第20話 すれ違い
栂西中学では進路希望票が配られていた。全国模試も行われ、いよいよ進路を決めて受験体制に入ろうとしている。
ヒナタは進路希望票は空白で出した。模試の志望校は母カオリの母校である雪原高校を、冗談で書いてみた。高校には行けないけど、ここに”就職”なんて書けないし。模試の結果は『充分合格圏内』だった。県で50位以内に入っているのだ。公立トップの雪原高校でも余裕で受かる成績だった。
「あほらし」
ヒナタは模試の結果シートを破り捨てた。あたしが受けへんかったら誰か一人がラッキーで合格する訳やから、いい事やん。中卒で採用してくれる会社とか探さなあかん。先生はアテにならんし、市役所の渡辺さんに聞くしかないかな。ヒナタは先日の田上先生とのやり取りを思い出した。田上先生は3年も担任だったのだ。
「掛川、進路希望票、なんやあれ。真っ白やんか」
「はい、書くところないし」
「なんでやねん、雪高やろ」
「行けませんよ高校には」
「あかん言われてんのか、里親の人に」
「そうとは言われてないけど、やっぱり行けません」
「中学卒業したら里親になって貰えへんのか?」
「知りませんけど最初は中学卒業までって市役所の人が言ってました」
「ふうん、先生から頼んでみようか?大きな家やし大丈夫やと思うけどな」
「嫌です。あたし就職したいです。やっぱり一人でやっていかなあかんと思います」
「そう言うてもな。中卒での就職ってなかなかないからなあ」
「剣道部に来てくれてる警察の人から県警にお出でって前に言われました」
「それは高校卒業してからの話やろ。中卒では募集ないと思うよ」
全く埒の開かない話だった。先生がヒナタの事を気に懸けてくれているのは判る。しかし最後は自分だけが頼りであることを痛感したヒナタだった。
松永家でもヒナタの進路については悩んでいたが、一応は進学を勧めてくれた。
「だって、ヒナちゃんの成績で高校行かないって、普通考えられへんでしょ」
莉は言った。しかし内心は複雑だった。一応中学卒業までの里親という事になっているが、市役所の渡辺さんから、もし可能ならあと3年間と松永家に密かに打診があったのだ。ヒナタの成績では進学先は公立トップの雪原高校になってしまう。すると大学進学まで面倒を見ざるを得なくなりそうだ。流石にそこまで里親を続けることに、松永家としては躊躇いがあった。経済的な問題と言うよりコカゲとの比較だ。コカゲも決して成績は悪くない。しかしヒナタが学年ベスト10をキープするのに較べると見劣りした。やはり親として屈曲した思いも出てくる。
ヒナタはコカゲの両親のその思いをも見透かしていた。やはりこの家ではコカゲより優位に立っちゃいけない。コカゲがもっと勉強してヒナタより上を行ってくれると楽なのだが、コカゲののんびりした性格と、音楽方面に進みたい思いが邪魔をしている。だからあたしはここを出て独り立ちするしかない。それに・・・またあんな事があるかも知れないし。ヒナタは腹を括っていた。
期末試験が終った夏休み直前、進路の事でヒナタとコカゲは言い合いになった。ヒナタが就職したいと言うのもコカゲは知っていたし、ヒナタもコカゲが将来音楽方面に進みたいと言うことを知っていた。しかしコカゲはそれを口にしない。両親は普通の大学進学を希望していたからだ。
「言えばいいやん。フルートも上手いんやし、ちゃんと理由あるやん」
ヒナタは言った。ストレートなのは母親譲りだ。
「でもお母さんもお父さんもどっちか言うと反対やし、私も世界で通用するとかのウデやないし」
「そんなんこれから磨くもんちゃうん。よく知らんけど芸大とかはそういう場所でしょ?」
「そうやけど、そんな所でちゃんとやって行けるか自信もないし」
「好きなんやろコカゲ?音楽好きなんやろ?フルート吹いてる時、コカゲめっちゃええ顔してるやん。もっと大きい舞台でやりたいんやろ?今選ばんといつ選ぶの?今やったら好きな道選べるし、今までも一所懸命練習してたやん、勿体ないやん今迄の努力が」
