#8-1 鬼との遭遇
時刻は皆が寝静まった深夜。
月舘優斗は気持ちよさそうに寝息を立てている同室の石動嵐を起こさないように足音を忍ばせて部屋を出た。
とっくに消灯時間を過ぎた廊下は電気などついておらず、一寸先も見えない暗闇に包まれている。
優斗は手元に意識を集中させる。すると彼の手元に淡い光が宿り、廊下を照らし出す。
その光を頼りに優斗は廊下を歩き出した。
優斗達が瀧石嶺学園に入学してから一週間。
日々の訓練の成果か自由に属性を引き出せるようになったが未だに武器を出すことは出来ない。
そんな日々を送っていた優斗の耳に届いた一つの噂話。
その噂は良くある怪談のようなものだった。
『二本の剣を持った人が夜な夜な学園内をさまよっている』
そんな噂話だ。
普段の優斗なら一笑に付してしまうほど、馬鹿馬鹿しく下らない噂。だが、優斗はその噂をどうしても無視することが出来なかった。
何故なら、二本の剣というものに覚えがあったからだ。
あの日、優斗が初めて鬼というものを認識した日。
優斗の親友である星野大河が持っていた二本の剣。
勿論、それだけじゃ噂の人影が大河だと断定する事は出来ない。そもそも大河は優斗の目の前で死んだのだ。それでも、その人物が大河に繋がる情報を持っている可能性は高い。
だからこそ、優斗は噂になっている人物が何者か確かめる為にこうして深夜に寮を抜け出したというわけだ。
原則的に門限を過ぎた後に許可無く寮を出ることは禁止されている。その為、優斗も人に見つからないように細心の注意を払いながら歩く。
なんとか誰にも見つかる事なく寮を抜け出すことに成功した。
その事に安堵の息をついてから、優斗はこれからどこに行こうかと考える。
あてもなくこの広い学園内を探し回るのは無謀だが、いかんせん目撃証言があった場所もバラバラなので、結局は運に賭けるしかない。
そう考えた優斗は、とりあえず寮から一番近い森を探索する事に決めて歩き出す。
入学当初、何故学園内に森があるのかと思っていたが、花音によると訓練場所として使われているらしい。しかし、落ちこぼれである優斗達は未だに森での訓練を経験した事はなく、優斗自身この森に入るのは初めてだった。
森の中は夜空に浮かぶ月が照らしてくれていた光を遮り、不気味な雰囲気を醸し出している。
「…………」
人に見つからないように最低限の光で周囲を照らしていた優斗だが、森の中に足を踏み入れると強ばった表情のまま、無言で光を強めた。
闇に呑まれたのではないかと錯覚してしまいそうなほど暗い森で周囲を確認できるほどの明るさになった事に安堵の息をこぼしてから、優斗は探索を始める。
暫く歩いてみたが、異変は何もない。
森の中は舗装された道があり、優斗はそこを歩いているだけなので迷う事はないが、それでも深夜の森に一人という事実は優斗に不安を駆り立てる。
(きょ、今日の所はここまででもいいかもな)
そんな考えが頭を過ぎり、恐怖心に負けそうになった瞬間、彼の脳裏に浮かんだのはあの時の光景。
鬼に貫かれた大河の姿。
それを思い出して、優斗は恐怖心を振り払うように頭を振って、気を強く持とうとした。そして、そんな彼の耳に届いた足音。
その音に驚いた優斗は大きく肩を揺らし、慌てて光を消して近くの木の後ろに隠れる。
そのまま隠れて様子を窺っていた優斗の前に現れた人影。
暗い上に優斗から距離がある為、相手の顔は見えない。
人影が手にした懐中電灯の僅かな明かりが森の中を照らし出す。人影は優斗に気付くことなく、地面や木の根の周りをうろうろとしている。その様子は何かを探しているようにも見えた。
優斗は音を立てないように木に隠れながら人影に近付いていく。
「ハァ……ここも違いますか」
溜め息混じりの声は聞き覚えがあった。残念ながら、優斗が探し求めていた人物のものではなかったが、それでも聞き覚えのある声だった。
そうは言っても優斗自身、彼の声を聞いたのは入学式の日以来なので合っているか確証はなかったが、それでも彼だと考えて手元に意識を集中させた。
