資料 第一次世界大戦結果 その2
【欧州戦争】
交戦国 イギリス・フランス VS ドイツ・スペイン
ベネルクス三国の支配権を巡る戦争。当初はドイツ・フランス・イギリスが三つ巴の戦争をすると思われていたが、イギリス・フランスが密約を交わしてドイツに宣戦。これに対しドイツは(元首同士が)仲の良いスペインに参戦要請を出し、スペインが参戦。こうして激しい戦争が展開されていく。
大戦初期はハーグにイギリス軍が電撃的に上陸、オランダの大半を占領した。フランスもベルギーとルクセンブルクを攻略。これに対しドイツ軍は反撃を試みるが、決定的な損害を双方与えることができず、いたずらに損害だけを重ねることとなる。東部フランス戦線(独仏国境)では史実と異なりフランスに攻め込んだりせず、あくまで攻めてきたフランス軍を迎撃する方針だったため睨みあいが続く。スペイン軍の戦争準備が遅れたことからフランス西部戦線(仏西国境)も膠着状態。
ドイツ海軍はユーボートによる商船攻撃を開始した。これはイギリスの鉱業生産の大半を占めるグリーンランド(※)からの船団を狙ったものでこれは大成功。輸送船団方式を採用しているにもかかわらず、対潜兵器が史実とさほど変わらないことや大戦前に大量に建造されていたユーボートの集団攻撃で護衛艦艇から次々に沈められていき、イギリスにたどり着く前にほとんどが撃沈されてしまう。
大戦中期になるとドイツ軍が航空隊を本格的に投入、損害が急増したイギリス軍も航空隊を進出させドイツ各地へ爆撃を行なった。やられたらやり返すの爆撃が行なわれ、ドイツ西部の都市やオランダ・ベルギーの諸都市は壊滅した。激しい空襲でオランダ・ベルギーの空軍基地の機能が低下するとイギリス本土への渡洋爆撃も始まり、イギリス南部に大きな被害を与える。フランス軍はドイツ領内への侵攻を計画していたがスペイン軍の攻撃が予想以上に激しく、ピレネー山脈の防衛線が破られてしまった。フランス軍は兵力をそちらにまわさなければならずドイツ侵攻計画は延期された。
一方海では新型ソナー等の対潜兵器の充実から次第にユーボートの損害が増大していっている。それ以外で両海軍に目立った動きはない。
大戦後期は講和に結び付けられる大戦果を求めて双方が活発に攻撃をかけた。ドイツ軍はアルフォンジーノ作戦を発令。作戦名はキンメダイというなんとも間抜けた名前だが攻撃は苛烈を極め、150万ものドイツ軍がオランダへなだれ込んでイギリス軍を敗走させた。イギリス軍は全ての武器を棄ててブリテン島に引き揚げる。スペイン軍もエンシエロ(牛追い)作戦を発令してフランス軍を総攻撃。しかしフランス軍はこの攻撃を跳ね返し、皮肉なことにスペイン軍がフランス軍という牛に追い回される事態となり、ピレネー山脈の向こうまで逃げることとなった。
一方フランス軍は戦力を東西に二分されながらもドイツ領内への侵攻を目指し、シュバルツバルト(黒森)の突破を試みる。しかし、強靭なドイツ軍陣地に阻まれ損害が急増。さらにアルフォンジーノ作戦でのイギリス軍敗退、ベネルクス三国失陥が伝わると士気も急速に低下し作戦中止が命令された。後にベルギーを取り戻そうと攻撃をかけているがこれも失敗している。
陸での勝利を確信したドイツはここでようやく海軍をだしてのイギリス攻撃に出た。イギリス軍も上陸支援以外でほとんど艦隊を動かしていなかったので最初で最後の大海戦が行なわれる。場所だけ史実どおりにユトランド沖で発生した海戦は史実と大きく違った結果になる。
参加した主な艦艇は史実より少し減ってイギリスが戦艦・巡洋戦艦あわせて31隻、ドイツが21隻(旧式戦艦含む)。ところがドイツが決戦前夜に残存ユーボートのほとんどを投入して戦艦部隊を襲撃。多数のユーボートが犠牲となったが、かわりにイギリスの戦艦3隻、巡洋戦艦4隻と装甲巡洋艦2隻などを道ずれにし、戦力差を減らすことに成功した。
