第57話 クラ運河建設計画
クラ地峡……。
普通の世界で言えばタイ領マレー半島の北部にありミャンマーとの国境に近いところである。
地図を見ればチュムボン、スラーターニー、プーケットといった地名が近いところに乗っていた。
それらの都市がどんなものか俺は良く知らないけど。
今、そのクラ地峡に運河建設の話が持ち上がっている。
クラ地峡にはこの世界だけでなく、普通の世界でもクラ地峡に運河を造ろうという計画があった。
ご存知の方も多いだろう。
クラ地峡に運河開発計画が初めて持ち上がったのは17世紀の頃だという。
その計画はフランスによるものだが、結局構想だけで終わったらしい。
19世紀になってイギリスも計画を立てるが資金不足で断念。
そしてスエズ運河を造り終えたフランスが再び造ろうとしたのだが、今度はイギリスがシンガポール港の優位を維持するためにタイと協約を結んだため実現できず。
日本も1934年にシャム大運河事業組合というのが結成され、宝くじを発行してその資金で運河を造ろうとしたが、当時大陸進出を活発に行なっていた日本を警戒した英・仏等の反発で流れてしまった。
太平洋戦争中にも軍が造ろうとしたらしいが、造れるわけもなく結局実現せず。
そして1973年、米・日・仏・泰の4カ国での計画が立てられたが、核爆弾を使用した掘削に対する反発等が激しく断念せざるを得なかった。
ではそもそもなぜ運河なんぞ造ろうとしているのか。
第一の理由は距離の節約である。
普通ならマレー半島を迂回し、マラッカ海峡を通ってこないといけないのである。
それがこの運河が出来れば距離なら800キロ、時間にして一日が節約できるのだ。
もちろんスエズ運河やパナマ運河と比べれば大した差ではないが、そこそこ短縮できる。
ちなみに古代のこの地域の人はわざわざマレー半島を迂回せずに、船(といってもジャンクのような大型は無理だが)をそこで棄てるか、引きずって山を越えたらしい。
その手の話は民話の中にもあるとか。
そして第二の理由はマラッカ海峡を通らなくて済むということである。
マラッカ海峡は「海賊海峡」、「魔の海峡」と呼ばれることから分かるように治安が悪く、海賊事件が絶えない。
何年か前に日本船が襲われる事件もあり、一時期話題となった。
といってもこの世界では割と治安はいいので、その手の事件は今のところ少ない。
ただ、この海峡は案外浅瀬が多いのが問題なのだ。
幅は一番狭いところで60キロほどしかなく、両岸にはマングローブ林が広がっている。
そのマングローブは土地造成をしながら、だんだんと海のほうへ広がっていってしまう。
結果船の通れるところは年々減っていくわけだ。
(と言っても1年に何メートル、何十メートルといって進むわけではないが)
しかももともと浅いのであちこちで船が難破したりして航路をふさいでしまっているところもあるらしい。
そのため普通の世界では年々タンカーが大型化していることから、一部のタンカーはマラッカ海峡を通れなくなって、わざわざ大回りしてロンボク海峡やスンダ海峡を通るものあるらしい。
現在でも浚渫が欠かせないところなのである。
他にもタイ南部の開発促進などのメリットもある。
ただ問題は莫大な建設費用だ。
果たして運河建設によるメリットはその費用に見合うのか。
どっちかというと運河事業はマイナスにつくかもしれない。
莫大な建設費用はもちろん、タイ南部の発展の代わりにシンガポールの方が廃れる恐れもある。
また、いちいち金を払って運河を通るよりも普通にマラッカ海峡を通ったほうがいいとして運河が利用されない恐れだってないわけではない。
しかし、長期間にわたって大量の雇用を生み出せるし、1日短縮できるのはわりと魅力的である。
軍隊輸送の面では1日短縮できるのは大きいだろうし。
(もっとも、将来インド洋方面で戦いが起きなければ関係ないといえば関係ないが)
国会審議では反対意見も多く出たが、結局与党の賛成多数で可決された。
ルートや設計には丸1年を費やし、実際に着工したのは1920年2月1日。
これだけ遅くなったのは、議会での議論が長引いたことや、第1次世界大戦の終結を待ったためでもある。
試行錯誤の結果、ルートは、サトゥンから標高100メートルほどの山を迂回してソンクラへ抜ける、全長102キロのルートに決まった。
運河の形式はパナマ運河同様閘門式である。
閘門式とは、閘室と呼ばれる前後を扉で仕切り、そこへ船を入れて扉を閉じて逆側の扉の水路の開閉によって水位を昇降させて船を上下させる形式のことだ。
その設計・建設にはパナマ運河建設に携わった、青山士らが参加しており、その経験を生かして活躍している。
今まで日本が造った運河とは比較にならない大事業であったが、彼らのおかげでなんとか上手くいきそうだ。
(今まで日本で造られた運河では琵琶湖疎水や利根運河などがそこそこ有名だが、いずれも10キロに満たない小規模なものであるため、今回のものとは比較にならない)
工事には東南アジア各地や日本本土から数十万人の労働者が送り込まれ、最終的には述べ150万人が働いたという。
この建設の最中にその現場近くには町ができ、工事関係者らで賑わった。
他にもタイ南部はその目論見どおり、工事に必要な道路等のインフラ整備も進んだし、それぞれの街は活気に満ちる。
特に開発が著しいのは運河の端と端であるサトゥンとソンクラ。
それまではそんなに大きな町ではなかったのに、運河開発のおかげで毎年ものすごい人口増加率を記録している。
さらに港湾施設等の建設も当然行なわれ、運河完成を待たずに港町として発展していく。
こうして様々な効果はもたらしているが、この建設費用のは国家財政にとって結構大きな負担となっている。
軍備縮小が進んでいるといってもすぐに出費が減るわけではないし、今回の大戦で被害を受けた東南アジア各地の復興や開発のため出費はうなぎ上り……。
今更だがもう少しあとでも良かったかもしれない。
後悔先に立たず。
後の祭り。
まぁ、なんとかなるさ。
こうなったら宝くじでも売ってかせぐか?
うちの親父みたいな貧乏人で夢見がちな奴はすぐ飛びつくぞ。
一攫千金を夢見て毎年のようにサマージャンボだのグリーンジャンボだの……。
「買わなければ当たらない」をモットーに買い続けてるがどうせ300円、よくて3000円だというのに(1万円すら当たったことないって一体どんだけ運から見放されてるのか……)。
夢見るのは悪いことじゃないけど、俺からすればその金で寿司でも食いに行きたい。
それにいざとなったら国債でも発行して……。
別にどっかの国みたいに600兆も抱えているわけじゃないし。
今日は皆さんご存知の通り広島へ原爆が投下された日です。戦記小説を書いている者が言うのも変かもしれませんが、広島県民として原爆で亡くなられた全ての方のご冥福を心からお祈りします。
今回の名言↓
「誰かが私に銃口を向けても、私が微笑みながら銃口に向かうことができたなら、そして、銃弾を受けても、心に神の名を唱えることができたなら、その時こそ私は、祝福に値するものとなるでしょう」
―マハトマ・ガンディー