暗い森の中がパッと明るくなり、突然の光に人影は驚きながら振り返る。その顔はやはり見覚えのあるものだった。
「こんな所で何してるんだ? 雪野」
光を遮るように腕で目を隠していた人物……それは間違いなく入学式の日以来、顔を見せていない雪野幸太郎だ。
腕で目を覆ったせいでずれた眼鏡の位置を直しながら、優斗を見た幸太郎は怪訝な顔をする。
「……誰ですか?」
「忘れられてるのか。えっと、同じチームの月舘優斗だけど」
幸太郎の言葉に優斗は苦笑しながら名乗る。
優斗の言葉に幸太郎は少し考える素振りをみせて、小さく頷いた。
「チーム? ああ、そういえばそんなのがありましたね。それで? こんな夜中に何か用ですか? 俺は貴方と違って忙しいので、用件は手短にお願いしますよ」
相変わらずな物言いに苦笑するしかない優斗だったが、光によって周囲が照らされた今だから気付く事があった。
幸太郎が手にしているのは懐中電灯と杖。
杖など何に使うのかと見ていれば、彼は優斗から視線を外して、茂みに杖を突っ込んで茂みの中を探っている。
(……なるほど。手が届かない場所や手を入れたくない場所を探すときに使うのか)
一人で納得した後、優斗は背を向けている幸太郎に向かって声をかける。
「特に用事があるわけじゃないけど、雪野は探し物か?」
「だったら何ですか? 俺が探し物をしているとおかしいですか? 貴方にとって何か不都合でもありますか? そうじゃないなら、早く消えてください。目障りです」
「あー、うん。悪い。けど、わざわざこんな夜中に探さなくてもいいんじゃないか。昼間の方が探しやすくないか?」
「昼間もずっと探してないから夜も探しているんですけど問題ありますか?」
「ずっとって事は……今日一日探してるのか!?」
言われてみれば、幸太郎の服のあちこちが汚れている。
驚いて声をあげてしまった優斗を幸太郎は不愉快そうに睨みつけた。
「うるさいです。今が夜中だという事を知らないんですか? そもそも門限を過ぎた後の外出は規則違反です。誰かに見つかったらどうするんですか? 貴方責任とれますか?」
「わ、悪い。けど、今日一日探してるって聞いたら誰でも驚くと思うぞ」
「……ハァ。何でも良いですから、早く消えてくれませんか。それか今すぐ息を止めてください。永遠に」
「遠回しに死ねって言ったよな」
辛辣な物言いをする幸太郎に優斗は笑う。ここまで臆面もなく言いたい事をハッキリ告げる幸太郎だからこそ、怒る気もなくなってしまう。
幸太郎は不愉快そうに顔を逸らして、また何かを探すようにうろうろとさまよいだす。優斗もその後を追いかけた。
「なんでついてくるんですか? ストーカーですか?」
「いや、一人で探すのは大変だろ。今日一日探してて見つからないんだし、人手があった方が良くないか?」
「いりません。それに今日一日じゃありません。もう一週間探しているんです。今更貴方程度の手が増えた所で何の足しにもなりませんよ」
「い、一週間って入学式の日から探してるのか!?」
また声をあげてしまった優斗に前を歩く幸太郎が振り返り、無言で睨みつけてくる。その事に優斗は慌てて口を塞いで謝った。
「悪い。けど、それなら尚更人手が必要だろ? なに探してるんだ? 俺も手伝う」
「いりません」
「でもさ、一週間も探してるって事は雪野の大切なものなんだろ? だったら、早く見つけた方がいいだろ」
「俺一人で充分です」
「一週間も見つからないのにか?」
「……何故、貴方はそこまで食い下がるんですか? 俺の探し物が見つかろうが、見つからなかろうが、貴方には関係ないでしょう。それなのにそんなにしつこい理由は何ですか? 俺の探し物を手伝って貴方にいったい何のメリットがあるんですか?」
真意を探るような視線を向けてくる幸太郎に優斗は困惑する。
優斗としてはメリットとかではなく、困っている人を見たら放っておけないお節介な性格からくる親切心の申し出だったからだ。しかし、幸太郎はその無償の善意を話した所で信じてくれそうにはない。
