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キミとの約束  作者: 蒼野 棗
幕間
29/47

幕間 瀧石嶺千里


 田中秋彦(あきひこ)は至って平凡な少年だった。

 ごく普通の家庭で育ち、ごく普通の学校に通い、ごく普通の友達と日々を過ごす。そんなありふれた日常を送る平凡な中学生だった。

 他人よりは勉強が得意というだけの平凡な少年だった田中の日常は、ある日唐突に終わりを告げたのだ。

 彼の住む時雨町で起こった通り魔事件。いくら近所でその事件が起こったといえど、所詮他人事。

 まさか自分の身にその災厄が降りかかるとは予想だにしていなかったのだ。


「うぁー、今日の塾も疲れたー!」

「そうだな。まあ、受験も控えてるから仕方ないだろ。お前、合格ラインぎりぎりだし、もっと頑張れよ」


 その日もいつもと同じように塾の帰り道を友人の鈴木と共に歩いていた。

 疲れただの、頭が破裂するだの、次々に不満を口にする鈴木に田中はいつもの事だと笑って流す。

 人通りの多い商店街を抜けて、閑散とした住宅街に足を踏み入れる。ここまで来れば、彼等の家もすぐ其処だ。

 今日もいつも通りに一日が終わる。少なくとも田中はそう信じていたし、明日からも普段通りの一日が来ると思っていた。

 誰にでも明日が来るなんて保証はどこにもないというのに──。


 最初にソレに気付いたのは田中だった。

 彼は視界の隅に入った満月を見上げようとして、その存在に気付く。

 幾つもの住宅が建ち並ぶ路地。満月に照らされる月明かりの下で一軒の家の屋根の上にソレはいた。

 思わず足を止めて、ソレを凝視してしまう。

 突然足を止めた田中に鈴木は不思議そうに振り返る。そして、田中が一点を凝視している事に気付き、その視線の先に目をやって……鈴木も硬直した。


「……なん、だよ……あれ……」


 茫然と呟く鈴木。その答えを田中は持っていなかった。

 二人して明らかに人ではない……そもそも彼等が知り得るどんな生命体でもない存在から目を離せない。

 それがいけなかったのか。屋根の上にいたソイツは田中達を見つけるなり咆哮を上げて跳躍した。

 どすん、と質量のあるものが地面に着地すると同時に僅かに地面が揺れる。


 月明りに照らされるソレは、彼等の知る生命体ではなかった。

 優に二メートルは越える巨体。全身を覆う漆黒の体毛は熊を彷彿とさせるが、あれは明らかに熊ではない。鍛えられた成人男性の腕二本分でも足りないくらい太い手足。その手から伸びる鋭い爪。大きく開かれた口元からのぞく強靭な牙。

 爛々と輝く赤い双眸は決して田中達から外される事はない。


 あんなものは知らない。

 あんなものは見た事がない。

 あんなものが存在している筈がない。

 あんなものが存在していい筈がない。

 自然と後退る。

 此処にいてはいけない。早く逃げなくてはいけない。そう思っても恐怖に支配された二人の足はがくがくと震え、まともに動きそうになかった。


「……ば、ばけもの……」


 鈴木が恐怖に顔を引き攣らせ、そう呟く。

 その呟きを耳にした田中は思い出す。例の連続通り魔の正体は化け物……鬼だと言われている事を。


「……鬼」


 ぽつりと呟いた言葉は恐怖に支配された鈴木の耳には届かなかったようだ。彼は一歩、また一歩と震える足で後退している。

 田中は鬼を見つめる。

 ずきり、と頭が痛んだ。

 何かを忘れている気がして。何かが思い出せそうな気がして、田中は頭を抑えた。

 その行動がいけなかったのか、鬼が跳躍したのだと気付くのが遅れる。気付けば鬼は目の前にいて、巨大な口が大きく開けられていた。


「っ!」


 考えるよりも先に体が動いていた。だが、平凡な少年である田中は鬼の速さについていくことなどできるはずもなく……その身を鬼によって引き裂かれた。

 鋭い爪によって腹を抉られた事により、田中は力を失って地面に倒れる。どくどくと大量に流れる血が道路を赤く染めた。


「ひ、ひいっ!」


 不明瞭な視界で見えたのは恐怖に引き攣った鈴木の顔。彼は地面に倒れた田中を青ざめた顔で見つめ、恐怖で腰を抜かしていた。

 助けを乞いたくても声が出ない。体も動かない。

 ぼやけて不明瞭な視界も徐々に狭まっていく。


(……俺、死ぬのかな)


 ぼんやりとそんな事を考える。恐怖も痛みもなかった。ただひどく寒くて、熱かった。

 鬼はもう田中に興味などないのか背を向けて、腰を抜かしている鈴木を見ている。

 田中を襲った化け物が自分を見ている。そんな恐怖が鈴木を襲う。その恐怖に耐えきれなくなって、悲鳴をあげながら鈴木は逃げ出した。

 逃げ出した鈴木を追うように鬼も姿を消す。


 ただ一人道路に倒れた田中を残して、周囲は静寂さを取り戻した。

 ぼんやりと田中は夜空を見上げる。不明瞭な視界なのにやけに満月だけはハッキリと見えた。

 寒いのに熱い。まるで自分の中にある何かがこの状況に反応しているようだ。


(……ああ、もう眠い、な……)


 痛みはない。

 恐怖もない。

 ただ眠かった。どうしようもなく眠くて、目を開けていられない。ゆっくりと瞼を閉じて――――。


 瞬間、彼の脳裏に過ったのは記憶。

 その記憶が、その感情が、その欲望が、再び彼を突き動かした。

 震えて力すら入らない手をむりやり動かして腹部を押さえる。そこに意識を込めて、癒しの力が込められた水の波動を流す。

 徐々に治っていく傷口。数分後、鬼によって抉られた傷口が完全に塞がると彼は上体を起こす。

 そして、自らの体と両手を見つめる。


「……は、はは……そうか。私は生まれ変わっていたのか」


 思い浮かぶのは昔の記憶。

 ここではない、この時代ではない遥か昔の記憶。

 ()()()()()としての記憶だった。



 この日、田中明彦は確かに死んだのだ。

 彼はもう田中明彦ではない。平凡な少年などではない。

 彼は瀧石嶺千里。

 七百年前、世界を救った英雄であった――。

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