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深奥の遺跡へ  - 迷宮幻夢譚 -  作者: 墨屋瑣吉
第一章:挑みし者たち

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72. 白華館の主 /その①



 ─ 1 ──────


 ジャンダルは一人、白華館を訪れた。


 奥に通され、普段お客が通されることのない商談部屋でセレスティンと卓を囲んでいる。下働きの娘がチャイと茶請けを運び、いろいろと部屋を整えていた。


 今はもう用意も済み、主であるセレスティンが呼ぶまで誰も入っては来ない。

 室内には、他にはセレスティンの護衛を兼ねた男衆が隅に一人控えているだけだ。


 ジャンダルがセレスティンへとにっこりと笑いかける。


「いやー、裁判所の人たちから聞いたよ。主さんは兄さんの減刑のためにいろいろ骨を折ってくれたんだって。本当、ありがとう。おまけに罰金まで肩代わりしてくれるって聞いて驚いちゃった」


 セレスティンのにこやかな表情はいつも通り変わらない。が、その声音は少し苦しげだった。


「いえいえ、そのような。ファルハルド様がこのような事態におちいったのは、元はと言えば当館の不手際(ゆえ)

 むしろ、ご迷惑をお掛けし申し訳なく思っております。できる限りのことをさせていただくのは当然のこと。わたくし共への礼など無用でございます」


 セレスティンは深々と頭を下げる。ジャンダルは慌てて手を振った。


「なーに、言ってんの。悪いのはあの禿げじゃない。主さんが謝ることじゃないよ」

「娼館は安全が保証された場所であってこそ、皆様が楽しく遊べるのです。それをあのような……。自分の不甲斐なさに恥じ入るばかりです」


「ありゃりゃ。そんなことないと思うんだけどな」

「そのように言っていただき誠に恐れ入ります。ジャンダル様には当館のレイラを救うためにもご尽力いただき、感謝に堪えません。

 今度、当館をご利用いただく際には、ぜひとも充分な感謝の印をご用意をさせていただきます」


 ジャンダルは大袈裟な身振りで驚いてみせる。両手を広げ、軽く室内を見回した。

 壁際の護衛の男衆は少し目を伏せたまま、静かに動きを見せず控えている。伏し目気味にしながらも、室内で起こる動きは全て把握している。ただ役目上、主たちが話し合うその内容を耳に入れることはない。少なくとも、聞いていないという振りはする。



「んーん、そんなのいいよ。それに感謝の気持ちを表したいってんなら、それよか別に欲しいものがあるんだけどな」

「ご遠慮なく、なんなりとお申しつけ下さいませ」


 セレスティンのにこやかな表情は変わらない。


「お申しつけなんて、ご大層なもんじゃないよ。ただね。ちょっと、なんでかなーって思っちゃうんだよね」


 ジャンダルはにっこりと笑い、一度気を外すように芝居がかった仕草で茶請けをぱくつき、ゆっくりと茶をすする。椀を卓に置き、笑みを深め、真っ直ぐセレスティンの目を見詰める。


「いくらなんでも手厚過ぎるな、ってとこがね。迷惑を掛けたと思ってるから? うんうん、それもあるだろうね。情に厚いから? うんうん、それもあるだろうね。

 でも、それだけじゃ、こんなにいろいろ親切にしてくれる理由には足りないよね」




 セレスティンはにこやかな表情のまま、ぴくりとも動かない。まるで動揺を見せはしない。顔色を変えはせず、肌を汗で湿らせることはなく、呼吸を乱すこともない。

 そう、ジャンダルが奇妙なことを口走ったというのに、不自然過ぎるほどに動きがない。


 だが、室内には動きがあった。並の者なら気付かない微かな変化。壁際に控える護衛はまるで気配を感じさせないまま、いつでも跳びかかれるようわずかに腰を浮かし体勢を変えた。


 ジャンダルは護衛の動きに気付いている。だが、構うことなくそのまま話を続ける。


「娼館の主が意外に政治力がある、ってのは別段不思議でもないんだけど、それをおいらたちのために使うってのは不思議だね。

 確かに上手く利用すれば、万華通りでより一層の影響力を振るえるようになるんだろうけど、あっちこっちに貸しを作ることにもなるもんね。迷惑を掛けたからって、迷惑料にしては過ぎるんじゃなーい。


