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キミとの約束  作者: 蒼野 棗
序章
3/47

#1-2 壊れた日常


 今更ながらに体が震える。

 その震えを押さえながら、優斗はゆっくりと静かに曲がり角をのぞき込む。

 すると、彼の視界に飛び込んできたのは……。


 身の丈、二メートルは越えていそうな巨体。優斗の胴体ほどの大きさの腕からは鋭く長い爪が伸びている。大きく開いた口からも鋭利な牙が見えていた。

 月光に晒されたその姿は現実味を帯びておらず、悪い夢でも見ているのかと思う。


 明らかに人間ではないと分かる化け物。

 その姿に恐怖を覚えると同時に優斗自身も何故自分がそう感じたのか分からないほど、微かに感じた感情。


(ただ、目の前の化け物の姿を懐かしいと思った。……悲しいと感じた)


 化け物はその巨体からは想像がつかないほど、俊敏な動作で動き回り、誰かと戦っているようだった。

 優斗はその誰かの正体を確かめようと視線を凝らして……そして、彼が目にしたのは星野大河の姿だった。

 一瞬、自分が何を見ているのかを理解できなかった。


 月明かりに照らされた夜の住宅街で、二本の剣を構えた親友と化け物が戦っている光景など誰が予想できたであろうか。

 化け物の巨大な腕が大河の体を引き裂こうと大きく振りかぶる。

 大河は、それを二本の剣で防御する。

 その剣の周囲が微かに輝いて見えたのは優斗の見間違いだろうか。


 大河よりも一回りも大きい巨体のくせに化け物の動きは素早い。次々と鋭い爪で大河を引き裂こうと攻撃を繰り出してくる。だが、大河もその攻撃を双剣で受け止めながら、攻撃に転じようとしていた。

