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稲葉孝太郎ミステリ集

ミステリの女王、弟を溺愛する

作者: 稲葉孝太郎

 神咲かんざきアリスは、ミステリの女王である。

 高天原たかまがはら学園高等部の生徒会長をつとめる彼女は、だれからも畏怖いふされる存在。つややかなダークグレーの長髪に、きれ長なひとみ。背は、女性の平均よりも高い。一七〇近くはあるだろうか。頭脳明晰、スポーツ万能。完全無欠の美女がいるとすれば、神咲アリスほど、それにふさわしい女はいない。

 とはいえ、こんな彼女にも、ひとつの弱点があった。双子の弟、神咲クリスだ。


「姉さん、ひとつ推理してもらいたいことがある」


 さらりとした銀髪ショートの男子が、くちをひらいた。アリスの兄弟だということは、すぐに分かる。顔がそっくりだ。綺麗きれいにそろえられた眉毛が、知的な印象をもたらした。くちびるは薄緋色うすひいろで、肌も純血の東洋人ではない。しかし、彼のくちから漏れた言葉は、まぎれもなく完璧な日本語だった。

 

「なにかしら、クリス?」

「最近、ちょっと奇妙な体験をしたんだ」


 姉のアリスは、大きなマホガニーの事務机に座っていた。弟のクリスは、コの字型にならべられた、黒い革製のソファーに腰をおろしている。どちらも学生には似つかわしくない。だが、白を基調とした制服に、超人的な容姿の姉弟がそろうと、事情は異なる。

 

「もったいぶらなくて、いいのよ。わたしとクリスの仲でしょ」

「そうだね。姉さんとぼくの仲だ。率直に話すよ。ここ数日、ぼくの下駄箱げたばこから、なにかが盗まれているみたいなんだ。すくなくとも、二回ね」


 弟の発言に、アリスは端正な顔をくずしもしなかった。

 

「『なにかが』って、どういうこと? 下駄箱は、三十センチ四方もないわよ」

「そこが問題なんだ。ぼくの下駄箱に入っているのは、くつとうわばきだけ。どちらも盗まれていない。それなのに、なにかが盗まれている気配があるのさ」

「だから、その『なにかが』って、なに?」


 それを相談しているのだと、クリスは答えた。まず彼は、いくつかの前提を説明した。下駄箱に、くつとうわばき以外を入れたことはない。くつとうわばきが、ほかの類似品とすり替わった形跡もない。下駄箱の一部が削られたり壊されたりした様子もない。

 

「なぜ『盗まれている』と思うの?」

「そこだよ。ことの始まりは、三日前、ぼくが風紀委員会の会合で、放課後に玄関前を通りかかったときのことさ。一年生の女の子が、ぼくの下駄箱のまえに立っていたんだ」

「どうして、一年生だって分かったの?」


 アリスは、やや嫉妬しっとの入り交じった声でたずねた。

 クリスは、その細いゆびで、左のこめかみを突ついた。

 

「風紀委員長として、全校生徒の顔と名前は、頭に入ってるんだよ」

「そうだったわね……さすがはわたしの弟だわ」

「それでね、その一年生の女の子……七星ななほしさんって言うんだけど、七星さんが、ぼくの下駄箱のまえに立っていたんだ。いや、立っていたっていうのは、表現が不足してる。下駄箱のとびらをあけて、中をのぞいていた」

「ちゃんと警察を呼んだの?」

「他人の下駄箱をあけるのは、犯罪じゃないと思うよ」


 そうかもしれないわね、と、アリスは答えた。クリスは、そのときの状況を、もうすこしくわしく説明した。七星は下駄箱のなかをのぞいていたが、手は出していない。すくなくとも、なにかを入れたり出したりはしていない。ただ、のぞいていた。


「ぼくが物陰から観察していると、七星さんは首をかしげて、その場を去ったんだ」

「やっぱり警察に連絡したほうがいいわよ。わたしがしましょうか?」


 クリスはそれを断った。

 

「ダメだよ。学校から逮捕者が出たら、風紀が乱れるからね……で、そのときは、ぼくも放置しておいた。さっき言ったように、くつはそのままだったから。ところが、今日、授業が終わってここへ来る途中、また七星さんに会ったんだ。下駄箱のところで。三日前とおなじように、中をのぞいていたよ」

 

 さすがに不審に思ったクリスは、声をかけた。

 七星は、クリスの存在に気づくと、ハッとなり、やや青ざめた。


『く、クリス先輩』

『七星さん、そこでなにをしてるの?』

『下駄箱から……盗まれてます』


「なにが、とたずねようとしたところで、姉さんが廊下の奥にあらわれた。七星さんもそれに気づいて、そそくさと逃げてしまったというわけさ。これが、ちょうどさっきの出来事だよ。姉さんも、あのとき、七星さんの足音を聞いただろう」

「あれは、七星さんだったのね……でも、なにも盗まれていなかったのでしょう?」


 クリスは、くびをたてに振った。

 

「だからこそ、ミステリなのさ。姉さんは、どう思う?」

「七星さんが犯人ね」


 それはないと、クリスは答えた。


「七星さんは、熱心な風紀委員だよ。ぼくの手伝いもしてくれる。それに、彼女は、なにかが盗まれていることを、教えてくれたんだ。彼女が犯人なら、『下駄箱から盗まれてます』なんて言う必要がない。墓穴を掘ってるからね」


 アリスは両ひじをテーブルに乗せて、しばらく瞑想めいそうした。

 そして、ゆっくりとまぶたをあげ、その澄んだ瞳をさらした。

 

「やっぱり、七星さんが犯人よ」


 クリスは、盗まれたものと、盗んだ理由をたずねた。

 

「彼女はね……匂いフェチだったのよ」

「匂いフェチ?」

「そう……クリスのうわばきの匂いで興奮しちゃう、変態さん」

「じゃあ、『下駄箱から盗まれてます』っていう発言は?」

「あなたにそれを自覚させ、嫌悪されることで、マゾヒスティックな快楽を得ているの」


 クリスは、ととのった眉をゆがめた。


「……そうは見えないけど」

「ダメよ、女の子は見かけによらないから。子猫の皮をかぶったオオカミね」

「ふぅん……じゃあ、盗まれたのは、下駄箱の空気ってことか」


 クリスは納得したようにうなずいて、壁の時計をみた。

 

「おっと、校内巡視の時間だ」


 クリスは席を立った。出口へむかう。

 ドアノブに手をかけたところで、ふと振り返った。

 

「思いもよらない真相だったよ。さすがは姉さん、ミステリの女王」

「その渾名あだな、あまり好きじゃないわ」

「ぼくは好きだよ」


 アリスは白い頬を、うっすらと赤く染めた。

 クリスは微笑んで、生徒会室をあとにする。とびらが閉まり、足音が遠ざかる。

 アリスは、しばらく身じろぎもしなかった。が、おもむろに机の引き出しをあけた。

 すると、ハートマークのシールを貼られた白い便せんが、二通あらわれた。アリスはそれをとりだし、じっと見つめる。意を決したように立ち上がると、窓をあけ、あたたかな春の風を浴びながら、便せんを破りさった。紙吹雪が、四月の空に舞いあがる。

 

「弟にラブレターなんて、百万年早いのよ、七星さん」

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