こうなったら優斗は大人しく引き下がるしかないのだが、彼のお節介な性格がそれを許さない。だからこそ、優斗は考える。
優斗が捜し物を手伝う事を承諾してくれる理由を──。
「…………学園に来てもらう為、かな」
「は?」
優斗の言葉が予想外だったのか目を丸くさせた幸太郎に選択をミスったかと思うが、言ってしまった言葉は取り返せない。
優斗は取り繕うように慌てて言葉を続けた。
「ほ、ほら、俺達、同じチームだろ? チームメイトは一蓮托生。だから、お前がずっと学園に来ないと俺達の評価は永遠に上がらない。えーと、だからお前が探し物をしてて学園に来てくれないと俺達も困るんだ。だ、だから、手伝うって言ってるんだ」
自分でも言い訳がましいと分かっていたが、それでも優斗はもう撤回できなかった。大人しく幸太郎の反応を待つ。
幸太郎は鋭い視線で優斗を見つめ……やがて、小さく溜め息をついた。
「なるほど。確かに貴方が俺の探し物を手伝うと申し出るメリットがありましたね。分かりました。そこまで言うなら手伝う事を許可しましょう」
「あ、あはは……」
善意で申し出た手伝いの筈が上から目線で許可された事に優斗はもう笑うしかなかった。そこで、ふと優斗はある考えが思い当たる。
幸太郎がこの一週間昼夜問わずに探し物をしているというならば、噂の幽霊は彼なのではないかという考えだ。
幸太郎が持っている懐中電灯と杖。確かに暗闇の中で遠目から見たら二本の剣に見えなくもない。
(やっぱり大河とは関係なかったか)
ホッとしたような、残念なような気持ちを抱き、複雑な笑みを浮かべる優斗。
幸太郎は優斗の複雑な笑みになど興味がないのか、ふと視線を外して、闇が包む森に視線を向けて口を開く。
「勿論、貴方達も手伝うんですよね? チームメイトなんですから」
「え?」
幸太郎の言葉に訳も分からず振り返った優斗が見たものは木の陰から姿を現した花音達だ。
彼女達の顔を見るなり、優斗は目を見開く。
「どうしてここに!?」
「いやー、夜中に目覚ましたらツッキーがいなくなってたから、ひののん達に声をかけて探しに来たんだよ」
「ご、ごめん」
「けど、話は聞かせてもらったぜ。もう水むさいぞタロー! 探し物があるならオレ達に言ってくれても良かっただろ! 仲間なんだからさ」
「誰が仲間ですか。というか、水むさいって何ですか? それを言うなら水くさいでしょう。大体、タローって呼ばないでください」
嵐の顔を見るなり、明らかに不愉快そうに表情を歪めた幸太郎。しかし、嵐は幸太郎の反応など気にすることなく、豪快に笑いながら彼の背中を叩いている。
「い、痛いですよ! 全く、これだから言語を理解できない馬鹿は嫌いなんですよ」
「それより、何を探しているのタロー君」
「そうだな。我らが抜け出しているのがバレぬ内に見つけてしまおう。それに聡が既に限界だからな」
「……うぅん、ま、まだ大丈夫」
晴の背中におぶられている聡は既に目が開いておらず、ほぼ寝ていると言っても良い状態だ。
「大丈夫なのか?」
「心配いらぬ。聡はいつも九時には寝るからな。この時間に起きていられぬのだ。聡の為にも早く片をつけよう。して、タロウ。捜し物はなんだ?」
「だから、タローと呼ばないでください。……ハァ。まあいいです。俺も愛しのマリリンを早く見つけてあげないといけませんからね」
「……まり、りん?」
独り言のように呟いた幸太郎の言葉に花音は不思議そうに首を傾げた。その行動は何も花音だけではない。
優斗も嵐も晴も怪訝な顔をして幸太郎を見ている。そんな彼等の反応に幸太郎が信じられないとでもいいたげに目を見開く。
「まさか、貴方達知らないんですか!? 超国民的双子魔法少女マリリンを!」
「ま、まほ……え? なに?」
「信じられません! いまや数多くの人間をロリコンという性癖に目覚めさせた伝説的なアニメを知らないとは……貴方達人生の九割損していますよ! いいですか! 『双子魔法少女マリリン♪』とは、そのタイトルが示す通り、双子の女の子が魔法少女となって敵を倒していく話です! しかし、このアニメが他の魔法少女物と違うのは、双子である主人公……姉の明るく元気で人懐っこい麻里と妹の内気で気弱な凛が一人の魔法少女として合体するのです!」