 それでも、化け物の動きについていけず、大河の体にいくつもの傷がついていく。


 その様子を目撃して、優斗は唐突に閃いた。

 毎日のように新たな怪我をしていた大河。その怪我の本当の理由はもしかしたら……。

 そこまで考えたところで、優斗の思考は途切れさせられる。

 化け物の攻撃に耐えきれず、大河が吹き飛ばされたのだ。


「大河!」


 気付けば、駆け寄っていた。危険だなんてことを考えている暇もなかった。


「優斗!? なんでここに!?」


 優斗の顔を見るなり、目を見開く大河。けれど、それも一瞬のことで、すぐさま見たこともないほど厳しい目つきになる。


「ここは危ない! 早く逃げろ!」

「け、けど……」

「いいから家に帰れ! それから今日見たことを全て忘れるんだ! お前は何も見てない。何も知らない。そうして普段通りの日常に戻るんだ!」


 今まで一度も聞いたことのない真剣で厳しい声。その気迫に優斗は気圧された。

 無意識に後ずさろうしていた優斗だったが、それよりも早く大河に突き飛ばされて地面に転がる。


 顔をあげれば、大河が双剣で化け物の爪を防いでいたところだった。

 大河が庇ってくれなければ、優斗の体はあの鋭い爪によって引き裂かれていただろう。

 いま自分が死にかけていたのだという事実に気付き、血の気が引く。


「早く行け!」


 地面に倒れ込んだままの優斗に大河の厳しい声が放たれる。けれど、優斗がその言葉に従うことはできなかった。

 恐怖で体が動かなかったのだ。逃げることも、大河に加勢することもできず、ただみっともなく地べたにつくばることしかできなかったのだ。

 優斗は見ていることしかできない。

 徐々に化け物の手によって傷だらけになっていく大河の姿を見ていることしかできない。


「っ!」


 不意に化け物の爪が大河の双剣を弾き飛ばした。

 丸腰になってしまった大河には化け物の攻撃を防ぐ手段がない。それを知っているかのように化け物は容赦なく腕を振り上げる。


「大河!」


 自然と飛び出していた。

 いままで体が動かなかったのが嘘のようにすんなりと体が動いていた。

 突然飛び込んできた優斗を見るなり、目を見張る大河。そんな彼を見ながら、優斗は死を覚悟した。

 しかし──。


 優斗の体に襲った衝撃は鋭い爪によるものではなく、突き飛ばされる痛みだった。

 先程と同じように地面に転がる優斗。けれど、先程と違うのは彼の体に何かが降り注いだということだ。


「……え?」


 ゆっくりと顔をあげれば、優斗を庇うように立っている親友の姿。

 彼は優斗が無事なことを確認すると安心したように笑う。だが、優斗は笑う気など全く起きなかった。むしろ、目の前の光景が信じられなくて目を見張る。


「……たい、が……」


 化け物に背を向けて立っている大河の腹部を貫く腕から目が離せない。

 月明かりに照らされた鋭い爪から滴る赤いものから目が離せない。

 化け物は緩慢な動作で、自らの腕に突き刺さったものを邪魔だとばかりに放り投げる。


「大河!」


 放り投げられた大河の体は地面へと落下する。その体の下から赤いものが流れだし、アスファルトを汚していく。

 優斗は化け物など目もくれず、大河に駆け寄った。


「大河! しっかりしろ!」

「……は、はは、悪い。しくっちまったな」

「ま、待ってろ。いま救急車を」


 ポケットに入っているはずの端末を取り出そうとして、目的のものがないことに気付く。

 鈴木から着信があった時に部屋に落としたままだったのだ。


「……俺のことはいい、から……逃げろ」

「何言ってんだよ! そんなこと出来るわけないだろ!」


 親友を置いて逃げれるわけなどない。だからこそ、優斗は叫んだ。

 そんな優斗の手を力強く大河が握りしめる。


「頼む。言うことを聞いて……お願いだ、優斗」


 徐々に小さくなっていく声に大河はもう助からないのだと嫌でもわかってしまう。でも、そんなこと認めたくなくて、優斗は何度も首を横に振る。


「今日の事なんて忘れて……お前は『鬼』なんか……無関係に生きて……それが俺……願い、だから」


 声が小さすぎて、ところどころ何を言っているか聞き取れない。それでも優斗は首を振り続ける。

 そんな優斗の反応が分かっていたのか大河は仕方ないなとばかりに笑う。それから、どこか遠くを見つめ、小さく言葉を紡ぐ。


「……悪い……約束、守れなかった」

「……大河? 大河!」


 大河が放った謝罪は誰に向けられたものだったのだろうか。

 優斗に対してのものなのか、それとも虚空の先に見据えた誰かだったのか優斗には分からなかった。


 何も分からなかった。

 なぜ大河がこんな目にあうのか。

 なぜあの化け物と大河が戦っていたのか。

 なぜ大河が自分を庇ったのか。

 そもそも、あの化け物は何なのか。

 優斗は何も分からなかった。知らなかった。

 ただ、唯一彼が理解していたことは大河がもう目を開ける事などないという純然たる事実。


 優斗は何も出来ない。

 助けを呼ぶことも、背後から迫りくる化け物から逃げることも、応戦することも出来ない。

 ただ涙を流しながら、動かない大河を見ていることしか出来ない。

 動こうとしない優斗に化け物はゆっくりと近付き、彼の背後で動きを止めた。そして、大河の体を貫いた巨大な腕を大きく振り上げる。

 それでも優斗は動かない。

 そんな彼の背中を鋭い爪が引き裂く……かと思われた。だが、化け物の爪が優斗に届くより先に轟音が響く。

 まるで雷が落ちたかのような轟音に茫然自失状態だった優斗も我に返る。


 何事かと振り返ると同時に彼の視界に飛び込んできたのは、白く細い糸のようなものでがんじがらめにされた化け物の姿。しかも、その化け物の体が大きく焼けただれ、損傷していたのだ。

 何が起こったのかなんて優斗には分からない。

 状況についていけずに目を瞬かせて化け物を見ている。そんな彼の目の前でさらに信じられない光景が広がった。


 糸から逃れようともがく化け物に数本の苦無が飛んできたかと思えば、苦無の周囲に突風が渦巻き、化け物の体を引き裂く。そして、よろめいた化け物の背後にいつの間にか立っていた一人の男性。

 彼が化け物を殴ると化け物は人形のように簡単に吹き飛び、宙を舞う。


 それは先程の化け物が大河にやったことと同じだった。違うのは地面に落下した直後、化け物が勢いよく燃え上がる炎に包まれたこと。

 赤い炎の中で化け物はしばらくもがいていたが、やがて力尽きたように動かなくなる。それと同時に炎も勢いよく燃え上がっていたのが嘘のように沈静した。


「退治完了、ですね」


 静まり返った路地裏に響いたのは冷淡な声。

 その声に優斗が振り返れば、そこにはいつの間にか三人の男女が立っていた。

 年はまだ若い、おそらく高校生ぐらいだろうか。

 白を基調とした水色のラインが引かれた詰襟を着た二人の少年と同じく白いセーラー服タイプのワンピースを着た少女。その右腕には白い線が二本引かれた水色の腕章がつけられている。

