第4話 軍備縮小
こないだの御前会議を受け陸・海軍がそれぞれで削減目標を定め、それが実行に移されることとなった。
まず、陸軍は3年間で12個師団と騎兵2個旅団を削減する。
削減される師団はほとんどが華中・朝鮮・日本の3つの方面隊の隷下部隊だ。
これらの地域は他国との国境もなく、治安も良いため兵力を削減しても大きな影響が出ることはないだろう。
これにより陸軍は3年後には90個師団、10個騎兵旅団、24個砲兵旅団となる。
また、陸軍とは別枠で存在していた国境警備隊4万5000名も順次縮小され、警察や陸軍に任務を移管し、5年後には完全に解隊されることとなった。
そして海軍だが今回は旧式艦艇の除籍が行われた。
その対象となったのが二等巡洋艦の「厳島」型3隻、いわゆる三景艦だ。
これらは日清戦争(この世界ではなかったが)の際に清が保有していた「鎮遠」「定遠」の2隻の戦艦に対抗するために建造されたものである。
そのため、その2戦艦に対抗するためわずか4000トンの船体に32センチ単装砲を1基搭載していた。
しかし、その32センチ砲は実戦でまったく役に立たなかった。
砲弾を装填するのになんと30分から1時間もかかり、黄海海戦では3隻あわせてもたったの13発しか撃てず無用の長物でしかなかった。
それどころか1908年、遠洋航海に出ていた「松島」が主砲火薬庫の爆発事故を起こし中国の馬公で沈没、この事故で士官候補生33名を含む223名もの死者を出す大惨事となった。
敵艦を沈めるはずの主砲が自分を沈めたというなんともいえない皮肉な結果となってしまったのだ。
ところでなぜこの世界にこの三景艦がいるのだろうか?
対抗するべき清の戦艦もいないのに32センチ砲はちゃんと積んであるし。
まぁ、この辺はただ史実にあわせただけなのかもしれない。
話を戻そう。
この3隻は現役を引退、「厳島」のみ練習艦として江田島の海兵学校に配備されるがあとは除籍して解体処分となった。
他にも旧式の砲艦が3隻と水雷艇が16隻除籍され、測量等に従事していた木造艦も残らず除籍される。
これにより海軍は戦艦6、装甲巡洋艦6、二等巡洋艦4、三等巡洋艦8、駆逐艦32、水雷艇40、通報艦4となった。
これらによって多数の失業軍人が生まれることとなるが彼らのうち希望者はタクラマカン地域やジュンガル盆地の開発にあてることとした。
他にも一般に広く公募し、小作農達にも積極的に参加を促す。
この開発計画は始めの5年ほど国に雇われて開発に従事すれば土地を与えられることになっている。
焼け石に水かもしれないが、それでもなんとか苦しい小作農を助けようとした計画なのだ。
そして藩閥のみで上がってきた無能な将校の首切りだが、海軍は山本権兵衛に、陸軍は児玉源太郎にやらせた。
これにより海軍は96名、陸軍にいたっては120名もの人数がリストアップされた。
俺はそのリストを受け取ると、さすがにこれを山本達にやらすと軍部内の対立を招く恐れがあるので俺が一人一人を呼んで宣告する。
結局この宣告を終わらすだけでも2週間もかかってしまった。
宣告すると涙を流すものまでおり、それを全て見ないといけないのでかなり辛い2週間だったが今は人員を整理し、余計な出費を抑えていかなければならないのだと俺も耐える。
幸い、軍部内で対立などが起こることも無く無事に終了した。
さて、これで浮いた出費も大体がタクラマカン地域の開発につぎ込まれるためほとんど相殺されてしまう。
しかし、ただ金と資源を浪費するよりははるかにマシである。
俺はこれで軍縮にひとくぎりつけ、次の課題に向かった。
今度は「憲法改正」である。
この話から後書きで古今東西の名将達の名言を紹介していこうと思います。毎回「ご意見・ご感想お待ちしてます!」だと(書いてる方も)面白くないので。
今回の名言は有名なこれ、
「百年兵を養うは、ただ平和を護るためである」
ー山本五十六連合艦隊司令長官