#9-1 転生組
優斗達が暮らす第二寮の隣に並び立つ第一寮。
名称こそ第一寮と平凡な名前だが、生徒達の間では別の呼び名をされている。通称、天才の城。
その名を聞いた時、優斗は思わず笑ってしまったが、呼び名を教えてくれた聡曰く笑い事ではないそうだ。
瀧石嶺学園全生徒から選ばれた七人の優秀な生徒――七隊を筆頭に七隊の候補生と呼ばれる生徒達が所属している寮がこの第一寮。
それはもう属性はかろうじて発動できるが、武器も出せなければ、戦闘能力も知識も最低クラスの優斗と比べたら天と地ほどの実力差がある生徒達ばかりだろう。
至って平凡な見た目の第二寮とは比べものにならないほど大きく、西洋の城のような見た目をしている事から、天才のみが入る事を許される城。天才の城というわけだ。
第二寮と並び立っているといっても第一寮は恐ろしいほど巨大で、優斗自身正面から全容を見たことがなかった。
寮の周囲は高い壁で覆われており、警備も厳重で寮の入り口には数人の警備員が立っている。
勿論優斗は第一寮に入った事などない。当然だろう。第一寮に所属している友達がいるわけでもないのだ。
それなのに何故縁もゆかりもないこの寮の正門に立っているかというと答えは簡単だ。
三日前、麗香に耳打ちされた内容通りに行動したから。
麗香が簡潔に告げた501号室という言葉。てっきり優斗が暮らしている第二寮の501号室かと思えば、第二寮にその部屋番号はなかったのだ。
そこで聡に内容を誤魔化しながら話を聞いてみると、第一寮じゃないかという結論にたどり着いたのだった。
そして、約束の日。優斗は緊張した面持ちで第一寮を訪れたのだが、当然の如く門前払いされ、途方に暮れていた。
時刻はもうすぐ指定された二十二時になろうとしている。だが、寮に入れないのならば会いに行くことすらできない。
このまま正門の前をウロウロしていたところで中に入れるわけでもなく、むしろ警備員に捕まってしまいそうだ。
そう判断した優斗は、どこかに抜け道がないかと寮の周囲を回ってみることにした。しかし、寮の周りに抜け道になりそうな場所などない。
許可がないと同じ生徒ですら立ち入る事が出来ない。周囲を高い壁で覆われ、抜け出すことも出来ない。正門には常に二人体勢の警備員。
その堅牢さは、まるで牢獄のようにも思えた。
「ニャー」
抜け道を探していた優斗の耳に不意に届いたのは猫の鳴き声。
視線を移せば、そこには一匹の茶トラ模様の猫がいる。
「ムツキ?」
名前を呼べば、猫は肯定するようにもう一度鳴いた。
ムツキは花音が入学式の日に助けて以来、面倒見ている猫だ。面倒を見ていると言っても基本的に放し飼いで、気まぐれに花音の周りをうろついていたり、餌を食べに来るだけ。
気付いたら傍にいたりいなかったり、そんな猫らしい猫だ。だからこそ、優斗はいつものようにムツキが散歩しているだけかと考えた。
足下にすり寄ってくるムツキをしゃがみこんで、優しく撫でれば嬉しそうに喉を鳴らす。
「そうだ、お前この辺りよく散歩してるだろ? 抜け道とか知らないか?」
「ニャー」
優斗自身、冗談のつもりだったのだろう。
すぐにその言葉を撤回しようとしたが、それより早くムツキが一度鳴いて、ついて来いとばかりに背を向けて駆けだした。
「あ、おい!」
突然走り出したムツキを不思議に思いながらも優斗は、その後をついて行く。そして、優斗の膝ほどまで生えた草むらの中にムツキは突っ込んで行ってしまう。
「あ、ムツキ!? お前、そんな所入ったら汚れるだろ。そしたらまた花音に怒られるぞ」
優斗の脳裏に浮かぶのは、泥だらけになったムツキが花音の制服に乗り、白い制服を汚してしまい、無言で風呂場に強制連行されていったムツキの姿。
