第22話 雪虫の庭
フェリーで一人北海道へ着いたヒナタは無事に環の元に住み込ませてもらう事が出来た。環は相変わらずテキパキと事を進め、ヒナタを地元の中学に転校させ、里親にもなってくれた。市の福利厚生で孤児であるヒナタの学費や学用品費は見てもらえる。保護センターは、あいにくバイトも集まらず、しかし保護する犬も2頭だけで、ヒナタも一緒に手伝えばギリギリ生計は何とかなった。環も日中はバイト掛け持ちで走り回っていた。そんなバタバタ生活にヒナタも慣れてきた秋、
「うわー虫がいっぱい飛んでるー、環さんえらいことやー、虫だらけ―!」
「はは、ヒナちゃん知らないかな、雪虫よ」
環がやって来て隣に立った。
「雪虫?」
「そう。もうすぐ冬だよって教えてくれる虫。固まって一杯飛んでるから車のガラスとかライトとか大変になるんだけどね、これが来るとすぐに雪が降るのよ」
「へえ?知らんかった…」
庭のあちこちに雪が舞うように白いカーテンが掛かっている。あれがみんな虫なんや。知らんこと、多いなあ。
テラスの手摺にもたれてヒナタは広い庭を見つめた。
「環さん、よう一人でセンターやろうって思わはったですねえ」
「あー言ってなかったかな。元々は私が飼ってた犬の為なんだ」
「え?一匹のために保護センター?」
「そうじゃなくてさ、私ここを出る前に犬を飼ってたんだよね。その子、私がいなくなってから行方不明になっちゃってね。随分探してもらったんだけど見つからなくて、ほらここの冬は厳しいでしょ、だからもう駄目だって思って、それでそんな子を増やさないようにってね、迷子の子を預かる施設を作りたいって思ったのよ。だから元々は迷子犬保護センター?」
「そうなんや。可愛かったんですね、その子」
「うん。ブルーって名前でね。目が青かったの。だからブルー。珍しいでしょ」
「へえ。あたしも知ってます。瞳が水色やった子。シベリアンハスキー」
「シベリアンハスキー?」
「はい。前にドッグフード寄付したじゃないですか。あれって実はあたしの住んでた団地に来た野良犬にあげるために取ったドッグフードやったんです」
「野良犬?そんなのいたの?」
「はい。それがシベリアンハスキーで白とグレーのかっこいいい犬で、あたしその子がちょっと心配で、でも団地やから飼われへんしって思ってたら近所のお婆ちゃんがエサあったら飼ってあげるって言うてくれて、それで市民運動会に出たんです。たまたま1等賞の賞品がドッグフードやったから」
環の顔が真剣になった。
「そのシベリアンハスキーはどうなったの?」
「あの、ドッグフードあげた次の週に亡くなりました。飼ってくれてたお婆ちゃんも一緒に亡くなって、ペットショップの人は食べ過ぎって言うてはったらしいです」
「食べ過ぎ?」
「はい。お婆ちゃんが倒れる前にドッグフードの袋を破ってくれたみたいで、食べられるだけ食べてしもたみたい。 ずっとあんまり食べてなかったのに急にたくさん食べたからって」
「…」
「でも、あたしのお母さんは、まだその頃は生きてたんですけど、お腹すかせて亡くなるよりお腹一杯で亡くなったからきっと幸せやったよって言うてくれました。その時はあたしもボロボロでヤバかったです。オーロラって名前付けて友だちになってたし」
「オーロラ・・・」
「瞳の色がオーロラに見えたんです。きれいな色やなあって。夜空一面に揺れる水色のカーテンみたいな感じで」
そう言ってヒナタは空を見上げた。環も一緒に空を見上げていたがふいに
「ね、ヒナちゃん。その子の写真とかない?」
「え?写真ですか。あ、一枚だけあります。ドッグフードあげた時にガラケーで撮った写真。コカゲの家でスマホにしてもらった時に移してくれて」
ヒナタはスマホを取出し、写真を見せた。
「いい顔してました。その後でぎゅって抱き締めちゃいました。最初で最後でしたけど」
しばらくじっと写真を見ていた環は黙ってスマホをヒナタに返した。そして急に両手で顔を覆って嗚咽した。
「えっ? 環さん?」
ヒナタは驚いた。環は泣きながら切れ切れに言った。
「ブルー…だよ。その子はブルーだよ。 私の後を追いかけて来てくれてたんだ… どうやって…」
環はそのまましばらくすすり泣いた。ヒナタは混乱した。
ブルー? オーロラはブルー?
しかし、すぐにヒナタは理解した。一筋の光が射し込んだように。そうだったのか。
オーロラはフェリーで行ってしまった環の後を追いかけて、どうにかしてフェリーに乗ってやって来たんだ。でもそこからどこへ行っていいのか判らず、ヒナタの団地に迷い込んだ。オーロラは環が大好きでそれで必死に探してたんだ。あの細く淋しい遠吠えは、環を呼ぶ魂の叫びだった。ヒナタの両目にも涙が一気に溢れてきた。さぞ淋しかっただろう、お腹すいてただろう、不安だったろう、何も気が付かなかったあたし。
ごめんオーロラ、いやブルー。ヒナタもしゃくりあげた。
ヒナタの肩に環の手が掛けられた。
「有難うヒナちゃん。ブルーを助けてくれて。ブルーの最後をちゃんとしてくれて。お母さんの言うとおりだよ。ブルーは、オーロラは天国でヒナちゃんに有難うって言ってる。間違いない」
その言葉はヒナタの中にずっとあったしこりを温かく溶かした。オーロラはきっと幸せだった・・・。
そして環はヒナタをぎゅーっと抱きしめた。ブルーを抱きしめてくれたヒナタを抱きしめる。この子はヒナちゃんだけどブルー。有難う、ごめんね。天国で楽しくね。
「あの、環さん」
「ん?」
「助けてもらったのは、あたしの方です」
「え?」
「オーロラが居らんかったら、あたし、環さんのことも知らんかったし、ここには来られへんかった。そしたらきっと大変なことになってたと思う。オーロラに、ブルーに助けてもらったんはあたしの方なんです」
「・・・」
「だから、あたしはここで恩返しします。環さんにもオーロラにも。オーロラに恥ずかしくないよう、迷子のワンちゃん助けます」
「有難うヒナちゃん。充分だよ・・・。ブルーも私と別れてヒナちゃんに辿り着いて、ヒナちゃんもお父さんとお母さんと突然お別れが来て、それでここに辿り着いて、支え合ったんだよ。ね、だからヒナちゃんの想いは充分届いてるよ」
そうか。コカゲと喧嘩した日、無性にオーロラに傍にいて欲しかった。支えるってそう言う事なんだ。あたしはこれから誰を支えられるだろう。
「さ、中に入ろう。迷子犬探してってメールが1件来てるんだ」
「へえ」
「ハスキーだよ。子犬の」
「わお、絶対探さんとあかんやつです」
「ほら、これが写真」
「うわー、かっわいいー」
二人の声を追いかけるように、冷たい風が吹き抜けた。雪の匂いのする風だった。




