睡魔
カッカッ、とチョークが黒板を走る音。まわりは陽だまりの暖かさ。教壇に立つ先生の話をノートにとる真面目な生徒と、ノートにとりながらでも、なにかしらサボっている生徒、そして明らかに夢の世界へ旅立っている生徒。よくある日常の景色。
その景色の中に、妖精のような、天使のような、悪魔のような者が見えている僕には、もしかしたら霊能力みたいなものがあるのかもしれない。それはどうやら女の子のようで、容姿はピーターパンに登場するティンカーベルに似ていて、小さくてふわふわと浮いている。性格は穏やかでのほほんとしているが、「ある力」を使うとき、目や表情が恐ろしく輝く。
「人を眠らせようとする」ときだ。
それを知ってから僕は確信した。こいつが俗に言う「睡魔」だと。
あるときそれを彼女に伝えると、「悪魔の類なんて失礼ね!」とかなり怒られたが、睡魔という言葉を創ったのは僕ではないので、大昔の偉人に言ってほしいと思っている。
睡魔は彼女の他にも存在するようで、彼女曰く「あたしは太陽担当なの。」だそうだ。要するに、太陽がある間ーーお昼に活動する睡魔で、その口振りから夜に活動する睡魔もいるのだろう。僕はお昼に活動する彼女しか知らないので、他の睡魔の容姿などはわからない。
現在時刻は午後2時。お昼休みを終え、いちばん眠気に襲われる時間だ。彼女の力によって。
僕は規則正しい生活を送っている優良な人間ではないのだが、幸か不幸か彼女が見えるが故か、うとうとするほどの眠気を感じたことはない。
「いいお天気ねぇ。」
教室のいちばん後ろの窓際。ここが僕の席だ。寝るのにもサボるのにも絶好の席。この席の机の上の消しゴムに腰掛けている彼女はにこにこと笑っている。
彼女が「人を眠らせようとする」ときには、誰彼構わずキスしてまわる。男子であろうが女子であろうが、可愛かろうがそうでなかろうが、イケメンであろうがそうでなかろうが。この全体を見渡すのに適した席からは、彼女の行動がすべて見えてしまう。ちなみに、眠らせようとする相手は彼女が選んでいる訳ではなく、なにか条件があって、その相手から引き寄せられているらしい。だから、条件が揃わなければまったく動かないときもある。引き寄せられて、ふわふわと漂う彼女の目はきらきらと輝いていて、誰とも知らずキスをする彼女の表情はうっとりとしていて、なんというかとても、魅力的だった。
一通りの仕事を終えた彼女が今消しゴムの上で休憩中という訳だ。
「ねえ。眠らせてあげようか。」
と、いたずらに笑う彼女。彼女がそんなことを言うのは珍しい。僕は先ほどの彼女の魅力的な表情を思い出してしまい、どき、と一瞬音をたてた心臓に焦りつつも、彼女と目を合わせ頷いてみせた。
「そっかぁ。眠りたいのかぁ。そっかそっかぁ。」
陽だまりの暖かさと同じくらいやわらかく彼女は笑った。
「でも、ごめんね。あなたには触れられないの。」
今まで、これほど言葉が胸に突き刺さることはなかったかもしれなかった。ほかの人間には目を輝かせて、またあんなに魅力的な表情で口付けるのに、僕には一生お預けときた。彼女に僕は触れられない。密かに募らせてしまったこの感情も伝わることはない。
これが、恋を失うということなのか。
ひゅん。ぱしっ。ぽきっ。
「痛…。」
「いつまで寝ている?待ってやるから解答してみろ。」
気がつくと、僕の前の席の友達がこちらを振り返っていて、先生とばっちり目が合った。
「珍しいな。おまえがそんなに眠りこけるなんて。」
友達に問題集のページを見せられる。問題を当てられていたようだが、僕が全然起きないのでチョークが飛んできたようだった。チョークは僕の足元で真っ二つに折れている。
「ま、おまえなら当てられても余裕の問題だけど。」
友達の言う通り、そんなに難しい問題ではない。僕はすぐに解答を口にする。
「正解だ。あまりに起きないと、今度から生活指導にまわすからな。」
この先生はなかなか寛大な人だ。他の教科の先生ならすぐにでも生活指導にまわすだろうに。
ふと机に目をやると、シャーペンに腰掛けている彼女と目が合う。
「どんな夢を見たのかしら。」
まったく、のほほんと笑う彼女には敵わない。
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