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第48話 インパール要塞攻囲戦



さて、話は戻って前の年(1915年)の11月。

日本軍第3・5軍はインパール要塞へ向け行軍を開始していた。

ただし彼らの目的は要塞の攻略ではない。


彼らの任務は敵をひきつけること。

要塞を包囲すればインド軍は要塞を救援に部隊を送ってくるだろう。

そうしたら彼らは戦わずにさっとミャンマー領内に戻り、そこまで敵がついてきたらそこで戦うことになっている。

ついてこなければにらみ合うだけでいい。

今回基本的には要塞に触らない予定だった。


そして敵軍が出てくればその隙に現在シンガポールで待機している第1・2軍がインド南部に上陸を行い、慌てて退却するインド軍を第3・5軍が追撃し壊滅させる。

第1・2軍が南から、第3・5軍が東からインドを追い詰めるのだ。

そうそう、第1・2軍は部隊が入れ替えられ内地から新鋭部隊が送られている。

今までの部隊は歴戦ではあるがだいぶ消耗しているし、彼らだけ戦うのでは不公平だ。


さらに後詰として第6軍も編制されて陸路でマンダレーへ向かっている。

第6軍は8個の通常師団と4個の後備師団からなり、万一のインド軍の侵攻に備えることになっていた。

第4軍も部隊の再編が終わり次第、インドへの上陸に加わることになっている。

さらに本土では第7・8軍の編制が行なわれており、前線へ進出準備に入っていた。

実際にインド軍が食いつけば戦史に残る大規模な戦いとなっていただろう。


11月の終わりには第3・5軍はインパール要塞を完全に包囲、兵糧攻めに入った。

時折小部隊が出てきて夜襲をかけたりすることが初めの頃はあったようだが、日本軍に察知されほとんどが待ち伏せにあって壊滅し、次第に夜襲もなくなる。

それに予想されていた敵救援軍も姿を現さず、兵士達は一体俺たちは何しに来たんだと不満をこぼした。


結局何の動きもないまま年を越してしまった。

敵は一体何をしているのか、早く救援に行ってやれよと参謀達もイライラがだいぶたまってきている。

そしてようやく敵に関する情報が入ってきたがそれは期待とは全く異なるものだった。


その情報は敵軍内部で対立が起きており、そのせいで兵が集まらず敵は救援軍を遅れないでいる、というものであった。

統合作戦本部ではこれはある意味好機であるとしてインパール要塞直接攻略が決定され、第6軍にはインパールへの前進を命じ、さらに坑道戦の訓練を受けている工兵隊を1個旅団と攻城砲、それも馬鹿でかい24榴(24センチ榴弾砲)が送り込まれることになり、日本軍は本格的に攻略に乗り出す。


ここで突貫工事で整備した泰緬鉄道が大活躍した。

工兵旅団を迅速にミャンマーへ送ることが出来たし、24榴もこれを使ってミャンマーに入ったのである。

他にも大量の重砲が積まれ、ラングーンに運ばれてそこからはトラックなどの輸送でインパールまで運ばれていった。

ちなみに24榴の輸送には一門につき15両ものトラックが必要だったことからこの砲の巨大さが伺える。

まだトラックの数がそう多くはない日本軍にとって結構負担になるが、重砲なしで要塞攻略などできはしないから仕方ない。


そして2月初めからは攻略戦が開始された。

まずマンダレーに進出した第10航空師団の爆撃機が毎日爆撃しにくるようになったのである。

いくら要塞とはいえ全てが全て掩蔽されているわけではなく、掩蔽されていない陣地に大きな被害が出始めた。

さらに爆撃機は徹甲弾を使用して高高度からの爆撃も行い、掩蔽されている陣地でも当たり所によっては破壊されることも起こり始めている。


これに対しインド軍は反撃できずにいた。

近くに航空基地がないから無護衛の爆撃機という格好の餌食にも関わらず迎撃することはできないし、航空機に襲われることなんか全く考慮していなかったので対空火器は配備されていなかったのである。

第一インド軍の持つ戦闘機はどんなにかき集めても50機を超えない。

それらは全て首都防衛にあたっており、とてもこっちを守るような余裕はなさそうだ。

そのため連日爆撃を受けてもただ打たれっぱなしであり、兵の士気は除々に低下していく。


そして2月中旬、工兵隊による掘削が要塞真下まで進み、あちこちで胸壁の爆破が進んだ。

これはインド軍も手をこまねいていたわけではなく、防御坑道を掘ったりして対抗した。

しかしその方面の訓練が出来ておらず上手く防御できなかったばかりか、途中でかち合った日本側の坑道とインド軍の坑道から日本軍が要塞内部へ侵入して外郭陣地がいくつか落とされてしまうなど事態を悪化させることとなる。


2月下旬に入ると砲兵隊による砲撃も始まる。

24榴の威力は凄まじく、着弾地点に地震かというような揺れを引き起こした。

ただし掩蔽陣地は案外堅く、主要な陣地のものはほとんどがこれを跳ね返している。


一方歩兵による総攻撃も行われることになった。

当初は砲撃と掘削・空襲で痛めつけて兵糧攻めにすればそのうち降るだろうと思っていたのだが、インド軍の予想外に粘り強い抵抗でなかなか降伏してこないし、諜報部隊によるとどうやらそろそろ援軍がこちらに向かってくる様子だというのである。

これ以上チンタラ出来ないということで2月25日、日本軍は総攻撃を開始した。


まず早朝、砲兵隊による徹底的な砲撃と航空隊による爆撃から始まった。

凄まじい数の砲弾と爆弾を贅沢に使用したこの集中砲爆撃で敵陣地は大きな打撃を受ける。

さらに砲撃終了後工兵隊による爆破が行われ、あちこちの陣地が盛大に吹き飛んでいく。

強力な爆薬が使われており陣地は木っ端微塵になった。


そして歩兵による突撃が行なわれた。

大きな損害を受けることを覚悟していた軍司令部だが、あれだけ派手に壊せば彼らを待ち受ける陣地はそう多くない。

さらにインド軍が次々と投降してきたことから大部分はほぼ無血で占領することができた。


しかし士気旺盛な部隊も中にはいるものである。

中央陣地の守備についていた1個大隊は降伏するそぶりも見せず日本軍に果敢に攻撃をしかけてきたのだ。

これを沈黙させようと全砲兵隊が集中砲火を浴びせるが一番強固に造ってある陣地のようでなかなか黙らない。

3日間に渡って彼らは抵抗し続けたが弾薬が尽きたらしく、最後は日本軍に銃剣突撃をかけて全滅した。

降伏を嫌い、最後の一兵まで日本軍に抵抗した彼らの奮戦は日本兵に大きな衝撃を与える。


この大隊の全滅によりインパール要塞攻略は完了、日本軍はこちら向かってくるインド軍部隊の迎撃用意にかかった。





とうとう50部分までやってきました。予定ならここまでに戦争は終わってなくてはらなかったんですが、戦争というものは思い通りにはいきませんね。

第1次大戦が終わっても、小説はまだまだこれから長く続きますが、是非最後までお付き合いください。


今回の名言↓

「戦場では、恐怖から逃れようとする行動が反射的に起きる。そして、失敗してから考える」

―ツキディアス

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