『狼』の帰還
「分かるか相棒、狼って奴は夜、啼くもんだ。なぜか?この街の夜が、たぎらせてくれるからさ。おれの中の野獣の血ってやつを」
それはかつてリス・ベガスにいた、大物の言葉だ。マフィアも警察も一目置くその男は、つまらない銀行強盗でしくじるまでは、この街の夜の帝王だった。誰の下目につかないその男の、その日の相棒は不思議なことに私だった。
馴染みの店でその大物は、私を含むその店にいた全員に酒をおごり、酔って何度も同じ話を私に吹っかけた。別に望んだわけじゃないが、けちな街の探偵も、尊重される夜だってあったと言うことだ。
「おれはいつもこの街で夢見てる。もちろん、ベッドで見る夢じゃない。眠る暇もないんだ。なぜならこの眠らない街で出来ることが、おれの人生の全てだからさ!」
ショットのテキーラを飲み干すと大物は、その日の月に向かって甲高い声で吠え散らした。
「ありがとうよ、相棒。ようやく決心がついた。なあにあんたと、この街なら、待っていてくれるだろう。おれはまた帰ってくる。そのときはよろしく頼むぜ」
男は最後の札束を丸ごとカウンターに置くと家に戻り、翌朝自首したのだ。
クーパー・バウリンガルについて二つ、残念なことがある。
それは二十年ぶりに出所したこの街が彼方先の時代を歩きすぎ、別に待ってなどくれていなかったこと。
そしてリス・ベガスの夜を彩った大物が中身はともかく、なりは狼などではなかったと言うこと。
確かに夜は、吠える。
だが、奴はフレンチブルドッグだった。
クーパーの二十年ぶりの出所を、私は彼自身からの手紙で知った。EメールやSNSが発達したこの時代、ポストに届く私信はごく限られたものだ。私は仕事で遠出し、三日ほど事務所を開けていた。その間に奴は、塀の内側から二十年ぶりの便りを寄越したと言うわけだ。
手紙の日にちから計算すると、奴はつい昨日、州立刑務所の門をくぐったようだから、もう娑婆には出ているはずだ。間もなく顔を見せると思われた。
私が手紙を確認してから、ちょうど次の日の昼間に、彼は現れた。やってきたのは私が、事務所の乏しい調理器具でチリ・コンカーンを作っているときだった。
「チリか。娑婆の匂いってやつだ。こいつは悪かあねえな」
男の声はひどく懐かしい、ある種のざらつきを帯びていた。
「戻ってきたぜ、相棒。何だ、ここは、何もかも変わっちゃいねえなあ」
私は知っている。このざらつきこそ、我が愛すべきハードボイルドな響きだ。
「相変わらずのけちな探偵稼業か?」
クーパーはあの特大サイズの鼻をひくつかせて、事務所に入ってきた。そしてエプロンをしたまま飛び出して来た私に向かって、ウィンクしてみせた。
「ビールは、好きにやってくれ。ナッツなら、いつもの場所にある」
と、言うとクーパーは事務所の隅にある年代物の冷蔵庫から、瓶ビールを取り出して口にくわえた。
「ははッ、ようく分かってやがる。さすがは、フィル・スクワーロウの旦那だ」
よく冷えた瓶ビールのキャップを歯で抜き去ったクーパーは、そのまま事務所のソファに身体を預けた。刑務所で健康的な暮らしをしていたせいか、年をとってもクーパーは全盛期より、がっしりとして見える。
「二十年ぶりの街はどうだ?」
大皿にチリを盛りつけながら聞くと、クーパーは目を剥いて首を傾げてみせた。
「ビアンカばあさんの縄張りで、いいやくざが、天かす売ってやがった。おかしな時代になったもんだな」
「まったくだ」
私も一緒に苦笑したが、本心では笑えなかった。あの狸、相変わらずせっこいシノギをやっているようだ。
「ドンには挨拶はしたのか?」
「いや、まだだ。何か、忙しいみたいでよ」
クーパーは一気にビールを煽ると、私の分も含めて二本の新しいビールをとってきた。
「それよりどうだ!?こんなところでチリを作ってるようじゃ、暇だろ。店じまいにしねえか?」
「今から飲みに行くのか?別に、構わないが」
昼遊びなど、久しぶりだ。確かに今は、急な依頼がなく立て込んでもいないので、早じまいは出来なくもない。
「出所祝いだ。一杯、奢ろうと思っていたところだ」
「悪いな旦那。じゃあ、馴染みでいいか?」
クーパーはあごをしゃくった。しかし思えばそれが、事件の始まりなのだった。