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我が懐かしきハードボイルド

「おいおい!ここは海星(スターフィッシュ)だろう!?ボズを呼んでくれ」

「ボズ?それはあのう…」

「支配人を呼んでくれ」

戸惑うバーテンダーに、私はすかさず耳打ちした。案の定と思っていたが、海星はもうないのだ。

「どういうことだ!?」

「クーパー、落ち着けよ。この街はもう、二十年前じゃないってことさ」

やっぱりと思ったが的中した。クーパーが馴染みだった『海星(ひとで)』は、随分前に、人手に渡っていたのだ。

「ここはビアンカばあさんの店だろ?」

「ああ、ビアンカばあさんはもういないがな。今も変わらずファミリーが守ってる。が、少々勝手が違うのさ」

やがて奥から、シェパード犬のオーナーがやってきた。私の記憶する限り、クーパーを知っているのは、この店でオーナーのジェフだけだった。

「クーパー!!懐かしいじゃねえか!」

「なんだジェフか!?どうなっちまったんだ、この店は」

「あんたがいなくなってからこっち、色々あってな。まあ、分かっていると思うが」

老いたジェフは、言葉にならない苦笑をにじませた。無理もない。クーパーが現役時代、このすっかり目元のたるんだシェパードは無論オーナーじゃなく、駆け出しのバーテンダーに過ぎなかったのだ。

「それよりあんた、戻って来たんだな。この街もまた、昔みたいに騒がしくなるかね。一杯(おご)るよ、やってくれ。ほら、こいつもサービスだ」

ジェフは精一杯の気遣いで、自分でソルティードッグを作ってくれた。それから奴が大好物だった七面鳥(ターキー)のアキレス腱のジャーキーを皿いっぱい出してくれたのだ。

「悪いなジェフ。おめえにはまた、借りが出来ちまったな」

老ギャングはすっかりたるんだ顔の(しわ)を深くして、ばか硬いジャーキーをわしわし噛んだ。

「いいってことよ。あんたには、どれだけ世話になったか分からんからな。死んだボズも言ってたよ、あんたがこの店の一番いい時代を作ってくれたって」

黄金時代を懐かしんだ私たちはそれから無言のまま、三人で乾杯をした。くううっ、まさにこれこそハードボイルドだ。

「ドンには会ったかい?あんたが帰ってきたんだ、ヴェルデの親分もさぞ、心強いだろうよ」

「あ、ああ。それが。おれもな、そのつもりなんだが」

と、クーパーはなぜかそこでも、言葉を(にご)らせた。

「ところで、エリーはどうなった?」

ジェフはクーパーの突然の問い返しに、答える言葉なく黙り込んだ。

「エリザベス・カーラー、いただろう、白毛で、スピッツのショーガール。あれから二十年経ってる。まさかこの店にいるとは思わねえが、元気でやってるのかい」

「…エリーは結婚したよ。西海岸の、ゴールデンレトリバーの歯医者とな。この十年、この街には足を向けやしない」

「そうかい」

クーパーは寂しそうに頷くと、ソルティードッグのお代わりを頼んだ。

「こんなこと言うのも何だが、もう金には困っていないだろう。あの子は、感謝してるはずだ。何しろ、あんたのお蔭でこの街のカジノから足抜け出来たんだからな」

クーパーはしばらく言葉がなかった。強い酒を少し口に含むと、たるんだ皮の中から私を横目で見てきた。

「エリーのこと、知ってたのかい、スクワーロウ」

私は少し躊躇したが、真実を告げることにした。

「…ああ、確かロニー・ラビーズって言う、羽振りのいい開業医だ。かなり前にこの街に、観光客として遊びに来たのが縁だったみたいだ。すまんな、進んで私から言うことじゃあない、そう思って黙っていたんだが」

思えばクーパーが二十年前捕まった事件の発端は、エリーにあったのだった。彼女は質の悪いカジノにはまり、五万ドルもの借金を背負わされて命が危なかった。一説にはクーパーは二十万ドルもの金を盗んだとされるが、用意の自家用機で国境線に向けて逃走中、空軍に撃墜(げきつい)されそうになり、金はすべて、海にばら蒔いたと言い張ったのだ。

その金のうち、五万ドルの在り処は当時、私だけが知っていた。クーパーに言われて私が、ギャングに監禁されていたエリーのところへ行き、身代金として直接、払ってきたのだった。

「知ってたよ。クーパー・バウリンガルっていやあ当時、なびかねえ女はいねえってくらいの出来る男(ワイズ・ガイ)だったが、あんた、エリーしか相手にしてなかった。本気だったんだな…」

クーパーは応えなかった。だが、私は知っていた。クーパーは、組織のためじゃなく、エリザベス・カーラーと言う女性一人のために刑務所に行ったのだと。

「バーボンはあるかい」

ジェフがストレートで注いだそれを、クーパーは一気に干すと、深いため息をついた。

「今、幸せに暮らしてりゃあ、それでいい」

コアヒットであった。

これだ。これこそが、私の求めていたハードボイルドだ。天かすやくざと関わったり、小学生の依頼人に振り回されたりして、このところめっきり、こってこてになりかけていたので、私自身も男前な台詞回しをすっかり忘れていた。

「今夜は私が持つよ。出所祝いだ。どこでも、好きなだけ飲めばいい」

とか、大きいことを言ってしまったが、次のダンスクラブで私はお金をおろす羽目になった。

乏しいお金で、せせこましく暮らしていると、ふいにハードボイルドの必要に迫られたとき、やっぱり困る。ハードボイルドも伊達では出来ないのだ。


だがともかく、クーパーこそハードボイルドだ。古き良き時代が帰ってきた。男前の時代を知ってるクーパーが帰ってきたことで、このシリーズもようやくこってこてから脱却を図れそうだ。ナッツで満杯の頬袋も思わず緩んでくる。だが、私は忘れていた。時代はハードボイルドじゃない、やっぱりこってこてだと言うことを。


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