 罰金まで肩代わり? 確かに、万華通り一の高級娼館の主にとっては端金はしたがねだろうけど。

 でもね、娼館の主としては大盤振る舞いが過ぎるよね。自分とこの女の子たちが文字通り身を売って稼いだお金。その価値は誰よりも知ってるのにね。銅貨一枚、無駄にする訳がないんだよね」


 ジャンダルは真っ直ぐセレスティンを見詰めながら、護衛の動きも視界の端で捉えている。


「迷惑を掛けたから、お詫びで減刑の嘆願をして、罰金の肩代わりまでもするって? うん、うん。確かに、人情のわからない情のこわい者にこれだけの大娼館の主は務まらないよね。

 でもね、情に流されるような甘い奴に娼館の親父ができる筈がないよね。あんたがそんなぬるい人間の筈がない」


 ジャンダルははっきりと歪んだ笑みを表に表す。セレスティンのにこやかな表情には全く変化はない。


「なによりさぁ、気付いてないと思った? おいらに就けてくれてた、あのスーリって娘。あれ、イルトゥーランの暗殺部隊の手の者だよね」


「暗殺部隊? それはいかなるものなのでしょうか。生憎あいにく、私のような卑しい者にはいったいなんのお話なのかわかりかねますが。

 それに、スーリは当館に参りますまで、あちらこちらを転々としてきたそうで、私にもどちらの出なのかまではわかりかねます。


 とはいえ、娼婦は嘘を付くのも仕事の内。女子おなごの嘘は真に受けず、微笑んで頷き聞き流すのも男子おのこの器量。なにを耳にされたか存じませぬが、寝物語はその場限りの夢物語と判じなされませ」


 セレスティンの表情はにこやかなまま変わらない。だが、この返答はわずかにだが返すのが早過ぎた。そう、まるで最初からなんと答えるかを決めていたかのように。



 ジャンダルはその歪んだ笑みをさらに深める。


「はーん、本気で丸め込む気もなしって。実にめきった台詞だねー。はっはーん、笑けるねー」


 ジャンダルは目を細め、顔を憤怒に染める。


「なによりね、あの日、兄さんを背後から刺したあの野郎、この館の男衆だよね。おいらも商売やってたからね、一度見た人の顔は忘れない」


 ジャンダルははっきりと暗い殺気を身にまとう。ジャンダルの殺気に反応し、護衛の男衆はいつでも抜ける体勢で懐の匕首に手を掛ける。セレスティンはゆったりと目を逸らすことなく、平然と言葉を返す。


「なんと、恐ろしい言いがかりを。お仲間が傷付けられた動揺からまなこくらまれ、お見間違いになられたのでございましょう。

 それに、窓からのぞいておりました者の話では、ファルハルド様を刺した者はばらばらに弾け飛び、なんの証拠も残っていないとか。あかしのない言いがかりはご遠慮いただきたく思います」


「娼館の主は諧謔を解するって? 実に糞気分がいい答えだね。でもね、大事なのは、さぁ。証じゃあないんだな。初めてあんたの目を見た時から、おいらにはあんたが心の奥底で望んでいるものが見えてるんだ」

「…………」


 セレスティンは答えない。にこやかな表情は仮面のように変わらない。動揺も見せない。だが、その目に初めて暗さが宿った。



 護衛は呼吸を整え、重心を前側に傾ける。半歩分壁から身を離し、ジャンダルに近づく。この護衛は手練れ。斬り結ぶなら、ジャンダルでは勝てない。


 だが、ジャンダルには斬り結ぶつもりなどさらさらない。近接武器に慣れてきたとはいえ、元々剣を振るのは苦手。ここ一番で頼るのは斬り結ぶことではない。


 ジャンダルは館の中に通される際、当然武装は全て預けている。セレスティンたちはそう思っている。だが、預けたものは全てではない。仲間たちにも秘密にしている鉄杭は今も隠し持っている。

