#8-3 鬼との遭遇
優斗の気持ちが完全に落ち着くと彼が発していた眩い光は霧散して、周囲は再び月明かりが照らす森の中の光景に戻る。
優斗自身、自分が何をしたのか状況を理解できないようで、視界を奪われたまま困惑の表情を浮かべた。
「……あ、あれ? 俺……」
優斗が正気に戻ったのを確認すると少女は目隠しを解いた。瞬間、優斗の視界に飛び込んできたのは糸でがんじがらめにされて燃えている鬼の姿。
その光景は見覚えがあった。
優斗は勢いよく自らの視界を塞いでいた人物を振り返る。そして、そこに立っていたのは桃色の髪の美少女。
薄桃色の瞳は優斗と目が合うなり、楽しそうに細められる。
目鼻立ちの整った顔立ちは自然と目を惹かれ、彼女が放つ妖艶さにドキリとしない男はいないだろう。
その姿は以前見た時とあまり変わっていない。
ゆるやかにウェーブが掛けられた薄桃色の長髪。挑発的な薄桃色の瞳。ぷるんとした桃色の唇引き締まった腰に豊満な胸を持つ完璧なスタイルは思わず息を呑んでしまうほどの妖艶さも以前のまま。
瀧石嶺学園の女子制服でもある白いセーラ服タイプのワンピースに身を包んだ姿も以前のまま。ただ右腕に巻かれた水色の腕章は以前と違い、白い線が三本になっていたけれど。
それでも優斗は確信していた。
三ヶ月前に大河の遺体を連れて行った三人組の一人だと。
「お、お前……っ!」
とっさに言葉が出なかった。
言いたい事も聞きたい事もありすぎて、何も言えなかったのだ。
「鬼が脱走したとかで夜中に叩き起こされ、退治に来てみれば、規則破りの一年が襲われてる。しかも、一人は怪我人。……まったく、次から次へと厄介事が起きますね」
「文句言ってる暇ねえぞ。こいつ、早く運ばねえとやべぇな」
優斗の耳に聞こえてきたのは聞き覚えのある声。
勢いよく振り返れば、嵐の傍に二人の少年が立っていた。
一人は細身で長身の黒髪の少年。黒フレームの眼鏡越しに見える黒の瞳はどこまでも冷徹そうで、いかにも近寄り難い天才といった雰囲気を纏っている。
もう一人は、これまた長身の赤髪の少年。鍛え上げられた肉体に視線だけで人を殺せるのではないかと錯覚してしまいそうな程、鋭い赤の瞳。一目で近寄るな危険と思わせる風貌をしていた。
その顔もまた見覚えのあるものだ。
彼等もあの時と同じ瀧石嶺学園の男子制服である白い詰め襟を纏っている。ただし、眼前の少女と同様に右腕につけられた水色の腕章は白の三本線になっていた。
水色の腕章に引かれた白い線の数が学年を表している。
入学説明会の時に言われた言葉を思い出す。
優斗の記憶が確かならば、彼等はこの瀧石嶺学園の最高学年である三年の生徒ということになる。
「……何故、ここにいるんですか?」
そんな言葉を放ったのは優斗ではない。
ようやく視界が回復したのか、花音が突然現れた三人に警戒した様子で問うたのだ。
花音に声を掛けられ、黒髪の少年が花音に視線を向ける。
「鬼が脱走したので退治しろと言われましてね。逃げた鬼を追ってきた先に貴方達がいた。それだけですよ。……弥生、貴方は怪我人を先に運んでください」
「分かった。後処理は任せた」
黒髪の少年の言葉に答えたのは赤髪の強面の少年だ。彼は嵐を背負うとそのまま森を駆けていく。
あっという間に見えなくなる背中に声を掛けることも出来なかった。だからこそ優斗は残っていた二人に声をあげる。
「あ、嵐をどうする気だ!?」
「どうするも何も病院に連れて行ってもらっただけですが? それとも何ですか。助けずに見殺しにした方が良かったですか?」
「そ、そうじゃないけど……」
本来ならば礼をいうべきなのに言い淀んでしまうのは、ひとえに彼等が大河を連れて行ったせいで彼が行方不明という扱いになってしまったからだ。
「……大河は、どうなったんだ?」
優斗自身、大河が目の前で亡くなったのを目撃している。けれど、人の死に際など見たこともない優斗が死んだと勘違いしているだけで、もしかしたら大河は生きているかもしれない。
