第46話 デリー空爆
1915年12月2日午前、西蔵西南にあるガルヤルサと言うところにある飛行場では整備兵達が慌ただしく動き回っていた。
そこには新型爆撃機「呑龍」21型100機以上が駐機しており、出撃用意を整えている。
他にも万が一の敵戦闘機出現に備え、戦闘機50機余りがいつでも出撃できる状態で待機していた。
まぁ、敵機がわざわざこんな片田舎まで出てくる可能性は限りなくゼロに近いし、どうせ航続距離が足らないのだが、念のためである。
ヒマラヤ山脈の麓ののどかな田舎町には似つかない光景である。
もともとここに住む人々は農業をやったり山羊を飼ったりしながらのんびりと暮らしていた。
日本国内で進む近代化などどこ吹く風といった感じで昔ながらの暮らしが続いていたのである。
豊かではないが、そこには古き良き時代の生活があった。
しかし、第1次世界大戦はそんな片田舎にも影響を与えているのである。
インドに近いという理由で航空基地が造られ、農地はそれに伴って一部接収されるなど農民達の暮らしに打撃を与えていた。
もちろんそれに対する補償は行われたが問題は金ではあるまい。
彼らの平穏な暮らしはもはや崩壊してしまっていたのだ。
戦争で被害を受けるのは彼らのような一般の人々ばかりである。
さて、感傷に浸っている場合ではない。
上記のようなことは何もここだけで起きている問題ではなく、世界各地でいくらでも行われていることだ。
だからといってそれを賛美するわけではないが今は戦争中、我慢してもらうしかあるまい。
今回爆撃機がこの田舎に集結しているのはインドの首都、デリーに対する爆撃を行うためである。
参加兵力は「呑龍」108機、ようするに3個航空戦隊。
他に戦闘機が50機ほどいるが、航続距離が足らないので彼らはヒマラヤ山脈辺りまでついていってその後引き返すことになっている。
裸の爆撃隊を出すのは気が引けるが、インド戦線に刺激を与えるためこの作戦は決行された。
そして同じ日の午後、デリーに突如警報が響き渡った。
「敵機、デリー方面へ飛行中!その数100以上、市民は至急退避せよ。繰り返す、敵機接近中!市民は急ぎ避難せよ!」
市民は大混乱に陥った。
まさか首都に敵の飛行機が入ってくるなんて思いもしなかったからだ。
大体どこの国でも首都は最後の砦である、だから最も安全なものだと思うものである。
もっとも、大して関係のない場合は多いが……。
一方航空隊の方は……。
「こちら第3分隊、異常なし。これより予定通り目標に向かう」
「こちら第4分隊、我が分隊も第3分隊に続く」
「許可の電信を打ってやれ。それと早く行って帰って来いと付け加えといてくれ。敵機が上がってくるかもしれんからな」
航空隊指揮官小林三郎中佐は第1分隊分隊長機の中にいた。
周りの機から入る電報に答えつつ、常に窓から外を見ている。
外を見ると航空基地攻撃の任務を受けている第3.4分隊が離れていった。
しかし、そうしている間も敵機がいつ現れるか分からない。
監視の目は一つでも多いほうがよく、中佐も常に外を警戒しているのだ。
もしこの機が敵機に襲われればひとたまりもない。
足は遅いし、動きも鈍く、さらに防御火器も1つの機に2挺程度機関銃がついているくらいのもの。
機体自体も大して強固なわけではない。
敵地上空で護衛戦闘機もいない中この爆撃が成功するか、中佐も不安だった。
そのためとにかく早く爆弾倉を空にして帰るつもりだ。
「目標まであと少しです。目標上空に敵戦闘機確認できず。これより爆撃航程を開始します」
機長が操縦席から振り返って言う。
目標のカルカッタ近郊の工場地帯はすぐそこに見える。
その工場はほとんどが軍事関連のものばかりと諜報員からの報告が事前にあったらしい。
あそこを叩けばしばらくインドの軍事生産に打撃を与えれるだろう。
「ちゃんと狙うんだぞ。都市に爆弾落としてみろ、俺たちが殺されるぞ」