またあんな光景を見るのは双方にとっても忍びないと判断した優斗はムツキを追いかけて、草むらの中に足を踏み入れる。しかし、草は見事にムツキの姿を覆い隠しており、探すのは困難だ。
日が出ている昼間ならいざしれず、今は夜。このままじゃ探せないと悟った優斗は目の前を照らせるだけの弱い光を放ちながら、草をかき分けた。
そして、ムツキを探し始めて数分。
荒れ果てた草の中に隠された小さな違和感を見つけた。
「え?」
思わず周囲を見渡せば、ソレは第一寮を囲っている壁の一部だ。しかし、優斗が違和感を抱いた理由は灰色の壁が僅かに窪んでいたからだ。
一度息を呑んで、優斗はそっと壁に手を伸ばす。
押しただけで簡単に開いたソレは、どうやら壁に擬態された扉のようだ。
ほふく前進をしなければ、通れないほどの大きさの扉を抜けた先で、ムツキが毛繕いをしている。
服が汚れる事を覚悟して扉を通り抜け、優斗は第一寮の中に足を踏み入れる事に成功した。
見事に侵入出来た事がよほど嬉しかったのか、感極まった様子で優斗はムツキを抱き上げる。
「お前、凄いな! ありがとう、お前のお陰だ」
「ニャー!」
優斗の言葉にムツキが声を返す。その様子は、どこか得意げだ。
満足そうなムツキは、軽い足取りで優斗の肩に乗る。まるで一緒に行くとでも言いたげだ。
「お前も一緒に行くか?」
「ニャー」
その鳴き声を肯定の返事だと受け取って、優斗は頷いて歩き出す。
敷地内には入れたが、建物内に入れるかはまた別問題なのだ。
周囲を見渡しながら、入れそうな場所がないか探索する。正面玄関に向かおうかとも考えたが、望みは薄そうだと判断したのだ。
なるべく人に見つからないように木や壁に隠れながら、周囲を窺う。
光をつけたままだと目立つ為、既に消していた。だからこそ、優斗は気付くのが遅れた。
建物に寄りかかっている一人の人物がいる事に――。
月明かりが彼女の顔を照らしてくれる。
その顔は見覚えのあるものだ。
彼女は人目を忍ぶように周囲をきょろきょろと見渡すと、懐から何かを取り出す。
優斗からは暗くてよく見えないが、それは何かが入った瓶のようにも見える。
彼女はその瓶からじゃらじゃらと音を立てながら、幾つもの中身を手に取るとそのまま口にする。どうやら、何かの薬のようだ。
怪しいものでも飲んでいるのかと目を凝らそうとしたのが失敗だったのだろう。
がさり、と優斗の足下の草が音を立てた。
「誰っ!?」
しまったと思った時には、もう遅い。
彼女の視線は既に優斗を捉えていた。
警戒に満ちた薄桃色の瞳が優斗を見た瞬間、大きく見開かれる。
「君……」
「こんばんは、文月さん」
隠れていても無駄だと思った優斗は大人しく出ていき、そう声をかけた。
優斗の声に目を見開いていた麗香は、すぐに笑みを浮かべる。見る者を惑わす蠱惑的な笑みを。
「あは、今から迎えに行こうと思ってたんだけど……よく入れたね」
「まあ、ムツキのお陰で」
「……ムツキ?」
優斗の言葉に麗香は目を細めて聞き返す。
それに優斗は頷いて、肩に乗っていたムツキの頭を軽く撫でた。
「草むらの中にあった隠し扉を教えてくれたんです」
「へぇ、あれを……。そう、賢い子なのね。君の飼い猫?」
「いえ、友達が面倒見てて。それより、約束通り来ましたよ。大河の事を教えてください」
まっすぐ……一切の怯えも不安もなく、どんな言葉も真正面から受け止める覚悟が込められたまっすぐな視線だった。
得体のしれない化け物に友人を殺された時に見せた怯えや恐怖は、もうない。
再び友人を失いかけた時に見せた絶望や脆弱さは、もうない。
以前の優斗にはなかった強さがそこにはあった。
麗香は目を見開き、それから嬉しそうに笑う。