そんな一縷の希望を抱いて訊ねた質問。
黒髪の少年は優斗の言葉に何も答えない。
全てを突き放すような冷徹な黒の瞳に射抜かれて、優斗は息を呑む。それでも引く事は出来なかった。
暫しの沈黙が続き、やがて彼は小さな溜め息と共に眼鏡を掛け直す。
「君が何を言っているのか理解出来ませんね。俺と君は初対面の筈ですが?」
「なっ!? 四ヶ月前に会っただろ!? その時にお前等が大河を連れて行ったんだろ! お陰でアイツは未だに行方不明扱いなんだぞ!」
「知りませんよ。人違いじゃないんですか」
「そんなわけっ――!」
「落ち着いて」
頭に血がのぼりかけた優斗に冷静さを取り戻させたのは、肩に置かれた花音の手のぬくもり。
淡々とした声に自分がどれだけ取り乱していたのか気付き、優斗はバツが悪そうに視線を逸らす。
「……悪い」
小さく謝罪の言葉を口にした優斗を花音は黙って見守る。それ以上は何も言う気はないようだ。
そこで今までどうしていいのか分からず困惑していた聡が恐る恐るといった様子で声をあげた。
「……ゆ、優斗くんは如月さん達の事知ってるの?」
「如月?」
聞き覚えのない名前に首を傾げた優斗に聡も不思議そうな顔をする。
「う、うん。ゆ、有名だよ。如月秀也さん。七隊のメンバーだから」
「七隊?」
「退鬼師学園全生徒の中から選ばれた七人の天才達の事だ。鬼が出現した時に真っ先に派遣されると聞いた事がある」
晴の言葉を聞いてようやく理解する。
何故、あの時の彼等がこうして再び優斗の前に現れたのかを。
「そうそう、夜中だろうが明け方だろうが関係なく鬼退治ばっかさせられるんだから嫌になっちゃうわよね」
「文月。余計な雑談は不要です」
「余裕がない男ってやあね。あ、アタシは文月麗香。よろしくね、可愛い一年生達」
麗香と名乗った少女は蠱惑的な笑みでそう告げた。そんな彼女を秀也は苛立たしそうに睨みつけるが、麗香はニコニコと笑うだけだ。
「それよりも、君達は自分の身の心配をしたらどうです?」
「え?」
「門限時間外の外出は規則破りです。然るべき処罰があるでしょうね。しかも今年の一年は妙菊先生が監督でしたか。普段以上の罰則を覚悟しておいた方がよろしいかと」
白の考える罰則を想像して、恐怖を感じる優斗達。
その背後に誰かが立つ気配を感じて彼等は振り返る。そして、その場に立っていたのは──。
「ほんっと、落ちこぼれって余計な面倒ばっかりかけさせるよね」
笑顔を浮かべているが目が全く笑っていない白だった。
白の顔を見るなり、顔面を蒼白にさせる優斗達。そんな彼等の人数を確認するように白はぐるりと周囲を見渡す。
「えーっと、月舘君に日宮さん、雨川君に御堂さん……で、石動君が負傷して弥生君が病院に連れて行ってるって事で良いんだよね?」
「あ、妙菊先生ー。もう一人格好いい子が弥生の後を追いかけていきましたよ?」
「格好いい子?」
麗香が誰の事を言っているのか分からなかったようで怪訝そうに首を傾げた白。そこで、優斗達も自分達の他に一人いなくなっているのに気付く。
「あ、あれ? 幸太郎くんは?」
「いつの間にかおらぬな」
「幸太郎? もしかして、雪野幸太郎の事? へー、アイツもいたんだ。それじゃあ、規則破りは落ちこぼれチーム全員か。良い度胸だねぇ」
くすくすと楽しそうに笑っている白に聡が怯えて晴の背中に隠れる。
「それでは、先生。俺達はこの辺りで失礼します」
「ああ、そうだね。鬼退治ご苦労様」
「ま、待ってください!」
白に頭を下げて帰ろうとする二人に優斗は慌てて声を上げた。
このまま大河がどうなったのかを確かめずに帰る事など出来ない。
そう思って引き留めたのだが、秀也はあからさまに眉を寄せ、話すことなどないと言いたげに背を向ける。
「だから待てって言ってるだろ! たい──」
「三日後。二十二時。501号室。一人で来て」
「え?」
耳元で簡潔にそう囁かれて、優斗は目を丸くさせる。視線を向ければ、麗香が妖艶な笑みを浮かべていた。