ヒナタはコカゲの煮え切らなさに少々ヒートアップし、その声は1階のリビングにも届いていた。勝重がそうっと様子を見にやってきた。
「そういうヒナかてなんで就職なんよ。そっちの方が勿体ないやん。模試で県で50番以内で就職って考えられへんやん。お母さんも高校行ったら言うてんのになんで意地張るんよ!」
「そうは行かへんやろ。あたしはここで養ってもらってるんやからそんな訳に行かへんの!」
コカゲはヒナタの腕を取った。
「そんなことないわ。誰もそんなふうに思ってへんやん!」
ヒナタは久のことをぶちまけたい衝動にかられたが、ぐっと抑えつけた。コカゲにしては珍しく更に言い募った。
「なんでいじけるんよ。ヒナのお母さんもそんなヒナはヒナらしくないって思ってるよ!」
「何にも知らんと勝手な事言わんといて!」
ヒナタは立ち上がってコカゲの腕を振りほどいた。二刀流で鍛えた腕の力だ。勢いでコカゲは床に投げ出された。
その瞬間、勝重が飛び込んできた。
「ウチのコカゲに何するんや!」
勝重はコカゲを助け起こそうとしたがコカゲは自分で立ち上がる。勝重はその時、ヒナタの目を見てしまった。
その瞳には投げやりな哀しさと、どうしようもない無常感が宿っている。勝重は詰まった。
「すまん、ヒナちゃん。口が滑った」
ヒナタは無表情に言った。
「いえ、いいんです。その通りです。それが普通と思う」
淋しさが全身から匂い立っている。コカゲも何も言えなくなった。
ヒナタはそのまま外へ出た。こんな時にオーロラがいてくれたらどんなに慰められただろうとヒナタは思った。何度かスマホが鳴ったが見なかった。きっとコカゲだ。でもあたしには今、何も言うことがない。通学路の横断歩道を渡ったらバス停にオフジが居るのが見えた。
「オフジ~!」
「お、ヒナタやん。コカゲちゃんは?」
「いつも一緒と違うよ。元々は他人なんやから」
「そーお?他人とは思われへんけどな」
「峯婆ちゃんみたいなこと言わんといて。オフジどこ行くの?」
「帰って来たところよ。塾から」
「えー、遂に塾行くようになったんや」
「夏期講習だけね」
「ふうん」
「ヒナタ、もしかしたらコカゲちゃんと喧嘩したんちゃう?」
「え。なんで?」
ヒナタはちょっと焦った。
「やっぱりな。さっきからスマホのバイブ聞こえてるもん。コカゲちゃんからやろ」
「オフジ鋭いなあ。探偵みたいや」
「ま、ヒナタの顔色見たら大抵わかるけどな。それでどうしたん?」
「ん?まあ、いろいろあってな」
「進路とか?」
「まあそれもある」
「コカゲちゃんのお父さんとかお母さんと上手くいかへんの?」
「うーん。そうでもない。叔父さんはちょっと・・・やけど」
「叔父さん?」
「う、うん」
ヒナタはちょっと口ごもった。オフジはヒナタの微妙なサインを感じ取った。
「ヒナタ、言うてみ。ウチにやったらええやろ」
「んー」
ヒナタは逡巡したが、オフジの声はささくれたヒナタの心にすーっと染み入った。
「あの、コカゲには絶対秘密やで。誰にも言うてへんから」
「何か言われたん?」
「ううん。されてん」
「された?ヤバイ話ちゃうん」
「まあね。ちょっとお出でって裏の方へ連れていかれて、Tシャツの下に手突っ込んできた」
「えーー?痴漢やんそれ!」
「だから言われへんのよ。お父さんの弟やし、誰が見た訳じゃないし」
「まさかヒナタそのままちゃうんやろ?」
「当たり前やん。丁度素振りしてた時やったから竹刀持ってて、それで小手打ちした」
「あー良かった」
「それからはあんまり来ないし、来ても避けてる」
「辛いなあ、里子は」
「うん」
ヒナタはようやくスマホを取り出した。オフジが覗き込む。
「うわ、メッセージ20も来てるやん。みんなコカゲちゃんやろ?」
「オフジ。今の話は絶対言うたらあかんよ。あたしだけで留めるつもりやったけど、オフジ見たらちょっと弱気になってしもた・・・」
オフジはヒナタの背中をさすった。ヒナタの目は涙で濡れていた。その目を擦りながらヒナタはメッセージを打った。
『ごめん。すぐ戻る』