 わずかに姿勢を変え、必要とあらばいつでも投げられるよう腕の位置を変えている。呼吸一つの間に、セレスティンと護衛、両者の命を奪える。




 誰も動かない。無音の部屋で次第に空気が重さを増していく。そして、場の緊張が均衡点を超えようとした時。セレスティンが口を開いた。


「私にも貴方様の心の奥底にある望みがわかります」

「へえー」


 ジャンダルもまたその目に暗さを宿らせる。


 セレスティンの表情が崩れる。誰もが目を背けたくなる悪相を見せた。その声には微かな、だが明確な喜びがある。


「全ての人間を踏みにじりたい」


 ジャンダルの目が狂気の熱を帯び、楽しげに口の端を吊り上げた。


「世界が焼け落ちる様を見てみたい」



 両者は全く笑っていない目で、顔だけはへらへらと笑ってみせる。

 両者が口にした言葉は相手の心の底に隠された望み。同時に、己の奥底に沈め続けてきた想い。


 セレスティンは顔を歪めながらも、たけることなく理性を保つ。

 だが、ジャンダルは。その笑顔の裏で目をらし、抑え、鎮め、隠し、うずめ火としてきた想いを暴かれ、自分自身、考えまいとしてきた狂気を言い当てられ、胸の内で埋め火は業火となって燃え盛る。


 ジャンダルは、己自身の暗い炎に呑まれてゆく。抑えが効かない。セレスティンに口を挟む間を与えず、話すほどに興奮しながら、口の端に泡を溜め一息に言い放つ。


「はははっ、そうだよ、当たり前だろ、どいつもこいつも、おいらを忌み子と蔑み、石を投げ、唾を吐きかけやがって、おいらがなにをした、なにもしなければ、追い立てられる、役立たなければ存在することすら許されない、おいらはまだいい、我慢できる、でも、なんで母ちゃんまで殴る、許せない、許せない、許せない、許せない、許せる筈がない、許してたまるか、忌み子と呼ぶ奴は全て死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、全員死ね、人など全て死に絶えろ」


 ジャンダルをパサルナーン迷宮に向かわせた想い。その胸の内で燃え盛る暗い炎は怨念。それがジャンダルを呑み込んでいく。



「いいか、兄さんには手を出させない。あの人はおいらと同じ苦しみを、いや、おいら以上の苦しみのなかで育ったんだ。

 なのに、世を恨まず、人を憎まず、己を責め続けてる。怒りはあるだろう。恨みもあるだろう。でも、それ以上に、自分をこそ責めている。傷付き、歪みもしながら、でも、真っ直ぐに生きている。

 あの人といるからこそ、おいらは自分の衝動を抑えられる。あの人といる間は、おいらはまともな人間でいられる。兄さんをらせはしない」


 ジャンダルはゆらりと立ち上がる。護衛は一足に跳びかかろうとした。だが、その直前にセレスティンが手を上げ、護衛に動くなと伝える。

 セレスティンはそのままジャンダルと向かい合い、その狂気を受け止める。


「おいらたちを殺そうとするなら、殺してやる。全員殺してやる。地位も、金も、お前らの身を守りはしない。殺してやる。全員殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。一人残らず、殺してやる」


 ジャンダルは荒い息を吐きながら、激しくセレスティンに視線をぶつける。ジャンダルもまた狂乱状態に至ろうとしている。危険な状態になろうとするジャンダルを抑えなければ再び騒乱が起こる。



 心の奥底に抑え続けたものを剥き出しにしたジャンダルを止められるのはただ一つ。ジャンダルの抑え続けてきた憎悪を引き出してしまった者として、同じく世界の破滅を願いながらそれでもこの世界で生きようとする者として、セレスティンが示せることはただ一つ。


 たがが外れかけ、壊れかけているジャンダルに届く言葉、それは。同じ暗い想いをいだく者の、その秘め続けてきた真実。ただ、それのみ。


 セレスティンは視線を切ることなく、ゆっくりと話し始める。


「確かに、私はイルトゥーランの協力者であり、手の者と呼ばれる存在の一人です。同時に、心の底からイルトゥーランを憎悪しております」


 目の前のジャンダルではなく、遠い思い出を見詰め話を続ける。


「そしてまた、ファルハルド様の御母堂様である、ナーザニン様を存じ上げております。あれは、私にとって生涯ただ一度の恋でした」


 ジャンダルはその目を見詰めながら、じっと耳を傾ける。

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