その言葉の意味を尋ねようとした瞬間、麗香は自らの口に人差し指を立てる。その仕草は静かにしろといっているようで、優斗は口を噤んだ。
「それじゃあ、アタシもこの辺りで。お疲れさまでーす!」
そう元気に告げて、麗香も軽い足取りで秀也の後を追いかける。
結局、優斗は彼等を引き留める事が出来なかった。
遠ざかっていく背中を眺めていると白が声をあげる。
「とりあえず、罰則は考えておくから今日は帰って速やかに寝ること。いいね」
「え?」
「なに? 何か不満?」
白の言葉に腑に落ちないとでもいいたげな反応を示した優斗に白は面倒そうに聞き返す。
その鬱陶しそうな視線に一瞬怯むものの優斗は、ゆっくり言葉を紡ぐ。
「……嵐の容態を」
あれだけ血を流していたのだ。もしかしたら、助からないかもしれない。
そう考えて不安になった優斗は嵐が連れて行かれた病院に様子を見に行きたいという意志を込めて言葉を口にした。
優斗の言葉に同意するように花音達も頷く。だが、白は心底面倒だとでも言いたげに表情を歪める。
「君、本当に面倒くさいね。別に君達が傍にいたから助かるってわけじゃないでしょ。いいから君達は真っ直ぐ寮に帰って寝る事。これは命令だよ。朝六時以降なら君達が病院に押し掛けようと自由だからさ、これ以上僕の仕事増やさないでくれる?」
後半は苛立ちを露わにした声音で、その迫力に優斗達は大人しく従うしか出来なかった。
そうして、優斗達は白に監視されながら寮に戻り、ろくに眠る事すら出来ず朝を迎える事になるのだった。
結局、一睡もする事が出来ず朝を迎えた優斗は、部屋の時計が六時をさすと同時に部屋を飛び出した。
優斗が部屋を出ると示し合わせたように他の部屋の扉も開き、仲間達が顔を見せる。
軽く挨拶を交わして、誰からともなく歩き出す。
言葉にしなくても皆分かっていた。目的地は同じなのだから。
瀧石嶺学園の広大な敷地内にある瀧石嶺病院。
一般には知られていない鬼との戦闘により負傷又は死亡した人間が運び込まれる退鬼師専用の病院だ。
優斗は病院に世話になる程の怪我は今のところしたことはなく、訪れるのは初めての事だった。
ガラス張りの自動ドアを抜けた先に広がっている受付と待合室。
病院独特の消毒液の匂いに優斗はどこか落ち着かない様子だ。
初めて来る場所のせいか勝手が分からず、互いに目を合わせた優斗達だったが、そんな彼等の前に見知った顔が姿を見せた。
「揃いも揃ってこんな朝早くから押し掛けるなんて、馬鹿なんですか? 暇人の集まりですか?」
「雪野!?」
疲労の色を滲ませながらも容赦なく辛辣な言葉をはいた幸太郎。
何故ここにいるのかと疑問を抱くが、彼は嵐が連れて行かれていた時にいつの間にか追いかけていたという話を思い出して、優斗は一人納得する。
「そういえば、タロウは嵐に連れ添っていたな。して、嵐の容態はどうだ?」
「だから、タロウと呼ばないでください」
「タロー君。嵐君は?」
「……はぁ。ほんっと、人の話を聞かない人達ですね。そんなに気になるなら顔を見に行ったらどうです? 二階の207号室ですよ」
疲れたように重い溜め息をついた後、それだけ告げるともう用はないとばかりに背を向ける幸太郎。
そんな彼を慌てて引き留めたのは優斗だ。
「ど、どこ行くんだ?」
「助けられた借りは返しました」
「え?」
「帰って寝ます。学校は明日から行きますよ。貴方達への借りはまだ返していませんからね」
口早に告げて、今度こそ用はないと歩き出した幸太郎の背中を優斗は呆然と見つめる。
優斗と共に遠ざかっていく背中を眺めながら、聡が小さく口を開いた。
「も、もしかして、幸太郎くん。嵐くんに庇われて、怪我させた事気にしてたのかな?」
自信なさげな弱気な言葉。
根拠はないが、聡の言葉が言葉が正しいと思った。
優斗の頬が緩む。そして、自動ドアをくぐろうとしていた幸太郎に向かって声をかけた。
「ゆき……幸太郎! 学校で待ってるからな!」
優斗の言葉に幸太郎は一瞬足を止めて……けれど、振り返る事なくそのまま病院を出て行く。
