第19話 事件
コカゲの父・勝重には弟がいた。名前は久、未だ独身でフリーターだ。たまに兄の所へ現れて、口実を作っては小遣いを貰っている。勝重は歓迎こそしてはいないが、やむを得ないと思っていた。のらりくらりとやって来た久にはこれと言って見るものがなく、企業に就職しても続かない。アルバイトでも自分一人分なら何とかやっていけている。ま、他人に迷惑かけてる訳じゃなし、しゃあない奴や、と見逃していた。しかし莉は密かに久を避けていた。勝重との結婚前、久は莉をやらしい目で見ることが時々あったのだ。勝重に言う訳にもゆかず『ちょっと嫌な人』という思いは莉の胸の中に畳まれたままだった。
久がやって来たのはヒナタが身を寄せてから3週間ほど経った日曜日だった。久はインターホンも押さずにいきなり入って来た。丁度ヒナタがTシャツと短パンで竹刀を振っていた時だ。
「キミは誰?」
ヒナタの全身を上から下まで見て久は言った。ヒナタは面食らった。
「え?あの、ここにお世話になってる掛川ヒナタです」
「ふうん、兄貴が言うてた里子ってキミのことか。ふうん、上出来やなあ」
そう言うと玄関に入って行った。ヒナタは竹刀を振り続けた。
しばらくしてコカゲが降りて来た。
「コカゲ、さっき入っていった人、誰?」
「ああ、叔父さん。久叔父さん。お父さんの弟やねん。未だにフリーターやけどな、時々来はるねん」
「ふうん」
その翌週も久叔父はやって来た。ヒナタがリビングを通ると目で追われているのを感じる。なんか、変な人やな、せやからフリーターなんかな。ヒナタは少し意識した。
更に翌週も久叔父はやって来た。日曜日は暇なんかな、ヒナタが素振りを切り上げて竹刀を仕舞おうとしていたら、久が声を掛けてきた。
「なあ、ヒナちゃん。ちょっと家の裏見てくれへん?」
家の裏手は特に何もない。隣との境であるブロック塀が高く聳え、日当たりも悪く使わなくなった家財類の置場になっている。
「こっちこっち」
「はい。何かあるんですか?」
「うん、ちょっとここ見てみぃ」
ヒナタは竹刀を左手に持ち替え、言われた場所を少し屈んで見た。空っぽのプランターが重なっているだけで、特に何も見当たらない。
「ヒナちゃんはもう大人やなあ。ちょっと秘密の事教えたるわ」
言いながら久は背後からヒナタのTシャツの下に手を入れて来た。
「いやっ!」
ヒナタは瞬間、身を半回転させ久の手を払うと、左手に持った竹刀で久の手首を痛打した。
「いったあー」
久はその場で蹲る。ヒナタは駈け出し玄関から家に飛び込んだ。はあはあ。何よあれ。
丁度、莉が出て来た。
「あれ?久さんかと思うたらヒナちゃんやった。もう練習終わったん?」
「あ、はい」
「どうかしたん?」
莉が怪訝な顔でヒナタを見る。ヒナタは迷った。騒いだところで信じてもらえるかどうか判らない。お父さんの弟なんや。下手な事言えないし、それほど酷い事された訳やない。
「いえ、ちょっと気合入れ過ぎた・・・はあはあ」
「へえ、日曜やのに剣士には休まる暇ないねえ」
「はいー、流浪ですから・・・」
「大変やねえ志士は」
ヒナタは誤魔化して2階の部屋に上がった。ここの子じゃないから狙って来たのは自明だった。こみ上げてくる。
下碑なケダモノめ。窓からそっと外を伺うと久は門扉から出て行くところだった。くそっ。ヒナタは悔し涙を流しながらその背中を睨みつけた。