「その話は部屋についてからね。ここじゃ、誰に聞かれるか分からないもの。案内するわ、ついてきて」
「あ、ちょっと!」
背を向けて歩き出してしまった麗香に優斗は声を掛けるが、麗香は振り返ることなく先を行く。
置いて行かれては困ると優斗も慌てて追いかけて、横に並ぶ。隣を歩く麗香の顔はどこか楽しそうだ。
その表情から察するに部屋につくまでは、大河の話はしてくれないだろう。そう判断した優斗は小さく溜め息をついた。
「……そういえば、先輩。体調でも悪いんですか?」
「ん? 急にどうしたの?」
優斗の問いに麗香は質問の意図が分からないとでも言いたげに首を傾げた。
優斗は先程見た大量の薬を飲む麗香の姿を思い出しながら、口を開く。
「さっき、薬みたいなの飲んでたので」
何気なく放たれた一言。
その言葉を耳にした瞬間、麗香の表情が一瞬だけ強張った。その表情に優斗が疑問を覚えるより早く、麗香が笑う。
「ああ、それはサプリね。ビタミンとか食事だけで取りきれない分をサプリで補ってるの」
「そうなんですか」
麗香の表情が強張ったのは一瞬だけ。だから優斗は自分の見間違いかと思い、麗香の言葉をたいして疑うことなく受け入れた。
それから特に会話なく歩き続けて、たどり着いたのは一つの部屋。
ドアプレートには『501』の文字。
どうやら麗香に指定されていた部屋についたようだった。
「シュウ、入るわよ」
ノックと同時に遠慮なく扉を開ける麗香。
その行動に優斗が目を丸くさせていると部屋の中から聞き覚えのある声が響く。
「文月、ノックと同時に入るなと何度言ったら分かるんですか?」
「はいはい、分かったわよ。それよりも今日はお客さんを連れてきたわよ」
靴を脱いで部屋の中に入っていく麗香に続いて、優斗も部屋の中に足を踏み入れる。
流石天才達の集まる第一寮と言ったところだろうか。
優斗の暮らす第二寮の部屋よりも数倍広いその部屋は、どこかのホテルのようにも思える。部屋の角に置かれた上質そうな二つのベッドが殊更にホテルっぽさを強調していた。
「客? 誰の事……です、か……?」
座り心地の良さそうなソファーに座り、本を読んでいた様子の秀也が顔を上げる。そして、優斗の姿を目にするなり、幽霊でも見たかのように目を丸くさせて固まってしまう。
「……おい、文月。てめぇ、なに考えてやがる?」
聞こえてきた声に思わず視線を向けて、優斗は体を強ばらせる。
視線の先にいたのは、ベッドに座っている赤髪の少年。体でも鍛えていたのかベッドにはダンベルが置かれている。
今にも人を殺しそうなほど殺気のこもった鋭い視線。不愉快だとばかりに寄せられた眉間の皺。
全身から漂う不機嫌な雰囲気に優斗は気圧されて、息を呑む。
「野蛮人ね。優斗くんが怖がってるでしょ? 少しは、そのキレやすさなんとかしたらどう?」
「ああ? 別に怒ってねえよ」
口では怒ってないと言っているが、その顔はどう見ても不機嫌だ。
下手な事を言ったら殺されそうだと感じた優斗は自然と黙り込んでしまう。
「あ、そういえばまだ紹介してなかったわね。彼は、弥生彰人。見たまんま粗暴でキレやすい野蛮人だからあまり近寄らない方が良いわよ」
「あ? 喧嘩なら買うぞ? おい、その女には気をつけるんだな。男と見りゃ、すぐに色目を使う。油断してると食われるぜ?」
険悪な雰囲気を纏う二人に優斗が困惑していると第三者の声が室内に響いた。
「文月、説明してください。何故、彼がここにいるのか」
「はぁい」
冷徹な声でそう発した秀也は、既に先程の表情を消していた。
拒否する事は許さないとばかりに麗香を睨みつけた秀也に麗香も仕方なさそうに肩を竦める。
「彼が真実を知りたがってたから、連れてきた。……これで満足?」