「優斗君。なんだか嬉しそう」
「そうだな。幸太郎とも仲良くできそうだなって思ってさ」
「タロウの様子から察するに嵐も大事には至らなそうだな」
「だねぇ、よかったぁ」
先程よりも心なしか晴れやかな気持ちになって、優斗達は互いに笑い合う。それから、幸太郎に教えてもらった嵐の病室へ向かった。
207号室と書かれたドアプレートの下に書かれているのは嵐の名前だけ。どうやら個室のようだ。
まだ眠っているだろうと思って控えめにノックをして扉を開けると、白いベッドの上で上半身だけ起こしていた嵐と目があった。
「おっ? ツッキー達だ。なんだなんだこんな朝早くから。もしかして、お見合いに来てくれたのか!?」
目が合うなり、朗らかな顔でいつも通り間違った言葉を口にする嵐は元気な様子だ。
「お見合いじゃなくて、お見舞いだろ」
嵐の態度に安堵したように優斗は笑いながらそう告げた。
入院着に身を包んだ嵐は優斗の訂正に屈託なく笑っている。その顔色はすっかり元通りだ。
「怪我は大丈夫?」
「おう、もう大丈夫だ! こんなのただの掠り傷だって」
「そ、そんなことはないよ。だって、あんな血がいっぱい出てたし……」
「サトルンは小袈裟だな! 見た目ほど大した傷じゃないんだぜ?」
「それを言うならば大袈裟だ。だが、本当なのか? 暗くてよく見えなかったがかなりの出血に見受けられたが?」
そう言いながら、晴は嵐の背中をじろじろと見つめる。そんな晴の行動を見習うように聡までもが背中を見るものだから、自然と皆の視線が嵐の背中に集中した。
皆の視線を一様に受けた嵐は少し照れくさそうに笑う。
「な、なんだよ。みんなして……。そんなに見つめられたら、花が咲くぞ!」
「穴が空くだろ。花が咲いてどうするんだ」
「けど、その調子なら本当に大丈夫そう。良かった」
普段から表情があまり変わらない花音が珍しく安堵の表情を浮かべたのを見て、嵐は目を瞬かせ……それから、神妙な顔つきに変わる。
「あー、なんか心配かけたみたいで、ごめんな?」
神妙な顔つきは一瞬だけ。謝っているのに嵐の顔は緩んでおり、皆が心配してくれた事が心底嬉しいとでも言いたげだ。
そんな嵐の表情を見て、優斗達は何も言えなくなる。ただ彼等も優しく笑うだけ。
暫く嵐と話をした後、優斗達は学園に向かう為、病室を出た。
ほとんど寝ていないから幸太郎のようにサボろうかとも考えたが、そんな事をしたら最後、どんな罰が待っているかを想像しただけでも恐ろしい事に気づいて諦めたのだ。
こうして、優斗達の日常は再び戻り始める。
幸太郎は翌日から宣言通りに学園に顔を出すようになった。
嵐は一週間入院する事になったが命に別状はない。
チームメイト全員が時間外外出についての罰則は白監修の下、一ヶ月寮の中庭掃除と分厚い辞書のような課題と反省文といった恐ろしく厳しいものであった。
結果的に見れば、嵐が怪我をして一時戦線離脱したが、幸太郎が仲間になったという事だろう。だが、だからといって安心できるわけではない。
今回は嵐が怪我をしただけで済んだが、次回もそうだとは限らないからだ。
無力さ故にいつ仲間を失うか分からない。
その事を強く実感して、優斗は改めて覚悟を決める。
もう二度と友達を失わないように。
誰かが泣くことのないように。
大切な誰かを守れるように。
強くなると誓ったのだ。
そう強く思った時に、ふと優斗は思い出す。
いつかは分からない。ただ遠い昔同じような事を思ったような気がした。
いまと同じように無力さを嘆いて、強くなりたいと願った気がしたのだ。
記憶を探ってもそれがいつのものなのか分からない。次の瞬間には、もうその記憶すら薄れてしまう。だが、優斗自身忘れてしまっても心の奥深くに宿ったその想いだけは消すことが出来ない。
「……強く、ならないとな」
誰に言うでもなく、強いていうなら自分自身に言い聞かせるように優斗は呟く。
その声に反応して、花音が不思議そうに首を傾げたが、優斗は何でもないと笑った。
 




