え、転がっているのです。
私たちが見ている前で、生き残っていた五人の兵士が同時に打ちかかっていきました。デミル四世はそれを受けることもなく、ただ一振りで斬り殺す。王者とは思えない、荒々しい剣でした。
だが、強い。見ているだけで震えが来るほどの、人とは思えぬ圧倒的な強さを誇る豪壮の剣でした。
デミル四世は地に伏す自軍の兵士たちを一瞥することもなく、大剣を担いだまま私たちに声を掛けてきました。何者だ、と。
私たちはその場にひれ伏し、殿下は口上を述べました。恭順を誓う故、どうか軍をお引き下さい、と。
デミル四世は嗤いました。口舌の徒に用はない。望みがあるのなら勝ち取れ、と。
そして顎をしゃくり、広場の中央へと歩んで行きました。戸惑う私たちは周囲の兵士たちに押し出され、広場へと突き出されました。
各々に剣が手渡されていきます。殿下は自分たちは降伏条件の交渉に来たのだ、これが仮にも他国の使者に対する振る舞いかと抗議するが取り合われることはありませんでした。
私たちは、所詮は荒々しき北辺の武者たち。結局は提案に乗ってしまいます。
殿下は、ならば、その首を獲ってやる。デミル王の首さえ獲れば、状況を変えることもできると御考えになられました。私たちが勝てば願いを叶えるとの誓約を引き出した後、殿下は皆に剣を手に取るよう御命令されたのです。
私たちに付いて来ていた警護兵は併せて四名。元々人員が少ないこともありますが、人目を避けるため、殿下と私に二名ずつの警護兵しか付けなかったことが仇となりました。
私たちは全員で六名。殿下は戦士たちの長として武勇を誇るかたでしたが、私はその殿下を支える者として主に学問を行い、一通りの鍛錬こそ行っていましたが、剣の腕に関しては凡庸なものに過ぎません。
戦力として数えられるのは先ほど、一振りでデミル四世に斬り殺されたのと同じ人数である五名のみ。
剽悍無比な戦士の、さらには選りすぐりの警護兵と殿下であると言え、充分であるとは言えなかったのです。
警護兵たちにもそれはわかってはいたのでしょう。迷うことなく命を捨てる覚悟を決めました。四人が同時に斬りかかり、一瞬でもデミル四世の剣を止める。そこを殿下が一太刀で決める。愛する祖国のため、警護兵たちは捨て石になる覚悟を決め、実行したのです。
ですが、彼らの覚悟は意味を成しませんでした。圧倒的なデミル四世の武の前に、警護兵は剣を止めることなどできず、襤褸布のように無残に、あっさりと斬り捨てられたのです。
警護兵たちが斬られようとも、殿下は怯みはしませんでした。果敢に斬りかかります。それは、周りで見物をする兵たちが感嘆の声を上げるほどの見事なる太刀捌きでした。
それでもデミル四世に傷一つ負わせることはできません。デミル四世は楽しげに笑いながら、殿下の剣を全て受けてみせるのです。
両者共に人並み外れた剣の使い手でしたが、そこには圧倒的な差がありました。万の剣を繰り出そうとも、ひっくり返すことなど叶わぬ絶望的な差。私では加勢することすらできぬ戦い。どうしようもありませんでした。
三十合を越える剣戟の後、ついに殿下はその首を打ち落とされました。
私はただただ震えることしかできませんでした。口を利くこともできず、剣を振るなどできる筈もありません。
デミル四世はそんな私に冷ややかな視線を送り、剣を向けることはありませんでした。斬る価値もないと考えたのです。
戦うべき時に、戦えなかったこと。それが私の絶望の原点です。
そして、我が身は辱められました。私は捕らえられ、去勢されたのです。
デミル四世は『腰抜け』との言葉と共に、切り取った我が身を父上に送りつけました。伝え聞くところによれば、父上は哀しみのあまりその場で心の臓が張り裂けたと言います。
開戦を避けようとする努力は潰えました。もはや戦争は不可避となったのです。




