第45話 インドネシア降伏
攻撃隊が攻撃を中止した後、艦隊司令の大村大将は果たして敵が本当に降伏したのかどうか怪しんでいた。
隊長は敵が白旗を掲げているのを見たというがそれもちゃんとした旗ではなくただの白い布のようなものであったというし、市街地には多数のインドネシア兵がいたという。
今から降伏しようとする国が兵を集結させるか?
いや、そんなことはあるまい。
事実インドネシア政府からは何の通告もない。
国際法上未だインドネシアと日本は交戦状態にあるのだ。
攻撃を再開するべきか、それとも攻撃を中止するか……、彼は悩んでいた。
しかし本当に降伏する気なら下手に突付いて気が変わっても困る。
特に女王が国家権力を握る国なのだ。
彼女の気まぐれで事態はどちらにでも転がる。
結局彼がとった選択は待機。
もっとも無難なものを取ったわけだ。
これならどっちに転げても問題はない。
敵が何かたくらんでいるとしても戦局全体に大きな影響を与えるようなものではないだろう。
もはやそれだけの力はインドネシアに残されていないのだ。
ただし艦載機部隊を出して偵察は行う。
一体ジャカルタでは何が起こっているのか、それを掴まないと何も始まらない。
そして偵察に出た機から報告が入る。
「敵大部隊市街地に集結せり。完全武装している模様なれど対空砲火は皆無」
「宮殿付近にかなりの兵力が集結している模様」
「海岸付近に敵兵力確認できず」
次々と入ってくる報告。
しかし降伏に結びつくような報告はない。
やはり敵部隊が集結しているのは上陸させて迎え撃つためではないか。
海岸線に兵力がいないのは上陸させて十分ひきつけてから攻撃するためだろう。
そんなことを大村大将が思っているうちに事態がようやく動いた。
「こちら『渥美』15番機。インドネシア首相官邸の掲揚台に白旗を確認。降伏せるものと認む」
その報告を聞き、「美作」艦橋では安堵のため息が漏れた。
これで少しは戦争が楽になる。
皆そう思ったのだろう。
「インドネシア政府より通信!我日本国に対し降伏す、攻撃を中止されたし。全て平文です。これが繰り返されています」
通信兵からの報告で全てが確認された。
大村大将は胸をなでおろし、
「分かった。ではすぐに統合作戦本部に対しそのことを伝えてくれ。それと我々の攻撃中止許可もな」
と言ってジャカルタの方を見た。
戦いの名残のような煙があちこちから立ち昇っていた。
一方その頃統合作戦本部では緊急の会議が召集されてこれからの対策について協議が行われていた。
突然の降伏に皆驚いたがすぐに頭を切り替えて議論を始める。
「陸軍部隊を各島々に配備して治安維持に当たらせてることは必要です。万が一反乱がおきたときに対処できません」
「これ以上陸軍部隊は割けん。まだインドやオーストラリアが残っているんだぞ。治安維持なら武装警官隊でも送ればいいだろう」
「武装警官隊?そんなにたくさんは送れませんよ、数が少ないんですから。第一我々はあなた方と違い戦闘訓練など受けてはいません。警官はあくまで犯罪の取り締まりが仕事ですし」
講和文章の調印についてや手続きについての話はさっと終わり今論議されているのはインドネシアの統治について。
軍事占領ということで部隊を送って完全に支配下に入れてしまおうという政府に対し、これ以上兵力をインドネシアに送りたくない陸軍は猛反発。
ただでさえレンガット会戦で大打撃を受けている上、インド方面はこれからもっと増派しないといけないのだ。
治安警備なんてやっている暇はないと言うのが彼らの言い分である。
それはもっともな意見で、そこで俺は旧フィリピンや旧カンボジアの陸軍部隊を送ったり後備兵でごまかしたりしてとりあえず現役兵部隊は前線に出られるようにした。
さて、そんな細かいとこはいい。
まぁとにかくインドネシアが降伏、肩の荷が少し下りたというところである。
まだ重たいのが二つ残ってはいるが。
それから1週間後、インドネシア政府と日本政府の間で降伏文書調印式が行われ、正式にインドネシアは日本に対し降伏した。
インドネシア陸軍の武装解除も抵抗なく進んでおり、あと少しで完了する見込みだという。
ただしインドネシア海軍艦艇についてはインドへ脱出した後なのでインド海軍に接収されてしまった。
もっとも、カルカッタ沖海戦でほぼ壊滅し駆逐艦や潜水艦が少し残っているだけだが。
まぁそんなに気にすることもあるまい。
そしてその後国防省ではインドとオーストラリアどちらを先に攻略するかを決める会議が行われた。
会議は紛糾し、5日間も続いたためいちいち書いているとキリがないので割愛するが、最終的にはインドが選択された。
理由は日本に近く、兵站上の負担が軽いからということとインドを放っておけば日本国内になんらかの攻撃を行ってくる可能性があるからということである。
さらに新型爆撃機の開発で本土からインド北部が爆撃可能となったり、インドネシアの降伏により海路からのインド攻略が可能となったことも大きかった。
今まで陸軍は東洋一と目されるインド軍のインパール要塞攻略を避け、にらみ合うだけで全くインドには侵攻しようとしなかった。
無視して迂回しようにもパトカイ山脈・アラカン山脈に阻まれる。
海岸線沿いという選択肢もあるが道路が整備されておらず大部隊の行動に適さないのだ。
インパールはこの世界のインドがミャンマーとの交通の要地と位置づけており、しっかりとした道路も整備されている。
だから占領したかったのだが、犠牲を恐れて手出ししてこなかったのである。
ところがインドネシア降伏により艦隊をインド洋まで入れることが出来るようになった。
これによりインパールを迂回して兵員をインド本土へ送り込むことが出来るのだ。
兵站上でも泰緬鉄道が突貫工事プラス人海戦術であと2,3ヶ月もすれば完成ということで、ラングーンまで鉄道で物資を運べることとなり、輸送船はマレー半島を迂回したりする必要もなくなった。
その他いろいろあってインドに落ち着いた。
そして新型爆撃機配備が急いで行われ、慣熟訓練もそこそこにインドの空を舞うことになる。
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