そして翌日の海戦はまさに死闘となった。真正面からぶつかった両艦隊は一歩も引かずお互いを撃ち続けた。駆逐艦から戦艦まで全ての艦艇が撃ち合い結局共倒れとなる。英軍は戦艦4、巡洋戦艦4をはじめ21隻が沈没。ドイツは戦艦2、巡洋戦艦3など16隻。ドイツ艦隊は港が近かったのと、優秀なダメージコントロールシステムが効果を発揮して沈没は若干少なかった。
この海戦後、大戦継続に嫌気がさした両国が講和条約を締結して戦争は終わった。結局ベネルクス三国は占領したドイツが領有することになる。この戦争で戦場となったオランダやドイツ西部・フランス西部は荒廃、その爪あとは深いものであった。結果からすればドイツの一人勝ちのようだが、それらの地域はあまりにも派手に破壊されていて、結局荷物を背負い込んだようなものとなり、戦後復興に大きな労力を要することになる。
結果 ベネルクス三国はドイツへ併合された。また、デンマークもドイツに併合されている(これはデンマークが宣言したためで、他国はデンマークまで手は出せなかった)。
※この世界ではグリーンランドは非常に豊富な資源を持ち、さらに気候も少し暖かくなっていて普通の世界のグリーンランドより暮らしやすい土地となり開発が進んでいた。石油も産出するなどイギリスにとって大変重要なところで、グリーンランドからの航路はまさにイギリスの生命線といえる。
《アフリカ地域》
【北アフリカ戦争】
交戦国 北アフリカ共和国 VS エジプト王国・モーリタニア王国
北アフリカのしかけた一方的な侵略戦争。領土問題などは一切なかったのに大戦開始と同時に北アフリカ軍が突如両国に侵攻、両国は全力で迎撃にあたったがあえなく防衛線を破られ、1915年の終わりには両国の組織的抵抗は終わった。陸軍の残存部隊はその後も各地でゲリラ的に抵抗したが、北アフリカ軍の徹底的な掃討作戦で殲滅され終了した。
結果 エジプト・モーリタニアは北アフリカに併合された。
【中部アフリカ戦争】
交戦国 中央アフリカ・チャド VS ナイジェリア・ケニア・エチオピア
この二つのグループの対立から起きた戦争。第1次世界大戦勃発によりタンザニアがケニアに併合されたことが直接の引き金となり、全面戦争となった。国の数も多いナイジェリアらが有利と思われたが、工業化に成功していた中央アフリカの兵器の質が他国に比べ圧倒的に高かったため各地で敵軍を撃破していった。まずチャドと挟み撃ちにあったナイジェリアが降伏、続いてケニア、そして最後まで抵抗したエチオピアも1916年5月に降伏して戦争は終了した。
結果 北ナイジェリアはチャドへ、南ナイジェリアとケニア、エチオピアは中央アフリカに併合された。
【南アフリカ戦争】
交戦国 南アフリカ共和国 VS アンゴラ
北進を進める南アフリカの侵攻によって起きた戦争。第1次世界大戦勃発時にボツワナやジンバブエを併合した南アフリカはアンゴラの征服を目論み、国境で紛争を起こして侵攻した。もともと政策のまずさから工業化に失敗していたアンゴラの国力は非常に弱く、さしたる抵抗も出来ぬまま降伏した。
結果 アンゴラは南アフリカに併合された。
そのほか
ボツワナ・ジンバブエ・マラウィ・マダガスカルが南アフリカに併合された。
しばらく更新が遅れ申し訳ありませんでした。我が家が誇るボロパソコンの不調が原因です。なぜかインターネットに接続できない状態が続き、昨夜ようやく復旧いたしました。なぜ昨日更新しなかったのか?と思われるかもしれませんが、昨夜は他の作者様の一読者になっていたためです。いやいや、本当に面白い作品が多いです。虜になってました。ついでにハリポタの新刊も昨日から読み始めたもので…。
若干モチベーションも低下しております。更新が遅いのはそのせいか、ボロパソコンのせいでありますのでどうかご容赦ください。
それと本日は皆さんご存知、第2次世界大戦が終わった日です。戦争でなくなった全世界の方に深く哀悼の意を表します。