口を挟む暇なく、饒舌に語り出した幸太郎に優斗達は言葉を失う。
何も言えない優斗達の様子に気付かず、幸太郎は嬉々として話を続けている。
優斗達は、互いに顔を見合わせ、どうしたものかと首を傾げあう。そんな中で、真っ先に口を開いたのは嵐だった。
「なるほど。タローは、オタクってやつなんだな!」
「ふん。俺は二次元をこよなく愛しているだけで、なんと呼ばれようと構いませんよ」
「あ、あー、と、とりあえず雪野の捜し物は、そのマリリンってキャラのグッズなんだよな。キーホルダーとかか?」
「その通りです。限定五十個の超プレミアム品。アニメ第二十七話で変身したマリリンメイド服バージョンのキーホルダーです!」
普段の人を突き放す冷たさはどこにいったのかと思うほど、熱く力強く断言した幸太郎。そんな彼に優斗達は頷く事しか出来なかった。
「……どの辺りで落としたの?」
「この広い森をあてもなく探し回るのは無謀だよな。雪野、覚えてるか?」
「全てはあの忌々しい烏のせいですよ」
「ん? タロー、それどういう事だ? もしかして、カラスに取られたのか?」
嵐としては冗談のつもりだったのだろう。しかし、嵐の言葉を聞くなり、幸太郎は眉間に皺を寄せ、不愉快そうに舌打ちをした。
「ええ、その通りですよ。……烏風情が俺のマリリンを汚して、焼き鳥にして食ってやれば良かったですかね」
「烏は焼いても美味しくないと思うぞ」
「晴、ツッコむ所はそこじゃないだろ。それにしても、カラスが持っていったなら探しようがなくないか? 巣を探すのはさすがに無謀だろうし」
「ああ、安心してください。奪われた瞬間、撃ち落としましたから。この森に落ちた事は視認しています。なので、この森のどこかにあるはずです」
自信満々な様子でそう言った幸太郎。しかし、彼の言葉を聞いても全く安心できないのはこの森の広大さが原因だろう。
初めて入る広大な森からキーホルダーを探すなど、至難の業だ。それでも優斗は自分から手伝いを申し出た以上、文句など言えるわけもなく、気合いを入れるように腕まくりをする。
「よし、それなら探すとするか」
「まるるん捜索隊だな! 頑張って見つけるぞー!」
「まるるんではなく、マリリンです」
「細かいことは気にするな!」
「悪いな、雪野。嵐はこういう奴なんだ」
そんな軽口を叩きながら、一同は歩き出す。
優斗が先頭に立ち、周囲を照らし出し、その明かりを頼りに皆が周辺の捜索を始めだした。
嵐は身軽な身体能力を活かし、木に登って周囲に目を走らせ、花音は懐中電灯で優斗の光によって照らされていない所に光を向ける。
どうやら嵐と花音は役割分担をしているようで、花音が照らした光の先に光る物がないか嵐が確認しているようだ。
一方で、晴はすっかり撃沈してしまった聡を起こさないように気にかけながら周囲を探索している。
幸太郎は集団の一番後ろでそんな光景を見て、僅かに顔をしかめたが何も言うことなく、自らもキーホルダーを探し始めた。
マリリンキーホルダーを探し始めて、どれくらいの時間が経ったのか優斗には分からなかった。
結構な長い時間探したと思うが、時計を忘れてしまった優斗には正確な時間を知ることは出来ない。もっとも、それは優斗以外の全員にも言えたことだが。
「うぁー、ぜんっぜん見つかんねーぞ! タロー、ほんとに森にあんのか?」
「あるはずです。確かに撃ち落としましたからね」
「どの辺りに落ちたとか分からないの?」
「そうですね。落下地点の辺りは真っ先に探しましたが、見つからなかったんです」
「ふむ。それはどの辺りの事なのだ? 我らが探せば、新たな発見もあるやもしれぬ」
「そうだな。これ以上、闇雲に探しても意味なさそうだ」
晴の言葉に優斗が同意すれば、嵐と花音も賛同した。
幸太郎も一理あると考えたのだろう。少し考えた素振りをみせたあと、素直に案内に応じた。




