第47話 内患外憂
年は明け、戦争が始まって2年が経った。
戦況は現在小康状態となっている。
インド軍にも目立った動きはないしオーストラリア軍も動かない。
というより正しくは動けないのだ。
オーストラリア軍は海軍が壊滅したためオーストラリア大陸から出られないし、インドとしても北はヒマラヤ山脈、東はパトカイ山脈を境に押し込められている。
そしてインド軍の頼みであるインパール要塞は現在日本軍の重囲に陥っていた。
インパール要塞はイギリス人の設計によるもので、1910年から3年半かけて大戦直前に完成した。
初めから日本軍を意識して造ったもので、ミャンマーからインドへ入る唯一の幹線道路の通るここに要塞を築くことで日本軍がインドへ入るのを防ごうとしたのだ。
日本軍からすればあまり縁起のいいところではない。
もちろんこの時代の人たちは知らないが、我々現代人からすれば太平洋戦争で陸軍が大敗北を喫したところということで有名である。
時代も違うしここでは全く関係ないが、ここを攻撃するのことに俺はなんとなく気が進まない。
日本軍の大部隊がこの要塞を包囲したのは昨年11月頃。
インド軍はこの最新鋭と言ってもいいであろうこの要塞で、日本軍に痛撃を与えてやろうと意気込んだが、日本軍は一向に攻撃してこない。
増援でも待っているのかとインド軍は怪しんだがその様子はなく、ただ時間だけが過ぎていく。
日本軍は海路で陸軍を揚陸するための陽動としようとしていたのだが……。
包囲から約2ヶ月たっても目立った動きはない。
インド軍としては救援部隊を差し向けなければならないが、それがなかなか出来ないで困っている。
なぜ出来ないか、それはインド軍の組織と国の構造そのものに問題があった。
インドは日本軍同様地域ごとに軍区を設け、戦時にはその軍区から部隊を抽出して軍を編成して戦うようになっている。
しかし、日本軍の方面隊とは異なり各軍区に強大な権限が与えられ、一種の軍事政府のようになってしまっているのだ。
そのため部隊の抽出を求めてもなかなか応じなかったり、さらには拒否することすら起こっていた。
国を守るべき軍隊なのになぜ兵を出し渋るか、それは軍が今の政府に不満を持っているからである。
なぜか、それは宗教と密接に結びついていた。
インドはもともと仏教発祥の地ではあったが、現在は仏教ではなくその国民の8割はヒンドゥー教徒である。
それに対し現在の政府はイギリスの侵略がなかったためムガール帝国(史実では1526年に建国、1858年のインドの大反乱で滅亡)の流れを汲んでおり、その官僚は大半がイスラームの信者(ムスリフ)である。
これに対し軍部はデリーを中心とする軍区を除き、残りはほとんどヒンドゥー教信者(兵も徴兵のためほとんどヒンドゥー教徒)であるため中央政府をなかなか良しとしないわけだ。
ただムガール帝国はもともと異教徒に対し弾圧を加えたりしてきたわけではない。
強制改宗させることもなく、制限つきではあるものの一定の生命・財産・宗教的自由を認めている。
ただその代わりイスラームの信者以外には税金を重くした。
ジズヤ(人頭税)がそれである。
これは非ムスリフにとって大変厳しいものとなる場合が多く、そのため仕方なくイスラームに改宗するものも結構いたらしい。
実質強制改宗みたいなものではあるが、火あぶりだの魔女狩りだのとやったわけではないのだ。
これに対し異民族・異教徒に寛容であった第3代皇帝アクバルはこれの廃止に踏み切り、彼自身も様々な宗教に関心を寄せ、それぞれを尊重した。
そのこともあってか彼は北インドの大部分を併合して全盛期を築いていく。
この頃のムガール帝国は強国であり、インド制服をもくろんでいたイギリス東インド会社も断念せざるをえなかった。
その後を継いだジャハーンギールもその政策を受け継ぎ、さらにその次のシャー・ジャハーンの時にはイスラームとヒンドゥーなどが融合したインド=イスラム文化の全盛期を迎えた。
その文化の代表建築である「タージ・マハル」は世界遺産にもなっており有名である。
しかし第6代の王アウラングゼーブの頃から次第に悪化していく。
敬虔なイスラームの信者である彼は異教徒を厳しく弾圧した。
さらに度重なる外征による財政の悪化もあり、非ムスリフに対するジズヤを復活させる。
そのためヒンドゥー教徒やシク教徒が離反、帝国は次第に衰退していき、彼の死後帝国は分裂。
さらにイギリスの介入により事態は悪化、滅亡への道を進んでいく。
今回のゲームではムガール帝国は生き残り、その後議会などが出来て民主制に移行し、国名をインド帝国に改称したことになっている。
議会はヒンドゥー派の政権が第一党を取り、政治は滞りなく行われているのだが官僚らはムガール帝国時代の名残が強く、軍や政府の上級幹部はまだかなりムスリフが残っていた。
平時には大きないざこざはなかったが戦争という非常事態になり、なおかつ戦況が悪化してくるとそのほころびが出始めているのだ。
さて、余談が過ぎたがとにかく軍部内での対立が激化してなかなか部隊が集まらない。
ただでさえ大国を相手に戦っているのだ。
こういうときこそ一致団結しなくてはならないが、宗教・民族というものが絡んでくると問題の解決は容易ではないのである。
俺にはややこしすぎてわけがわからない。
今のだってクッキーが言ったのをほとんどそのまま流しただけだし。
だから世界史は嫌いなんだよ……。
こうして特に動きのないまままた1ヶ月が過ぎた。
その間インド陸軍では中央軍の幹部が一生懸命説得に回り、部隊の抽出を求めている。
他国からすれば全く滑稽な光景ではあるが、外から見ただけでは分からないものがその国にはあるものだ。
そして十分な兵力が集まったのは2月下旬、これでようやく救援に行けると中央の軍幹部は胸をなでおろしたが好期は去っていた。
インド軍救援部隊が現れないことから、日本軍は海路によるインド侵攻から陸路による侵攻に切り替え、要塞攻略を開始することにしたのだ。
援軍が着く前に要塞はすでに日本軍のものとなっていたのである。
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今回の名言↓
「戦争には、勝利を保証する決定的な地点がある。その価値は、そこを保持することで戦いを原則を縦横に適用できることにある」
―アンリ・ジョミニ