「……文月。それは違反行為ですよ」
目を細めて、静かな声で告げられた言葉。
その言葉の意味が分からずに怪訝な顔をした優斗だが、その疑問を口にすることは出来なかった。
明らかに部屋の空気が重くなるのを感じたからだ。
まさに一触即発な雰囲気に優斗は困惑して、けれど勇気を出して口を開いた。
「あ、あの!」
声を上げた途端、麗香に向けられていた二人の視線を向けられて、その迫力に気圧される。だが、優斗だって譲れないものがあった。
「あの日の事を教えてください! あの日、何があったのか。大河はどうなったのか。どうして、大河を連れて行ったのか。お願いします!」
優斗は勢いよく頭を下げた。
彼の言葉に反応するものはいない。
痛いほどの沈黙の中、優斗は頭を下げ続ける。
静寂が部屋を支配して、数分。小さなため息が静寂を壊した。
「……君の親友は、君が真実を知るのを望まないでしょう。親友の想いを無駄にしたいのですか?」
かけられた言葉に先程までの冷徹さはない。
優しくなった声音に思わず顔を上げた優斗が見たのは、少しだけ悲しそうな表情をした秀也だった。
その表情の意味を優斗は分からなかったが、それでも彼が優斗の覚悟を聞きたいという事だけは理解する。だからこそ、優斗は頷く。
真っ向から秀也を見据え、決して視線を逸らす事なく頷いたのだ。
「それでも俺は、知りたい。大河が抱えていたもの。隠していた真実。知っていれば、俺にだって何か出来たかもしれない。知らなかったんだから仕方ないって諦めたくないんだ」
真っ向から見据えられて、先に視線を逸らしたのは秀也の方だった。
彼はどこか眩しそうに目を細め、それから小さく息を吐き出す。
「……彼は、星野大河は転生組です」
「転生、組?」
その言葉をどこかで聞いた事がある気がして、優斗は首を傾げる。
暫く考えた後、思い出す。
初めて嵐と出会った日、彼が問いかけてきたのだ。家系組か転生組かと。
(そういえば、結局転生組って何なのか聞きそびれてたな)
そんな事を思いながら、優斗は転生組という言葉の意味を考える。
家系組が言葉通りの意味ならば、転生組というのも言葉通りの意味だろう。
「転生組っていうのは、言葉通り転生した退鬼師の事よ」
「え?」
考え込んでいた優斗の心を読んだかのように声を上げたのは麗香だった。
顔を上げた優斗と目が合うなり、麗香は笑う。そんな麗香を一瞥してから秀也は眼鏡を掛け直しながら口を開く。
「つまりは輪廻転生というものですよ。前世の記憶を引き継いだまま、現世に産まれた人間。それが転生組と呼ばれる人達です」
「ちょ、ちょっと待ってください。そ、それじゃあ、大河は前世の記憶があったって事ですか?」
「そういう事になりますね。そうでなければ、退鬼師としての力を使えていないでしょう。彼の家系は退鬼師とは縁もゆかりもないものでしたから」
優斗の脳裏に浮かぶのは大河との思い出。
幼稚園の頃からの知り合いである大河は、いわゆる幼なじみというものだ。
長い年月を共に過ごしてきた大河にそんな素振りは一切見えなかった。だからこそ、優斗は秀也の言葉を鵜呑みにする事が出来ない。
「疑うのは自由ですが、彼は転生組です。そして、転生組だからこそ、あのまま彼の遺体を放置するわけにはいかなかった」
「どういう意味ですか?」
「鬼や退鬼師の事は世間に知られていません。国のお偉方は知っていますが、混乱を避ける為、一般には知られていない。君の周りに起こった事件も犯人不明のまま収束したでしょう? つまり、そういう事です」
「退鬼師の存在を公に出来ない。だから、大河の遺体を世間から隠す必要があったって事ですか?」
優斗の言葉に秀也は何も言わない。
その沈黙が答えだった。