 どこかの学校の制服だと思われる白い制服を着た三人は、優斗と彼の傍に倒れている大河を見るなり、困惑顔を浮かべる。


「……どうするのかしら、これ?」

「さあな。シュウ、どうすんだ?」


 三人の中のリーダーだと思われる黒髪の少年は二人の視線を向けられて、小さく溜息をつく。それから、優斗と大河を交互に見て、もう一度溜息。


「……巫女様に報告するしかないでしょうね。一般人に学園が把握してない退鬼師たいきし。面倒ですが仕方ありません。弥生やよい、回収を」

「チッ。だりぃな」

「なっ!? 大河をどうする気ですか!?」


 屈強な体の強面の少年が近付いてきて、軽々と大河の体を持ち上げる。それを見て、優斗は慌てて口を開いた。

 そんな優斗を男は面倒そうに睨みつけてくる。

 その気迫に怯みそうになるが、優斗も負けじと男を睨み返す。すると、赤髪の少年は僅かに楽しそうに口角をあげた。しかし、優斗の問いに答えたのは桃色の髪の美少女だった。

 彼女は優斗のすぐ近くに顔を寄せて、妖艶に笑う。


「あは、安心しなよ。君に危害を加える気なんてないからさ。ただ、ちょーっとこの子は問題があるから、然るべきところに連れてくだけ」

文月ふみづき、喋りすぎです」

「はぁい、ごめんなさーい」


 黒髪の少年に注意されて、文月と呼ばれた少女は悪びれた様子なく謝罪の言葉を口にすると、悪戯っ子のように笑って優斗から離れる。


「貴方は何も知る必要ありません。今日の事は全て忘れて、平和に過ごしなさい。それが貴方の為ですよ」

「そんなこと出来るかよ! あの化け物は何なんだよ! お前達は何なんだよ!? 何を知ってるんだよ!?」


 気付けば、叫んでいた。

 何も分からないこの状況下で必死に状況を理解しようとするが、理解できないことが多すぎて、結局は感情任せに激昂するしかなかったのだ。

 そんな優斗の反応に黒髪の少年は僅かに目を見張り、それから小さく笑う。


「貴方の疑問はもっともでしょうね。ですが、貴方が知る必要はありません。いまの貴方は平和に過ごしているんでしょう? わざわざこちら側に足を踏み入れる必要はありませんよ」


 まるで幼子に言い聞かせるような優しい声。けれど、そんな言葉で大人しくなれるほど優斗は物分かりが良くなかった。


「俺の親友が……友達が訳の分からないモノに殺されたんだぞ! 俺にだってアレが何なのか知る権利があるはずだ!」

「チッ、面倒だ。寝かすか?」

「そろそろ結界も切れそうだしね。他の一般人に見られたら騒がれちゃうわよ」

「あまり手荒な真似はしたくありませんが……仕方ありませんか。簡単に納得してもらえそうにありませんからね」


 その言葉が合図だった。

大河を抱えたままの少年の拳が優斗の腹部に叩き込まれる。


 ただそれだけ。

 たったそれだけで優斗はあっさりと気を失い、力を失った体は地面に倒れそうになる。だが、優斗が倒れるより先に桃色の髪の少女が受け止め、近くの壁にもたれかけさせた。


「では、行きましょう。問題は山積みです。まずはこの少年……どうしたものですかね」

「この子……トラでしょ? いつも後ろをウロチョロしてた」

「考えるのは後にしようぜ。本格的にやばそうだしな。……文月、早く学園まで送れ」

「まあ、か弱い乙女を足に使うなんて最低ね。それでも男なのかしら。お望みなら学園ではなく地獄へ送ってあげるわよ? 片道でね」

「おもしれぇ。返り討ちにしてやるぜ」

「二人とも。遊んでないで帰りますよ。やるべき事はたくさんあるのですから」

「チッ」

「はぁい」


 黒髪の青年の言葉を最後に路地裏に一陣の風が吹き、風が止む頃には既に三人の姿はなくなっていた。

 ただ一人、路地裏に寝かされていた優斗だけを残して……。


◇◆


 優斗が目を覚ました時、彼は病院にいた。

 泣きながら抱きついてくる母に優斗が真っ先に尋ねたのは大河の事だ。だが、母親は首を傾げるだけ。

 母親が話してくれたのは鈴木の遺体が見つかったという事実だった。

 鈴木と一緒にいた筈の田中の遺体は見つかっていない。けれど、現場に残されていた血の多さから恐らく生きてはいないだろうとの事。

 田中はあの化け物に遺体ごと喰われてしまったのかもしれない。そして、田中と同じく大河の遺体も見つかっていない。

 当然だろう。あの謎の三人組が『回収』と言って、大河の遺体を連れて行ってしまったのだから。


 優斗は母親や警察に全てを話した。彼が見たこと聞いたこと、全てを。けれど、そんな話は一笑に付されるだけで、むしろ通り魔事件に巻き込まれた事によって精神を病んでしまったと言われるだけだった。


 結局、優斗は何も分からなかった。

 あの化け物が何なのかも。

 あの三人組の男女が何者なのかも。

 そして、大河がどこに連れて行かれてしまったのかも。

 何も分からないまま、通り魔事件は犯人不明のまま終息を迎えるのだった──。


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