そう言う中佐に機長は、
「間違いないです。第一あれだけ工場が広がってるんです。少々ずれても街まで飛んではいきはしませんよ」
都市爆撃は厳禁されている。
もし禁止されてなくても普通好き好んでやる奴はそうはいない。
工場だろうが市街地だろうが爆撃すれば人が死ぬには変わりないが、やはり無抵抗の市民を殺すのは気が引ける。
工場ならその工場で作ったものが日本人を殺すのを防ぐ、と言い訳が出来るのだ。
それが何の意味もないことは皆分かっているが、そうでもしないとやってられない。
「爆弾投下用意、投下地点まであと30秒」
機内に緊張感が漂う。
それはそうだ。
この瞬間のために何時間もかけて飛んできたのだ。
これを失敗すれば全ての苦労が水泡に帰してしまう。
「……3,2,1、投下!」
機長が爆弾投下レバーを引く。
するとヒューという甲高い音を立てながら爆弾が落ちていった。
後続機もそれぞれ投下していく。
しばらくして大きな爆発音が響き、航空機を揺らす。
「あたったか……?」
中佐は窓から精一杯のぞく。
「爆撃命中と認む!」
力強い報告が入り、中佐も笑みをこぼす。
「みんなよくやってくれた。これで任務は終了だ。さぁ早く帰ろう。敵機の来ないうちにな」
航空隊は反転、帰途に着く。
しかし帰り始めて数分後、悲痛な報告が入る。
「第3分隊2番機より報告です!『我敵機の攻撃を受けつつあり。分隊長機は撃墜されり。我が機も被弾、帰投は困難なれば敵航空基地に突入、自爆す』」
電信を聞き彼は咄嗟に救援に向かう!と言いそうになった。
しかし爆撃機が救援に向かったところで損害を増やすだけ。
彼は断腸の思いにかられながらも機長に言う。
「機長、悔しいが爆撃機では救援には行けん。戦友を見捨てる形となるが我々は退避しよう。それと返信を打ってくれ。自爆は許さん、機体を放棄して機から離脱せよ、捕虜となってもいいから再起を待てとな」
その後、彼らは真っ直ぐとガルヤルサへ向け飛んでいった。
敵機の追撃はなかったが、敵機に襲われた第3・4分隊の爆撃機が帰ってくることもなかった。
今回工場地帯への爆撃に成功、さらに発生した火災の延焼を食い止められなかったことで被害が拡大し工場多数が炎上、インドの軍需生産は大打撃を受けることになる。
また爆撃とは別の被害だがパニックを起こした市民らが一斉に逃げ惑ったため、一切爆撃を受けていないにも関わらず将棋倒しとなったりして5歳の子供を含む15名が死亡、21名が重軽傷を負った。
こんなことは全く予想しておらず、いかに戦争は予期しないことが起こるのかを思い知らされる。
ただこのことは後に微妙な影響を与えるが……。
しかし相手の航空基地に打撃を与えることには失敗。
投弾に成功したわずかな機と、自爆機3機、墜落した2機が飛行場設備の一部や航空機11機を破壊したが大した影響はなく、その日のうちに復旧は完了している。
残りの13機も残らず撃墜されうち5機は不時着に成功してパイロットは無事、そのほか離脱に成功したパイロット約10名が生き残りインド軍に身柄を拘束された。
(ここだけの話であるが、この航空基地攻撃は敵機をひきつける囮の意味もあった。酷い話だが、少しでも迎撃機をひきつければ本隊は逃げれるという算段であった。分隊長には伝えたがパイロット達には伝えられていない)
「生きて虜囚の辱めを受けず」
このような訓示はもちろんない。
西洋同様戦って捕虜となったのは決して不名誉なことではないのだ。
彼らは戦後無事帰国し、デリー爆撃の英雄として迎えられた。
テストはようやく昨日終わりました。予想したよりはマシな教化が多かったのでホッとしております。今のところ絶対防衛権は死守されていますが、音信が途絶したところもあるので…。
今回の名言↓
「戦いの術は、美しく、かつ簡単である。それは、まさしく『シンプル・イズ・ザ・ベスト』である」
―ナポレオン